未唯への手紙

未唯への手紙

図書館活動を豊かにするための資金繰り

2015年03月16日 | 6.本
『29歳で図書館長になって』より

資料購入費の使い方

 資料の購入費は中長期的な視点に立って計画的に使わなければならない。一年だけで考えるのではなく、どのような品揃えにするのか計画を作る。来館者の反応を見ながら計画の継続・修正をおこなっていく。資料購入費は商品を買って陳列するための貴重な原資である。本やCDを買って棚に並べることは、服や靴のセレクトショップで働くバイヤーの仕事に似ている。

 資料購入費に関わる用語は整理する必要がある。実は人によって捉え方が若干違っている。まず、資料購入費といった場合は図書館資料の購入に費やす総称である。これから本を買う図書費、新聞や雑誌を買う新聞雑誌費、CDやDVDを買う視聴覚資料費などに大きく分かれる。「資料費が減った」と誰かが言ったときに資料購入費を指すのか、それとも図書費だけが減ったのか確認をしたほうがいい。次に図書費は装備費を含んでいるのか否か確認をしたい。図書館に置いてある本は書店にあるものとは違って図書館名が記されたバーコードや背ラベルなどを貼って、本の表紙を透明のラミネートフィルムで包んでいる。これを業界では「装備」といっている。もちろんお金がかかる。装備費という。仕様や形態によって一冊につき二百十円、二百六十円などの単価になる。前述のように、この装備費が購入経費に入っているか否かは大きい。ほかの自治体と比較するときにA自治体では装備費を含まない金額、B自治体では含んだ金額になっていることがある。事情がわかっていなく「B自治体のほうがA自治体より購入経費が高い」と言っても、実は装備費を除けばA自治体のほうが予算をもっていることもある。資料購入費は業界でもよく話題になっている。議論をするときは注意したほうがいい。特に予算編成の時期には担当者から隣接する自治体と比較されがちである。「うちは近隣の自治体より高いから同じくらいにしてもいいのではないか」と言われたときに、何も知らないと反論もしづらい。

 図書の資料選択の方法としては大きく三つある。一つ目は、書店や取次といわれるところから定期的に本が図書館に送られてくるものがある。業界用語で「見計らい」といっている。二つ目は図書館員が書店に行って買う。三つ目は新刊書のカタログを使って買う。この三つをうまく組み合わせれば、資料購入費を適切に使うことができる。筆者は過去に見計らいを経験したことがある。毎週、所定の図書館に各館の担当者が集まって書店から段ボールで送られたものを取り出し、棚に並べて購入するか否かを決める。買わないものは段ボールに詰めて書店に返す。買わない数が多いと段ボールに入れる作業が大変である。全体的に返本が多いと「返本率が高い」と言われる。実際に手に取ってみることができるのはメリットである。しかし、高額な専門書は見計らいからはずされることが多い。たとえば、四千円以上するものが送られてくることは多くはない。返本される可能性が高いからである。特定の分野の本を買いたいときには、書店に行って現物を見たほうが専門書や高額な図書も手に取ってみることができる。新刊図書の買い漏れをなくしたり、どのような本があるのか網羅的に見たいときには新刊カタログが有効である。カタログによっては本の表紙が掲載されていて想像しやすく、簡易な紹介文が記されている。隣にはバーコードがあり、スキャンすることで発注がすみやかにおこなえる。

 資料購入費の内訳にも関心をもったほうがいい。資料購入費のなかで図書費は予算が多い。多いため、予算の使い方次第でその図書館のレベルがわかる。新刊書を買って商品の鮮度を保つことは大切である。しかし、出版年が古いからといって安易に新刊書に入れ替えるのではなく、いまもっているものの利用を促すことも考えなくてはいけない。図書館としての得意分野の充実度やレベルを維持していくために、ある程度の蓄積は必要である。半年や一年で使われなくなる本の購入を控えることもあるだろう。情報の速報性という観点から、特定の専門新聞や専門雑誌を購入するために図書費の一部を新聞雑誌費に入れることも考えるべきである。本だけではなく資料購入費の内訳と現状を認識すれば予算を上手に使うことができ、置いてあるものが充実する。

