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幸福に死ぬための哲学 愛と孤独 自分

『池田晶子の言葉』より 幸福に死ぬための哲学

愛と孤独 孤独の味わい型

 孤独を味わう

  子供の頃、叱られて押入れに入れられるのがまるで平気だった。ごめんなさい、もうしませんと謝るどころか、もういいと言われるまで、好んでそこでじいっとしていた。やがて自ら進んで押入れの中に閉じ龍る時間をもつようになったけれども、今思うと、あの感覚が雨に龍る感覚に似ている。空間的に閉じ寵ることによって、逆に内に開ける。内的空間のあの親密さ、自分を感じるとか、自分を味わうとか、そういう孤独の味わい方を、すでにその頃、知っていたようです。真っ暗で無音の押入れの中でじいっとしていると、自分という存在の不思議を、つくづくと感じることができた。押入れは、私にとって、宇宙への入り口というより、宇宙そのものでしたね。

 本当の友情とは

  本当の友情、本当の友だちこそがほしいのだけど、いない、と悩んでいる人が多いみたいだ。でも、いなければいないでいい、見つかるまでは一人でいいと、なぜ思えないのだろう。

  本当の友情というのは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、生まれるものでは決してないんだ。なぜだと思う?

  自分の孤独に耐えられるということは、自分で自分を認めることができる、自分を愛することができるということだからだ。そして、自分を愛することができない人に、どうして他人を愛することができるだろう。

 疑わなければ、信じられない

  人間は、まず自分を信じていなければ、他人を信じることはできません。自分の中の普遍的なものを見出すことで、自分を信じると同じに他人を信じることができるのです。普遍的なもの、つまり、誰にも共通のその真実を見出すためには、人は考えなければなりません。考えるということは、疑うということです。自分の、他人の、あらゆる言動や心の動きを、これは何か、本当か、真実はどこにあるのかと、徹底的に疑うことで、真実は初めて見出されるのです。だから人は、疑わなければ、信じられない。そして、信じていなければ、疑えないのです。

 わかる力は愛である

  「わかろう」という意志、これは何か。言うまでもない、優しさである。わからないものをわかろう、自分ではない他人をわかろう、この想像的努力のまたの名は、ほかでもない、愛である。愛のない人にはわからない、愛のない人が、わかっている以上のことをわかることはあり得ない。なぜなら、最初から、わかる気がないからである。わかる気のない人に、なぜわかるわけがあるか。愛していないものを、なぜわかる気になれるか。

  わかる力は、愛である。えてして人は気づいていない、真の知力とは、愛する力であることを。

 愛とは、

  内に引き寵もるほど、外へ開ける

  完結することで、底が抜ける

  自分と他人を分けられないのは、他人とは自分だからである

  愛とは、つまりこういうことである

自分 「自分探し」で自分は見っからない

 本当のプライド

  自分の人生は、自分の生きたいように生きればよい。他人にどう見られるかが、なぜ問題か。

  問題は、自分に対する恥である。自分が自分に恥ずかしいと感じる、これが本当の恥である。

  自分に恥じない、それを「プライド」と呼んでみる。他人に恥じるのではなく、自分に恥じない。これが本当のプライドである。「本当」の根拠は天にある。天に恥じないことをしているから、他人にどう見られるかは問題ではないのである。

 あなたの親は親ではない

  あえて言いますが、親子の間で素直になれないというのは、たぶんに親のせいであります。親が子を自分の製作、だから自分の所有なのだと錯覚しているからなのです。

  しかし、そんな馬鹿なことはないでしょう。子供が自分の製作だなんて、精子と卵子の結合によりひとつの生命が誕生するという摩詞不思議なプロセスは、自然が用意したものであって、まさか人間の技ではない。ましてや、ある精子とある卵子の結合としてのある生命がその人であるなんて、これこそ奇跡、どうしてそれが人間の親がそうしようとしてそうしたことなんかであるもんですか!

  だから奇跡だと、繰り返し私は言うのです。御縁は奇跡、人知を超えた出来事なのだと。
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企業を変革する 新興国の国家資本主義による多国籍企業

『地球白書2012-13』より 企業を変革する 多国籍企業の誕生と拡大

近代の多国籍企業の前身はイギリスとオランダの国王の勅許を受けた貿易会社で、それぞれイギリス東インド会社(一六○○年設立)とオランダ束ィンド会社(一六○二年設立)である。それから数世紀後、国際企業は支配的立場を占めるようになり、その数は今や七万五〇〇〇社に上る。初期の植民地時代、貿易会社は宗主国の政治的および経済的な支配のために機能していた。「外国貿易」の概念は、これら貿易会社によって定着していく。

当初、富は商品の生産によってではなく、香辛料や絹、鉱物、そして終局的には奴隷の売買を仲介することで生み出されていた。貿易会社は王室に富をもたらすために仕えていたが、後には投資家に仕えるようになる。投資家の資本により貿易会社は拡大し、その見返りに利益を投資家に配分した。株主のおかげで企業は発展するという考えが定着し始め、株主優先主義が徐々に浸透していく。数世紀後、「株主価値[一般的には株式時価総額]」が近代企業の主要目的として正当化されることになる。かつて土地所有者が独占していた富は、民間投資家による貿易が生み出す富へと変わっていく。そこから経済のグローバル化か緩慢ながら着実に進み、第二次世界大戦後に結実することになる。

