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仕事・勉強に今すぐ役立つ読書の技術

『「深読み」読書術』より 使える知識ばこうして身につける! 深く・大量に・速く読むための読書案内

理解を早め、生きた知識をものにするために

 別の項目では多読を勧めた。しかし、この多読とは、てんでんばらばらの書物をたくさん読むことではなく、同じテーマや同じ分野に関するさまざまな書物を合わせ読むことである。

 そうすることによって、一冊だけでは不鮮明だったものが明確になり、一冊だけではあまり理解できなかったものが、よりよく理解できるようになるからだ。だから、あわせ読みは質疑応答の役目もはたしてくれるという利点があるわけだ。

 この段階で、読書はもはや受け身などではなく、積極的な読み取りの姿勢になっていることがわかるだろう。

 積極的な読み取りの姿勢がどうしても必要になるのは、目的をもって書物を選んで読むときだ。

 仕事の上から読書しなければならないとき、限られた時間の中で過去の考え方を参考にした何らかの解答を出さなければならないとき、既成の考え方のレポートを自分なりにまとめなければならないときなど、積極的な読書が求められる。

 このときに書名や著者名は知ってはいるものの、しばしば忘れがちになるのは、自分が手にしている書物が、歴史の中でどの位置に置かれているものなのかを知っておくということだ。少なくとも、次の点は押さえておかなければならない。

 何年にどこで書かれたものなのか。

 最初から一般向けに書かれた書物なのか、もとは学術論文だったのか。

 その書物の著者が、どこから影響を受け、何に影響を与えたのか。

 手にしている本が、何年にどこの国で書かれ、日本で翻訳されたのはいつかということは、まえがきやあとがき、あるいは解説中で説明されている。学術論文だったのかどうかも説明されている場合が多い。

 それよりも重要なのは、その書物が何に影響され、何に影響したかという関係である。あらゆる書物がまったく新たに創造されるわけではない。書物の内容というものは、ことごとく著者が生きている時代背景の影響を受けているばかりか、それよりも前の時代に書かれた本の影響をも強く受けているのである。

 そのことを知っておかないと、自分の手元にある本がオリジナルだと勝手に錯覚してしまう。むろん、そういうわけはなく、手元にある本の前には多くの同系列本が存在している。

 そしてまた、手元にある本はオリジナルどころかひょっとしたら、内容がそれより古い本かもしれないのである。類書が時系列順に(1)から(6)までの六冊あったとしたら、そのテーマに関して現在では(6)の本が最新なのに、自分だけは手元の(4)の本の内容が最新だと勘違いしている可能性があるのだ。

 特に、学説に関する書物、技術論、哲学、経済、心理学、などの書物にあっては、新旧がはっきりしている。しかし、古い時代に書かれたから価値がないというわけではない。それはまだ採掘され尽くしていない油田のようなものであり、わたしたちの視力と思考力いかんで豊富なものを掘り出すことができるのだ。

 その意味でも、手元にある本が他の本とどういう関係の位置にあるかを知っておくほうがいいわけだが、他の本との関連を知っているがためにさらなる得をするのは、理解がずっと早くなるということなのだ。

 先の例では、いきなり(4)の本を読むよりも、(3)の本を一読しておいたほうが、(4)の内容が早く理解できるようになる。というのも、(4)の本の内容は(3)の本の内容に依拠していながら批判しつつ乗り越え、新しい観点を加えているからである。

最短期間で自分を「プロフェッショナル」にする方法

 (I)から順番に(6)まで体系立てて読むのがもっとも理解しやすく、系統がすっきりと頭に入るのはもちろんだ。しかしながら、逆に(6)からさかのぽって読んでもいい。テーマが狭く絞られている場合は、逆からの拾い読みがもっとも早く理解する手段となるだろう。