図書館グッズの販売

 図書館でも博物館のようにグッズの販売をおこなってみてはどうだろう。理由は二つある。一つは収入のためである。二つ目は図書館のPRである。後者のことについては河合美穂が「外国の公共図書館では、収益を財政に当てるためというより、図書館のPR活動として意義付けしている」と述べている。日本の公立図書館では物販はまだ少ない。今後、それぞれの図書館が地域の特性を生かして販売を実施していくべきである。

 大阪市立中央図書館では二〇一三年から一階エントランスにライブラリー・ショップをオープンした。文房具や書籍、食品を販売している。千代田区立日比谷図書文化館には一階に本や文具を扱うショップと、無線LAN完備(コンセントが三十口以上)の六十席のカフェが融合した店がある。山梨県の山中湖情報創造館では○七年からライブラリー・ショップを始めた。山中湖にゆかりのあるものが販売されている。山中湖村在住、あるいは活動拠点にしているアーティストの作品もある。埼玉福祉会は日本図書館協会と提携し、アメリカ図書館協会のグッズを販売している。サイトを見るとマグカップや帽子、傘、カードフォルダーなどさまざまである。

 グッズは売れるもの、儲けがあるもの、PR効果があるものにしなければならない。地域の名産や伝統工芸と連携して図書館オリジナルのグッズを作るのもいいだろう。ヒントになるのは大学で販売しているオフィシャルグッズだろう。エコバッグ、クラッチバッグ、クリアファイル、ポストカード、文房具、タオル、ハンカチ、Tシャツなど。図書館で大規模な展示をおこなう場合は博物館のように期間限定の商品を開発するといい。

 グッズには図書館のことがわかるような目印を入れる。安易に図書館名だけ入れても売れない。想像してほしい。エコバッグに大きく図書館名が入っていたら使うだろうか。あまり使いたいとは思わないだろう。

 目印として図書館を象徴するシンボルマーク、図書館名を象徴的に表現したシンボルロゴ、公式キャラクターなどを考案しグッズに入れる。昔、サブバックとして高級ブランドの小さな紙袋を使うのがはやったことがある。デザインがよく、丈夫である。また、一種のステータスの誇示でもある。高級ブランドとまではいかなくとも、外で使えるもの、「あのロゴはどこの?」「あのキャラクターはなんだろう」と見た人が気になるもの、ちょっとした自慢ができる目印がほしい。

 このように売れるグッズを作れば収入もある程度見込める。収入は図書館活動を充実するため、本の購入や家具の購入、新商品の開発費用など多岐に使えるだろう。

地元企業の商品を置く

 地元企業と連携して収入を得ることも考えられる。地場産業の支援は役所の部署としては産業振興課になる。図書館でも、地元企業で作っている商品の一部を館内に広告として置く。広告料を企業からもらうのである。自治体の施設のなかでも図書館は多くの人が来館する。来館者は幅広い年齢層だ。新聞やテレビ、チラシなどの広告はいまでも有効だが、見た人の生の反応は見ることはできない。購入があれば反応があったとわかるだけである。地元企業の人が図書館内でチラシを手に取る来館者の様子を観察してみてもいい。消費者の率直な感想を聞けるだろう。地元企業にとっても商品開発のヒントになる。産業支援の場を図書館で提供していることになる。

 飲食物では生ものを実際に図書館内に置くのは難しい。写真や解説を記したチラシが限界だろう。乾物や製品は安全上問題がなければ図書館に置く。大型製品であれば館内のある区画に置く。小物であれば、本棚の間や本棚に関係する本と一緒に置く。図書館は本をテーマ別に分けて本棚に入れているから何かしら関係するものはある。実物と関係する本があると実際に使ってみたいと思ったり、その本を読んでみたいと思う。相乗効果を発揮する。館内秩序を乱さないのであれば、製品の使い方を家電量販店でおこなわれているデモンストレーションのように、地元企業の担当者が来館者に紹介してもいいと考える。実際におこなうときは、時間と場所を決めて入り口に来館者にわかりやすく掲示する。図書館は場所を提供するだけである。