多国籍企業は、規模と進出地域の双方で拡大の一途をたどっている。あらゆる統計がそれを裏付けている。たとえば多国籍企業の海外系列企業の従業員数は、一九八二年の二一五〇万人から二〇〇七年には八一六〇万人へと増加している。同じ時期、海外系列企業の売上高は二兆七〇〇〇億ドルから三一兆二〇〇〇億ドルヘと一一倍以上の伸びとなっている。資産の増加幅はさらに大きく、二兆二〇〇〇億ドルから六九兆ドルヘと急増している。

図を見ると、この傾向がよくわかる。営業所、ロジステイック、コールセンター、研究開発をはじめとして、こうした企業においては全ての機能が、二〇〇八年から二〇一一年の間に海外での活動の比重を増やしている。企業の本社および他の意思決定中枢機関までもが海外に展開している。西側諸国にとって最大の懸念は、研究開発機能が本国から流出している事態であろう。これはバリュー・チェーンのあらゆる段階で、新興経済国が積極的に参入する能力を獲得していることを示唆している。その範囲は、新興国が長く携わっていた資源採取、加工、組立作業などの産業にとどまらない。

このように、二一世紀の最初の一〇年で多国籍企業を取り巻く状況が劇的に変化した。多くの企業が新興市場の消費者と人材により近い立地を求めている。特筆すべきは、新興国に本社を置く多国籍企業が増えていることである。これらの企業は大規模で優れた技術力を持ち、自らを世界経済において競争力ある存在と位置づけている。そして、こうした多国籍企業にあっては、政府がその所有権や監督権、補助金に関して、大きな役割を担っているのが典型である。

ブラジル、ロシア、中国では、この「国家資本主義」が原動力となり、多国籍企業を拡大させている。中国のシノペック、中国石油天然気集団、国家電網、ロシアのガスプロム、ブラジルのペトロブラスなど、国家資本が入った企業は、売上高で世界のトップ五〇にランクし、いずれも年間二〇○○億ドルを超えている。

今後一〇年間、新興国の経済は急成長を続けるとみられ、競争力ある企業は世界の未来を形成する主要な力となっていくであろう。しかし、西側諸国の企業ガバナンスや企業の社会的責任、倫理規範が、そのまま新興国の新たな多国籍企業に取り入れられるとは考えにくい。実際すでに、企業の決定権を持つ政府や役員は、二一世紀において公正で責任ある行動とは何かを定義する際にも、国益を前面に押し出しているのである。

多くの要素が絡み合い、未来を確実に予測することは難しい。鉱物や食料などの一次産品の確保や価格が不安定な状況下、通信技術やソーシャル・ネットワークの劇的な進歩によって、市民が業界や個別の企業に対して要求運動を起こすようになっている。これまで公的サービスだった教育や保健衛生を企業に求める圧力が高まっている。新興市場のチャンスに乗る企業は、最貧困の人々のために安価な消耗品やサービスを提供するよう求められている。これらの要素を考慮すると、現在は社会契約の根底にある、従来の慣習や信念に挑戦する時代にきているといえる。社会契約の当事者には、市民と政府だけでなく、新たに企業が加わっている。
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世界の無秩序なクルマ社会の現状

『地球白書2012-13』より 持続可能な交通輸送システムの実現に向けた取組

持続可能な交通輸送システムの必要性について、理解は高まりつつあるが、一方で、少なくとも一九七〇年代以来、クルマ社会の拡大はとどまるところを知らない。この先も、クルマ社会のいっそうの拡大が見込まれているため、交通輸送と持続可能な開発を関連付ける現在のアプローチから、一歩前進した早急な取組が求められている。持続可能な交通輸送システムの実現のためには、適正な制度の開発、資金協力、説明責任の枠組みづくりが必要である。に及ぶ可能性すらあるといえよう。

世界の運輸部門のエネルギー使用量は、一九七〇年以来、年間二・〇~二・五%の割合で増え続け、増加率はさらに高まるとみられている。自動車エンジンの燃費は年々向上しているが、自動車の平均的な重量と走行距離は増えていて、また大型化も進み、運輸部門のエネルギー使用量やそれに伴う社会的費用は増加の一途をたどっている。世界の自動車保有台数は、一九九〇年の五億台から、現在は八億台に迫り、IEAは、二〇五〇年までに、二〇億~三〇億台に達すると予測している。自動車台数増加や、クルマ社会拡大に伴う運輸部門のエネルギー使用増加量は、燃費向上の効果を大きく上回るため、運輸部門のエネルギー使用量は上昇の一途をたどるであろう。