 この方法は、目的に沿って読書しようという場合にかなり威力を発揮する。その理由として次のようなものが挙げられる。

  ○そのテーマにおける問題意識の変遷が明確にわかる。

  ○どの時代の本でも、何度も取り扱われている問題がもっとも重要なものだとわかる。つまり、問題点の軽重がはっきりする。

  ○どの時代のどの著者の本で、新しい視点や考え方が盛り込まれたのかが見えてくる。

  ○そのテーマにおける百科事典を頭に詰めこんだほどの効果がある。

  ○自分に役立つための索引づくりや整理などが容易になる。

  ○そのテーマについての概要がまとめやすくなる。

  ○そのテーマについて歴史的な流れを見たのだから、そこに背景などを加えて見直せば、現代のための新しい視点や考え方を案出しやすくなる。

  ○特定のテーマについて一家言をもつことができるようになる。

 実はこの方法は、ちょっとした専門家になる方法でもある。世の中に半可通はたくさんいる。ナントカ主義者もたくさんいる。そういった半可通や主義者は、体系的に読んでいないために、特定の考え方にだけ魅惑されてしまった人なのだ。

 半専門家は、その偏りから脱却して、体系的に読んでテーマを歴史的に見渡せる目をもった人である。そういう目は、ちょっとした努力でもつことが可能なのだ。

「確実な結果」は「明確な目的」があってこそ

 これらの方法を自分の作業に採用するときのコツは、読書の目的をかなり具体的にしておくことだ。そして、関わるべきテーマをはっきりと紙に文字で書いておき、そこから横道にそれないようにするのだ。

 たとえば、「日本の戦争の歴史」というテーマはよくない。あまりにも曖昧すぎるからだ。国内での戦争の歴史のことなのか、外国との戦争の歴史なのかさえ、明確になっていない。

 外国との戦争の歴史なら、「対外戦争の歴史」というふうに書く。実はこれでもまだ曖昧である。時間が明記されていないからだ。

 建国以来のあらゆる戦争を対象にするというのだったら、読まなければならない書物は膨大な数にのぼるだろう。ペリー来航で鎖国が解かれてから、つまり明治以降の対外国の戦争ならば的が小さくなって調べやすくなる。しかも、その戦争の何を調べるかまで明確にするともっと調べやすくなる。

 テーマが抽象的な事柄であっても、要領は同じである。「恋愛の変遷」だけでは曖昧だから、たとえば、「明治以降の恋愛という言葉の意味と恋愛観念の変遷を当時のベストセラー本で調査する」というふうにすると、探すべき書物までわかりやすくなる。

 もし、善悪とか自由とか精神とかいった哲学的な事柄について知りたいと思っていて、わかりやすい道標になっているようなものを探しているのならば、フロスト・ジュニア著『哲学の森』(岩垣守彦訳)がある。どの時代にどの哲学者がどのような見解を述べているかが簡単に書かれているので、本を選ぶときの参考になるだろう。

 同じようなもので、もっと突っ込んだ解説があるのは、ヴェルジェスノユイスマン共著の『哲学教程』(白井成雄他訳)である。これはフランスの高等師範学校の教科書であるが、疑問の歴史事典として使うこともできるし、自分の考えを深める触発剤ともなる。
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所有権の正当性

『法律家をめざす人のための経済学』より 所有権

所有権の定義と意義

 所有権は、特定の主体が物財に対する包括的な支配権、すなわち、使用・収益・処分の権利を有することを意味します。使用、収益において、主体は自由な財産の活用が可能であるとともに、他のあらゆる主体に対する使用を排除する権限を持ちます。処分についても、売却・贈与など、主体は自由にその方法を選択できます。

 ここで、まずもって着目しなくてはいけないのは、所有権と債権一債務関係との区分をどのように行うべきか、という論点です。例えば、私に持ち家があったとしましょう。これを私が所有するということは、この家の利用に付随する債権の束を(他の不特定多数者に対して)所有していることを意味します。2階の座敷で昼寝する権利、1階で食事する権利等々です。すると、所有権がなくとも、つまり、全てを債権¬債務関係に還元してしまっても法的価値の実現は全て可能ではないか、という疑問が生ずるわけです。