 図書館の来館者には地元にどのような企業があり、どのようなものを生産しているのか知ってほしい。日本国内だけではなく世界でも売れているものがあるかもしれない。そして一般の人が購入できる製品なら購入して使ってほしい。自治体内ではフェアなどの催しものがおこなわれ地元企業が出展している。そこには、興味をもって行こうと思っている人しか行かないのである。いっそのこと、特に興味があるわけでもなく図書館に本を返しにきた人がたまたま置いてある製品を見たときの反応を企業が見たほうが、売り上げを増やすためのヒントになると思う。

 図書館は製品の番をしたり、来館者に紹介したりはしない。図書館は、地元企業と置く製品の打ち合わせをする、関係する本を考える、ブックリストを作成する、後日に広告料金をもらうだけである。手間がかかるのは最初の打ち合わせである。けがなどの危険があるものは置かない。この打ち合わせが両者噛み合ったものになれば、製品を上手に宣伝することができる。

想像と創造のための設備と施設

2015年03月16日 | 6.本
『29歳で図書館長になって』より

巨大スクリーン

 最低でも三百インチはあるスクリーンを用意する。小さなスクリーンではなく巨大なものである。用途はいろいろある。たとえば以下のとおりである。図書館の情報発信。来館者が図書館にあるものを使って作った映像を流す。地域の様子を映し出す。ときにはパブリックビューイング、災害時の情報提供に使う。

 図書館の情報発信の例としては、近々おこなうイベントの告知とすでに実施したイベントの様子を放映する。講師を招いた講演会をおこなうとする。その人がほかの場所で過去に話しているときの様子を一部映して関心をもってもらう。後日、定員に達して会場に入れなかった人のためにイベントの様子の一部を流す。少しでも不満を解消してもらうのと同時に、これから図書館でおこなわれる行事に関心をもってもらう。いまは、過去の行事の様子をダイジェストで流している図書館はほとんどない。図書館でどのような行事がおこなわれているのか外部に向けてもっと示していくべきである。

 来館者の想像と創造は映像でも可能だと考える。印刷媒体や目に見える形ではすでに述べたようにそれぞれ自己表現する場所はある。形にならないものは映像で流す機会があってもいいと思う。アニメーションやコマーシャルのような短時間のものもいいし、ドキュメンタリーやドラマ、映画でもいい。映像表現についても関心を起こすようにしてはどうだろうか。可能性は低いが、たまたまその映像を見た人が映画監督で、映っている人を出演者に起用するという夢物語があってもいい。あるいは、制作した映像を図書館で発表していた人が、数年後に映画監督として著名になるということだってあるかもしれない。いつか図書館から俳優や映画監督が誕生するということである。うまくいけば、その巨大スクリーンを使って新作映画の試写会をおこなってもいい。

 自治体の広報課やケーブタテレビがたまに地域の様子を撮影して流すことがある。けれども、あまり見られていない。DVDなどで広報課がもっている場合は借りて地域の情報を流す。図書館に来たついでにスクリーンに映されていれば少しは興味をもって見るだろう。その場合、来館者数が多い図書館でおこなうことが肝要である。

 パブリックビューイング、災害時の情報提供は頻度としては少なくなるだろう。しかし、効果はあると考える。パブリックビューイングとはスポーツの試合を会場外の大画面で見せることである。日本のパブリックビューイングの原点は、テレビが家庭に普及する前の一九五〇年代におこなわれた街頭テレビからだといえるが、現在のような方法が採用されるようになったきっかけは、八八年のオリンピック・ソウル大会だったといわれている。

 二〇二〇年に開催予定の東京オリンピック・パラリンピックでは図書館の巨大スクリーンでパブリックビューイングが実現できたらすばらしいと思う。現地で応援したいが行かれない。そこで行き慣れた場所に集まってアスリートを応援する。しかも、図書館内であるため、日焼けや雨など気にしなくてもいい。図書館としては、その際には、関連資料の展示や元アスリートの講演会なども企画したい。

 大規模災害が発生したときには、スクリーンにテレビのニュース番組を映して情報を提供する。巨大なスクリーンだからこそ館内にいる来館者に効果的に見せることができる。

 なお、緊急時のとき以外にスクリーンを使って映像を流すときはあらかじめ使用する時間を決めて、事前申し込み制にする。館内で本や新聞を読んでいる人に配慮した運用をおこなう。

カフェスペトス

 カフェなどの軽食がおいしくてくつろげるエリアがあるといい。図書館を利用中に、「小腹がすいた」「のどか渇いた」と思ったことはないだろうか。館内で隠れて菓子パンを食べたり飲みものを飲んだりしている人を見る。こそこそしている様子を見ると、堂々と飲食ができるカフェがあってもいいと考える。わざわざ図書館の敷地外に出なくていいようにカフェを設置する。調べものや読書の合間に息抜きをするためである。いくつかの図書館では喫茶室や食堂がある。おいしいものを提供しているところもあれば、残念なところもある。経験上、図書館で提供しているものは残念な場合が多い。理想はホットのブラックコーヒーが砂糖など何も入れなくてもおいしく飲めるクオリティーである。本を読むためではなく、カフェで販売されているパンや飲みもの目当てに図書館に来る人があるほどの商品を提供できればいい。だが、一般的なカフェを設置するだけではおもしろくない。図書館的な発想として、小説や絵本に出てくる料理や飲みものなど本と関係があるメニューも出す。地域の農産物支援の意味を込めて食材は地元のものを使用し、農産物をアピールするメニューも提供する。

 カフェの場所については図書館部分と分けたほうがいい。来館者に分かれていることをわかりやすいようにした構造にしたほうがいい。理由は大きく二点ある。

 一点目は本や雑誌などを守るためである。本や雑誌に飲みものがこぼれたときの対応である。カフェで読みたい場合は、その本や雑誌を借りる処理をしてからカフェに持ち込んでもらう。そうすれば、もしカフェスペースで読んでいるときにコーヒーをこぼしてしまったときは弁償になる。館内で自由に飲みものを飲めるようにすると飲みものをこぼしたときにカウンターに申し出ず、こっそり見つからないように棚に戻してしまう場合がある。誰が汚したのかわからなくなる。かつ、汚れた本を棚を整理しているときに見つけたら廃棄するしかない。

 二点目は香りとニオイである。パンが焼けてオーブンの扉を開けたときの一瞬の香り、コーヒーを入れたときの香りはいいものだが、香りがどこからか漂ってくることを嫌う人もいる。香りではなくニオイになるのである。図書館には不特定多数の人が来館する。来館者にとって香りになるのかニオイになるのか一概にはいえない。落ち着いて本が読めない人が出ることも考えられるのである。

 カフェを利用する人、利用したい人、利用しない人を考えて設置場所、提供するメニュー、品質を考えることで来館者の満足度は高くなる。どのような来館者がいるのか調査をおこない、近隣のカフェと差別化していく。

ライフログの効用

2015年03月16日 | 1.私
『スマホにまんぞくしていますか?』より ウェブ時代のトレンド

ライフログの効用

 古いアイデアを復活させようとして昔の日記を読んでいたら残念な話を沢山思い出して気分が鬱になってしまったことがあります。インテルの社長だったゴードン・ベルは、自分の行動すべてを記録するいわゆる「ライフログ」を長年実践して普及を呼びかけていますが、嫌な体験を簡単に思い出せるといろいろ不都合があるでしょう。

 もちろんライフログ提唱者もこういう問題点については重々認識しているのですが、利点の方が多いのだから我慢すればいいと考え咎人が多くいます。しかし、本当に嫌な記憶は完全に忘れてしまう方がいい、ということは明らかでしょう。嫌なことを思い出しそうになったらすかさず別のことを考えるといった「忘れる技術」が重要だと私は思っていますし、大抵の人は嫌なことを思い出すのはまっぴらだと思っているでしょうから、単純なライフログが流行することはあまり想像できません。