所有権の正当性(1)--治安の安定

 第18章において、法的権利が有する最も重要な意義として、国家と法による法的権利の画定が、個々人を自己防衛に対する社会的に非効率な投資努力から解放し、社会的な生産力を拡大することを挙げました。これは、法的権利一般について妥当する論点ですが、実際には、所有権の確立こそが、その中心的役割を果たすことは明らかです。これに対して、複雑に規定された債権一債務関係は紛争を多発させ、諸個人の自己防衛投資からの解放を中途半端なものにします。個々人の所有権が明確に画定していれば、権利関係をめぐる紛争はより縮小し、人々は、生産的な社会活動へと、より多くの資源を投下できることになります。

所有権の正当性(2)--効率的かつ公平な資源の活用と移転の促進

 コースの定理と厚生経済学の基本定理が明らかにしているように、法的権利の画定こそが、その権利保有者に自らが有する権利の価値を正しく認識させ、それを有効に利用させることを可能にします。その結果、自由な契約や市場取引を通して資源が適切に移転されてパレート効率的な資源配分を実現するわけです。また、税制を通じて法的権利に対する国家の規制を加えることによって、富の分配の公平化を実現するための基盤となります。これらの側面においても、複雑な債権一債務関係が入り組んで存在するよりも、個々人の所有権が明確に画定している方が、資源の円滑な移転を促進し、取引をめぐる紛争の可能性を縮減する効果があります。また、税体系の透明性を増し、税務費用を節約する点でも社会的に有益であると思われます。

私的所有権の正当化

 以上の根拠に基づく所有権の正当化は、所有権の意義をある程度まで説明できますが、その中でも私的所有権の優越性を論証し、個々の所有権の範囲を画定する基準を与えることについては論拠不十分です。なぜ、私的所有権に特別に重要な意義があるのか、また、その適正な範囲はどのように画定されるべきかが問われる必要があります。この点で参考になるのが、共有地の悲劇の事例です。

共有地の悲劇

 仮に自然状態において直接の武力的衝突がないとしても、所有権が画定しないままで資源が共有されるならば、人々は共有地に対して真剣に手を加えず、また、使用にあたって望ましい水準まで注意を払いません。それは、個人のそれらの努力の果実が、大部分について共有する他の人々の利益となってしまうからです。同様に、共有地の場合、新しい農法の開発などによって品質の高い農産物を作ったり、生産費用を削減するための投資をしても、その利益が共有する利用者全体に拡散してしまうので、このような技術革新のインセンティヴを欠いてしまいます。このようにして共有地が過剰に荒廃する現象は、共有地の悲劇と呼ばれます。

 共有地の悲劇は、いろいろな形で定式化可能ですが、ここでは第4章で解説した簡単な非協力ゲームの形で説明してみましょう。今、A、B2人の人が、一定の農地を共有しているとしましょう。各人は、農地を(肥料を欠かさないようにしたりして)丁寧に保全するという戦略と、過剰使用することで大きな収穫を上げるという戦略とを持っています。A,B両氏が農地を丁寧に使用すると、それぞれが2トンの農産物を収穫できます。しかし、相手方が農地を丁寧に使っているのに、自分は農地を酷使して収穫を上げることもできます。すると、相手の農地保全の努力につけ込んでj自分だけが4トンという多量の収穫を確保できます。この問題を、当事者間の契約を通して解決しようとしても、「当事者がどの程度農地を丁寧に使ったか」という条項は、裁判所に対して立証することが難しいので、多くの場合、うまく行くとは言えません。お互いに、この事態を把握していると、自分だけが農地を丁寧に使っても自分は損をするので、均衡ではA,B両名共に農地の過剰使用に走ることになります。その結果、両名が農地を丁寧に使うよりも、両名にとって損な結果が生まれるわけです。これは、まさしく、第4章で説明した囚人のディレンマの一種で、共同所有の社会的非効率性を示すものと言えるでしょう。

所有権の正当性(3)--財産の保全と改良の誘因装置

 共有地の悲劇を回避するための最も直接的な方法は、コースの定理に従って、資源の保全・改良に対して加えられる労力や注意水準に関して共有者相互の契約を締結・履行して、これらの注意や努力を効率的な水準に導くことです。しかし、これらの注意や革新のための投資は観察することも立証することも困難であり、完備な契約を形成することは極めて難しいと言えます。