 残念な日記などについては「残念タグ」をつけておき、元気なときだけ閲覧できるようにするといった工夫があればいいのでしょうか。それとも本当に完全にログがついているなら、自分の気分も記録されているはずなので大丈夫なのでしょうか。

 行動の完全な記録があれば、「きょうはいしやにいった」を漢字に変換しようとするとき、実際の行動に応じて「今日は医者に行った」とか「今日歯医者に行った」と変換できるのでしょうか。いずれにしても、普通に行動をログするだけではあまり意味がないので、様々な工夫が必要になりそうです。

貧乏な記録

 パソコンで作成中の文章が何かのトラブルで全部消えてしまった、という経験を持つ人は多いと思います。昔のコンピュータは計算速度も記憶装置も充分ではなかったので、重要なデータを編集している場合は気をつけて、データをときどきファイルにセーブして使うのが普通でした。しかし、現在のコンピュータの速度や記憶容量を考えると、とくにユーザセーブ操作を指示しなくても、重要データは常にセーブするようにしておいても問題ないはずです。

 極端な話、1秒に10回キーボードをタイプするという行為を、1日10時間100年間実行し続けたとしても、10文字×60秒×60分×10時間×365日×100年=13ギガバイトしか入力できないわけですから、人間が入力、編集できる量はたかが知れています。コンピュータの操作をすべて記録しておくようにすれば、作成したデータが消えて困ることなどなくなるでしょうし、以前作成した情報を取り出すこともできるはずです。

 不要と思って捨てたデータが後で必要になることもありますから、少なくとも自分が編集したデータぐらいは全部記録しておくべきでしょう。不要な動画ファイルなどを死蔵してディスク容量を圧迫するよりも、自分の操作情報をすべて記録しておいた方が有益なことは間違いありません。

 しかし現実には、あらゆる編集操作を記録しているシステムはほとんど存在しないようです。よく使われているワープロも表計算ソフトも、自動的にファイルをセーブしてくれる気配はありませんし、データを入力して登録したと思ったら「データが間違っています」などといって入力フオームをクリアしてくれるウェブサービスに驚かされることも日常茶飯事です。

 21世紀になってもこのような状態が続いているということは、あらゆる操作処理を記録しておくことの重要性がまだまだ認識されておらず、パソコンのメモリやディスクは大事に使わなければならない、という昔の貧乏根性から逃れられていないのでしょう。

 あらゆるシステムにこういう問題があるわけではありません。一時流行したパームというPDAの「メモ帳」には「セーブ」機能が存在せず、入力した文字はすぐに内蔵メモリに書き込まれるようになっていたので、データのセーブ忘れというトラブルは発生しませんでした。しかし、残念ながら編集操作をやり直す(undoする)機能はありませんでした。

 またウィンドウズ上のメモシステムとして定評のある「紙S賢」のように、自動セーブや編集のやり直し機能を充分サポートしているソフトウェアもありますが、こういう製品はまだ少数派であり、業界に浸透した貧乏根性の完治には時間がかかりそうです。

 既存のシステムでも、工夫次第で貧乏状態を脱出できる場合があります。UNIXユーザの問で昔からよく利用されているEmacsエディタは、初期設定のままだとセーブ操作をしなければデータは保存されませんが、カスタマイズを行なうことによって問題を解決することができます。

 山岡克美氏と高林哲氏が作成したauto-save-buffersというプログラムを利用すると、O・5秒操作が止まるとファイルが自動的にセーブされるようになっているので、ファイルセーブに失敗するトラブルを大幅に減らすことができます。最近のコンピュータの場合、よほど巨大なファイルを編集する場合以外、頻繁にファイルをセーブしてもとくに動作が遅くなることはありませんし、Emacsは強力なundo機能が装備されているので以前の状態に戻すことも簡単です。編集を完全に終了してしまうと以前の状態に戻すことはできませんが、gitやSubversionのようなバージョン管理システムを併用すれば、昔の状態に戻すこともできるようになります。

 最近はウェブ上のウィキで情報を管理することが多くなってきましたが、ブラウザ上の編集インタフェースは激しく貧乏度が高いので、編集中のデータをセーブしそこなってしまうこともありますし、一度編集すると昔の状態に戻すことができないのが普通です。一方、紹介したGyazzというウィキシステムでは、ブラウザでのテキスト編集情報をすべて記録しているので、常に古い状態に戻すことが可能です。次ページの上の図はラジオで聞いた「ready to prime time」という表現をGyazz上の単語帳ページに登録したもので、意味、用例、関連情報が登録されています。この状態でundoキーを何回か押すと下の図のような状態になります。

 「ready to prime time」というフレーズは辞書に載っていなかったため、人に聞いたり検索し直したりして編集を行なったわけですが、単語帳システムではundoキーを押すことによって編集履歴をすべてたどることができます。また、データの古さに応じてバックグラウンドの色が変化するので、いつごろ編集されたデータなのかを判断しやすくなっています。

 Gyazzには書き込みボタンが存在せず、編集結果はすべてセーブされるようになっています。貧乏なシステムに慣れている人にとっては、本当にデータがセーブされているのか不安になるかもしれませんが、undo操作で編集状況を確認することができればこういった不安は減ってくるでしょう。

 パソコンやウェブ上で貧乏性が払拭されるにはまだまだ時間がかかるのかもしれませんが、この程度の機能であれば簡単に組み込めるので、あらゆる場所でこのような機能が常識になってほしいものだと思います。

未唯空間第7章販売店のロジック

2015年03月16日 | 5.その他
未唯空間8.2.3を見ていった時に何が重要になるのか。

 販売店はお客様とのやり取りがあるから、その時にお客様ポータルを作り上げることです。お客様からの発信してもらって、それを受けて、やることを決めていくことがポイントです。だから、お客様ポータルが一番目です。

 二番目は、販売店での知恵を生かして、その地域でいかにつながっていくのかというのをやります。

 三番目はメーカーがローカルという分化した世界に対して、グローバルとしてどうやっていくのかという観点でメーカー情報を使っていく、お客様と販売店とメーカーとの間の情報共有が地域の中の大きな力になっていく。企業を取り込んだカタチでのコミュニティを使いだしていく。

未唯空間8.2.4「車を生かす」となります。

 よく、ここまでロジックを作り上げてきたものだと、我ながら感心します。

 まず、販売店からアウトリーチしていくこと、市民と一緒になってモノをつくり出す。それが最初に来ます。これが環境社会のベースになります。その時の販売店の役割、メーカーでの役割を見出します。市民と一緒に考える時はあくまでも個人としてのレベルです。

 二番目は地域の中でクルマをどうしていくのか。車はベストでもベターでもない。エネルギーも使うし、地域のインフラもタダ食いしています。地域の中で車の位置づけを明確にします。都会と田舎では違うし、富山と徳島では違います。そういうものをどうしていくのかというところです。

 この中には、駐車場問題、道路占有問題とかも含みます。土地が一杯あるところとそうでないところで違ってきます。それは地域で何を重視するかで決めていけばいい。

 大きいのは、地域のコミュニティで、これをいかに商売にしていくのか。現実問題では、個人ではダメで、コミュニティでの仕事にしていく。電気自動車とか地域エネルギーもここでやっていきます。当然、インフラとの関係が大きい。共有地という意識をもつ。

 電気自動車のエネルギー共有、車の大きさもあるし、どう使っていくかのシェアの問題もコミュニティで考えていきます。有限なリソースを皆がやっていくかということです。

未唯空間8.3「地域要望」に応えることです。

 これは富山の販売店にとって、大きなテーマです。日本全体にとっても、大きなテーマです。地域の中でメーカーがいかに生き残るか、役立つか。これはパートナーのメインテーマです。そのために、全てを習得したシステム設計をしないといけない。

 まず、最初に夢を聴くこと。メーカー視点ではなく、地域視点です。そこに住んでいる人の夢を聴く前に販売店の夢を聴くことです。まず、お客様との接点をつくり出すこと。そのために、中途半端になっているお客様ポータルをいかしていき、販売店ポータルとつなげていく。その上で、コミュニティでの事例を横に展開していく。