 このような場合に、特定の個人の当該資源け地など)に対する所有権を与えることによって、所有主体に対して資源を保全・改良する誘因を与えることができます。なぜなら、私的所有においては、自らの努力や注意の成果は直接本人の利益になるので、努力や注意の水準は社会的に見て自ずと効率的になるからです。資産の保全・改良誘因からの議論によれば、確かに共同所有の形態でもこれらの誘因を与えることができますが、そのためには共同所有者相互の間での複雑なインセンティヴ契約が求められ、取引費用が増大することになり、多くの場合、一個人に所有権を集中することが合理的な解決となるわけです。

 ただし、一個人が、あまりにも広大な財産を私有してしまうと、自らが管理、保全、改良する上で支障を来しますから、代理人を雇って、これらの業務を行ってもらうことになります。しかし、このような契約を結ぶことには多大な取引費用がかかるので、財産の過度な集中は、公平性の観点のみならず、効率性の観点からも問題があると言えるでしょう。

 以上のように、もしも全く取引費用が存在しなければ、全ての法的現象は債権一債務関係に還元可能であり、所有権には独自の意味が存在しないことになります。他方、取引費用の存在下では、契約と所有権設計とが、社会の効率性を実現するための補完的な法的機能を持つわけです。経済史家のノース(Doug-lass C.North)は、「各人の活動による私的収益と社会的収益とが一致するような法的、その他の制度的誘因が存在するところで、効率的な経済成長が可能である」としています3).
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状況把握で何が変わる

格差社会をどうするのか

 ピエティにしても格差社会の実証をするのが目的ではないでしょう。それでどうしていくのか。当然、格差しているものと、格差されているものとでは答えが異なる。その上で、答えをつくり出して、そこへの一歩をどう記すのか。

 ものを売る世界から、ものをシェアする世界に変わった時に、どういうカタチになるのか。それぞれの緒元からマーケティングそのものが変わってきます。そして、企業が変わります。どっちが先になるか分からない。企業が変わるのは、割と早いうちに実現されます。ソーシャルなどの分化された企業では、自律的に動き出します。販売店の経営者が論理を変えて、店舗で実践すれば、変わりだします。

 多くの人の智慧を使えば、大きなものも動かせます。

生きていくことのサポート

 スタバにしても、ものをうっているのではない。サービスを売っている。それを自覚している。そこでは、人が生きていくことのサポートです。そこで、お金をもらうことで循環させます。モノを売って、その結果として、幸せになるという間接的な関係よりも、はるかに分かりやすい。

 今は、イスラム国が気になります。彼らは物を作るわけではなく、破壊しているとしか見えない。神に対して、自分の存在をどう掛けるのか。そこに国というものがない。ただし、コミュニティはあります。ハマスはコミュニティです。

状況把握で何が変わる

 状況把握はそれぞれの個人が多様性を持つこととそれを生かして行動ができることが前提です。状況把握ができれば、答えが見つかります。個人のニーズの中に入り込めます。個人が自分のことを知らないとか、何をしたいのかを持ってないところでは、マーケティングと変わっていきます。

 自分が何をしたいのか、その為にどういう教育を受けて、どういう仕事をしたいのか。そのベースになるのが、存在の力です。。存在の力なくしては、個人は動きようがない。そこに持っていくことで全体の動きが変わっていくのか。

地域インフラは自分たちのモノ

 10.4.2は地域インフラだけど、ここでいうところのインフラは従来のものは異なります。本当に使える共用地というだけでなくて、それをいかにして、自分たちのものにしていくのか。そういう意味では、インターネット回線に近いようなものです。それを使って、自分たちのコンテンツを乗せるのか。そのベースの部分をどう作っていくのか。

 エネルギーにしても、自分たちにとって、電気なのか、自分たちのエネルギーなのか、それとも、企業のエネルギーを使っていくのか、海外のエネルギーを使っていくのかによって、違ってきます。地域インフラにしても、これの元は、社会の位相化です。位相化という以上は地域は近傍系です。

国の気概を持つ地域

 アイスランドのように33万人でも国はできます。500万人居れば、フィンランドができます。豊田市のように、金があるのに、社会インフラができていない世界。ベースとなるものは何か。変革の兆しがない。デトロイトのように、車と心中するしかないのか。

 自分たちがどう暮らしていくのか、そこでの機能としての市役所。といっても、市役所が機能していない。市役所より、もっと、身近な世界。個人の思いを吸い上げられる世界。そこからカタチにできる世界。それがコミュニティ。

変節点のロジック

 10.5変節点のロジックをハッキリさせます。宗教もカリスマも革命家も、意思の力で動いてきた。だけど、今、変える力が働いている。資本主義・民主主義は変わっていくしかない。空間認識自体を変えていく。その時に変節点が明確になる。

 そのために、先人が市民に武器を用意してきた。そして、武器が世界の歴史を変えてきた。そこから、新しい変える力をやってくる。

 そして、10.5.3は環境社会ではなくて、存在の力でどう変えていくのかというところに来ました。日本的循環も存在の力大きく変わっていく。情報共有のインフラで、環境社会を作り上げていく。その次を含めた、10.5.4変節点はかなりでかいです。結論以上になっています。
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保険の後払い制

三月になってしまった

 なんと、三月です。スケジュール表だけは付けましょう。

 とりあえず、7時前に起きました。パートナーが意見を言っている夢を見てました。本当は4時に起きたんですけど。

 3月になったので、大きく考えます。考える範囲の制約がなくなった。

カーシェアリング

 カーシェアリング10.4.2.1.今、レンタ・リースがあるけど、レンタ・リースの先はここになります。カーシェアリングの運営技術をコミュニティに適応する形になります。シェアカーは情報共有の世界でつながっていく。状況把握の最たるもの。

 状況把握をいかに効率化するかの証明にカーシェアリングを使っていく。一番、所有権に関係するところだから。

保険の後払い制

 保険の後払い制もココで実証していく。コミュニティでの存在理由を掛けて。今の保険は、先に払って、その時にいくら掛けるかによって、契約が違っている。駆けの世界で、安全・安心を保証していない。国家の機能とかぶっている。国家の機能不足ならば、国家を細分化するしかないでしょう。

 事故が起こった後に、それを保証していく制度。その人が亡くなっても結局払い続ける制度にすればいいです。連帯責任をどう持ってくるか。そうすると、利益そのものの考え方が違ってきます。今は、統計に基づいて、計算しているけど、不測の事態には応用できない。予測ではなく、起こった後に、計算して、払えるカタチにしていけばいい。

 後払い制です。それで、リスクをどう見るかです。自動運転とか衝突防止を商品のアピールとして見るのではなく、インフラの軽減を図るというスタンスです。売るための開発ではなく、安心して使うための開発です。そこには、企業間の競争は高次元で解決していきます。

生命保険のオープン化

 リスクは統計の世界ではない。生命保険も同じように考えればいい。必ず、死ぬ世界において、保険は掛けられない。

 実際、65歳以上の死亡保険では、葬式代ぐらいしか考えていない。養育費は考慮されないから。死ぬのが当たり前の世界で何の保障がいるのか。子ども自体をコミュニティで扱うようになれば、それもいらないでしょう。

葬祭の隆盛

 生協の葬祭部はそれを売り物にしていく。葬式の時にいかに盛り上げるか。個人の存在をいかに成り立たせるか。日本の仏教はそれで成り立っています。葬式にしても、法事にしても、社会のルールになっているだけです。それも崩れるでしょう。

 今は、結婚式場がつぶれて、法事の場所に切り替わっています。出雲殿も結婚式場を潰しています。皆、結婚式をしなくなりました。あんな面倒なことはしない。その流れをコミュニティでどう持っていくのか。

革命家の志

 トロッキー、チェ、マスードがなぜ、いまだに印象に残っているのか。志半ばで亡くなったからです。

相手を知ること

 状況把握こそ、相手を知ること、コンカツでも一緒です。結婚するにしても、相手の状況を知ること。特に、インテリジェンスはそれによって、成り立っています。

 状況を知るところから、さらに深いところまではいっていかないといけない。イスラム国はあんな形で成り立っているのか。その根底は何か。それらから、自分に反射させるとどうなるか。
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