 パートナーは販売店が試みた事例を展開していくことになる。その地域での声をまとめていく。何をしたいのかをまとめて、メーカーに伝えること、それを行動に移すこと。スタッフのレベルで市民との信頼関係を作り上げていく。

 それを基にして、メーカーと情報共有する。そのためにネットワークとしては、お客様とのソーシャルネット、販売店のなかのネット、メーカーとのイントラネットの三段階のループを使っていく。

 その結果として、市民が何を考えて、何をしたいのか、インフラをどうしたいのか。モバイルもその中でやっていく。フロー情報とストック情報を同時に活用していく。メーカーの役割をハッキリさせていく。何をしたいかをハッキリさせることです。

コミュニティの観点

 観点はコミュニティ側に移ります。ベースとしては店舗のコミュニthがあります。そこでやって事を地域コミュニティに反映させる。最初はナレッジです。

 店舗の中でナレッジをつくり出す。そのためにコラボレーションとか集合知をスタッフが中心となって、カタチにしていく。ナレッジはストック情報です。それに対して、フロー情報をいかに最新にしていくのか、そのためにネットを共有していくことです。ソーシャルも全て嵌ります。

 その上で情報共有のメッセージを作り出すことです。皆が発信できるようにして、そのメッセージを受けて、まとめていきます。そのためのデバイスは揃っています。ナレッジはコンテンツとして、知識として埋め込みます。その中にはYoutubeのようなコンテンツもあります。それが地域コミュニティのべーすとなり、つながっていきます。

地域への支援の観点

 次は地域への支援です。見方としてはコミュニティですが、それをいかに販売店として支援する。チームの意識をつくり出すということ。どのようにして意思決定するのか。そのサンプルを店舗の中で作り出す。あくまでも、それは展開するためです。そのためのスタッフの武器も確認します。何が必要なのかを試行錯誤します。

 狙うのはシェア社会。そのための体系を見直すとか、地域での問題点をハッキリさせることを販売店の立場からハッキリさせます。だから、地域との連携です。

 最終的なカタチは環境社会です。様々な問題が起こります。それに対する、シナリオをつくり出します。組織の分化の始まりです。

第7章販売店のバランス

 環境社会まで進んでしまった。まだ、7.3の終わりぐらいです。まだ、5つもあります。バランスをどうするかです。環境社会として、地域の循環を考えます。そのポイントとして、4つの項目を使います。

 販売店だけでなく、地域全体から見た形になります。最初がファシリテーターです。この時点では、パートナーは販売店の枠を超えて、地域のファシリテーションしています。システム設計の役割を担います。全体をどう見ていくのか、事例を横展開する事務局をつくり出しています。

 そして、地域から行政・企業に対してインタープリターしていきます。それをここで試行します。地域自体で目指すのは、コンパクト化です。状況把握して、お互いさまの世界を作りだして、その上でコンパクト化します。オープンであり、クローズドな世界です。

「販売店」を超えていく

 同じ名前でも、同じ事柄でも、意識が上がってきたから、内容が拡大してきています。販売店の枠を小さく見ています。

 8.3まででシナリオはできてしまいます。では、他との関係は。8.4はデータ活用、つまりシステム設計です。ここをシステム設計に変えます。ほとんどデータにしているけど、パートナーがやる仕事にしていきます。


ざまあみろ!の感覚

2015年03月16日 | 1.私
スケジュール

 6時半起床。夢見が悪かった。乗り換えでお金のことでもめていた。

 8時から、雑記帳の資料の確認。

 10時からスーパーへ。駐車場に入るまで、15分ぐらいかかりました。

 お昼はスーパーのカツどんです。奥さんが三つ買いました。

 12時です。今から、また作業開始です。

 14時です。豊田市の駐車場に到着です。

 16時から奥さんのリハビリで整形病院。

 17時半です。今からリハビリだって。16時から駐車場で待っています。結局、2時間の待ちです。家には18時半に到着。

ざまあみろ!の感覚

 <死>の時を考えると、ざまあみろ!という感じです。137億年に対して。今の死が反映しています。

おとめ座との相性

 今日の星占いはいいけど、おとめ座との相性は57点で11位です。

 今週は木曜日が最高。メールに期待しましょう。

定年後の厚生年金

 厚生年金とか見たけど、よく分からない。とりあえず。また、明日。

 いつになったら、どうなるのか。

 本当にどうでもいいことなのに。

駐車場問題

 車の大きさが問題です。それと駐車という仕組みが問題です。折角、ここまで文明を作ってきたけど。

 このスーパーでは、4つのジャガイモが、夫妻となると、倍になります。だから、年老いた夫婦連れの多いこと。

 未唯空間の第8章を確認していた。気になるのは、車の使い方です。街に来るといつも思うのは、駐車場の問題です。朝のスーパーの駐車場も何とも、ひどいものです。

 最低限でも、なぜ、自分たちはこんなに大きな幅を使うのかを意識しているのか。これが本当にベターなのか。もっと、違う方法があるんじゃないのか。

 そこから、地域として、どのように車を位置づけていくのか。車が集まることは正義ではない。

<われわれ>という分類

 中々、われわれという気分になれない。<私>は分かるけど、他の人との同一性が分からない。

駅前のスタバ

 メバエが居た。金曜日以外にも居るんだ。一生懸命やっていた。

 春休みのせいか、やたら、女性で混雑しています。心が騒ぎます。

未唯空間8.2.1「車の状況」

 リハビリ待ちの駐車場の車の中で、未唯空間の第8章の検証。

 8.2.1「車の状況」を拡大しましょう。シェアのために。そして、車の有効活用。使うということのために。車を通信基地として、社会の一部品として、使っていくという発想です。当然、公共機関があるから、車としてつながるのも、単に従来のカタチではない。

 車一台を完全にシェアしてくるし、販売店を通信基地にすれば、クライシスの時に役に立つし、誰がどこにいるのかという状況もハッキリする。なにしろ、車の中にはバッテリーも燃料も電気もそこにあるのだから。その為には、車の位置づけを変えていくことです。車の後ろにお客様がいる。それがペアではなくて、色々な組み合わせを可能にする。それがシェアの考え方です。

 車を独立させていきます。お客様との包含関係も変えていきます。販売店は車を売ることよりも、車を使うこと。どこにどういうカタチであるのかの通信基地とすれば、完全に新しいモデルができます。その上で、車とお客様との関係をしていく。そこでは大容量データをどう扱うかのセンター側の技術が生かされます。紐付けは最後です。

 販売店はお客様との信頼関係を生み出して、売ることにも生かします。だけど、土日をどう過ごすのかも支援します。

未唯空間8.2.2「マーケティング」

 従来の販売店が個々で行ってきたことをいかにまとめることで、メーカーの後方部隊が前面に出てくる形になります。やることは新しいマーケティングをつくり出すことです。それはあくまでも、メーカーの論理とか作ることの論理とかではなく、使う方の論理に変えていきます。販売店が個々でやっていることを勇気づけていきます。

 商品戦略を変わってきます。インターネットとかつながるとか電気自動車でのシェアとかコミュニティとの関係とか新しい商売とかは商品としてやっていきます。

 一番、大きな商品はシェア車です。どこにどういうカタチであるのか、だれがどう使っているのか、その状況を大量データとして把握して、人と車とメーカーが循環する形です。そこで、情報企画、ケータイなどを含めた総合力が発揮されます。つながるための情報、つながるためのコミュニケーション、そして、コミュニティとの連携、そのためのフレンドを使って、販売店を動かしていきます。意識付けを変えていきます。

 本来のB-B-Cをここで試すことができます。社会のスマートセンターもココに配置されます。販売店での情報処理を使って、お客様を取り囲む形です。そして、流れをつくり出していきます。

 その意味では、8.2の位置付け自体が変わってきます。販売店をいかに盛り上げるかとか、いかに商売をするとか、いかに売るというところから、いかに社会を持続させるかということになります。だけど、メーカーとして行うのは、地域としての販売店を生かすカタチにします。そこから発想しないとメーカーの論理だけではできなくなっています。なにしろ、多様化の世界とグローバルな世界を対峙させます。