クルマ社会化の傾向がこの先も続けば、運輸部門が、地球を壊滅的な気候変動に押しやる引き金となるばかりか、他にもさまざまな経済的、社会的、および環境的被害を引き起こしかねない。いくつかの国においては、大気汚染による健康被害から、交通事故、渋滞による時間の浪費に至るまでの被害総額が、国内総生産(GDP)の一〇%に及ぶ可能性すらあるといえよう。

《交通渋滞》

 多くの都市で、人口、所得、自動車保有台数、自動車走行距離のいずれも増加して、道路網は混雑を極めている。しかし、自動車インフラの拡大によって交通渋滞の緩和策を講じても、さらに車両移動を促進し、長期的には交通渋滞の深刻化につながる。交通渋滞は、さまざまな損失を引き起こす。商品の輸送費上昇、労働生産性の低下、自動車燃料効率の大幅な低下、ストレス増大、家族で過ごす時間の短縮といった犠牲を伴う。テキサス運輸研究所の試算によれば、二〇一〇年に、四三九のアメリカの大都市の通勤・通学者が経験する渋滞損失時間の合計は、四八億時間にも達し、▽几億ガロンの燃料が浪費され、渋滞による生産性と燃料費の総損失額はスビ○億ドルに及んでいる。イギリスでは、渋滞損失時間は、GDPの一・二%に相当するとされている。ペルーのリマ市の住民は、毎日、平均四時間を移動のために費やしていて、これが年間でGDPの約一〇%に相当する約六二億ドルの経済損失になっている。

《社会的包容と社会的排除》

 交通輸送は、人々が出かける場所、人々が入手できる物に直接的影響を与えることから、都市の公平性や社会的包容機能を決定する重要な要因となる。都市部の貧困層は、自家用車を購入する金銭的余裕がなく、クルマ社会の恩恵を受ける機会が少ないうえ、クルマ社会がもたらす脅威を直接的に受ける。適正な公共交通輸送システムを整備しなければ、市民社会から、さらに取り残される。このような社会的排除は、雇用、医療、教育、市場、あるいは社会的および文化的な行事を含め、都市生活のあらゆる側面に影響を与える。

 高速道路や幹線道路の拡幅など、自動車インフラに集中的に資金を投じても、貧困層への恩恵は無にも等しい。公共交通輸送システムが利用できるにしても、必ずしも安全とはいえず、運賃も高く、バスの専用車線がなく、自家用車と混在して走行するため、遅れも目立つ。自家用車は、もっとも非効率な道路の利用形態であるが、公道の大部分を専有しているのが現状である。最大五〇~七〇名乗車できるバスー台と、自家用車三台石I均的な合計乗恥人員数六名にすぎない)は、ほぼ同じスペースを必要とするが、バスの専用車線や優先車線を般けている都市は少ない。現在、世界人目はじ○偉人、走行自動車台数は八億台だが、世界の大半において、容易に自家用車を購入できるのは、ほんの一握りの人々にすぎない。質の高い持続可能性に優れた交通輸送システムに資金を投じ、徒歩、自転車、公共交通輸送システムを優先すれば、各国政府は、社会的および経済的な公平性を向上させるとともに、貧しい人々の生活を改善できよう。

 また、自動車への依存を高める投資により、平均移動時間はさらに長くなり、貧しい人々が職やさまざまな機会を得ることがいっそう困難になる。イギリスでは、▽几七〇年代以降、平均移動時間が四二%も長くなり、社会の最底辺層の人々の半数近くが、交通輸送手段を持たないことが職を得る際の障害となっていると答えている。サンパウロでは、最貧層の二〇%が通勤に一日平均四時間を費やしている。

 女性も、交通輸送システムによる社会的排除に直面している。女性は公共交通輸送システムのルートから離れた場所を移動することも多く、その利用は時間的にも、あるいは費用面でも大きな負担となっている。また、文化的にも、安全面からも、女性は、自転車などの移動手段や公共交通輸送システムを、夜間に利用することを控える傾向にある。
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ドイツ・脱原発への市民の学習 中心と周縁、政治と生活をつなぐリスク認識

『地域学習の創造』より

中心と周縁、政治と生活をつなぐリスク認識

リスク認識の存在について言及したい。市民測定活動は、原発立地地域の住民以外の都市部の住民、特に子を持つ親たちに、我が身に降りかかるリスクヘの不安を可視化し共有することの正当性を与え、これにより、地方の反原発運動に参加する動機を形成した。それまで地方の原子力施設立地地域における反対運動に参加する都市住民は、物理や医学などの自然科学の知識を持ち、左派系の社会運動に従事してきた若者たちが主だった。しかしチェルノブイリ後は運動に無縁だった普通の市民も、ハンブルクやブレーメン、べルリンから、高レペル核廃棄物処分予定地のゴアレーベンに、ミュンヘンやフランクフルト、ボンから、使用済み核燃料再処理施設建設計画のあるヴァッカースドルフに、大挙して押し寄せるようになったのである。社会運動研究では「不安」や「不満」が運動発生の要素とされている。子どもや家族の健康に被害が及ぶかもしれないことへの不安は、原子力施設立地を地域に押しつけられた当事者の不満と連続して共鳴することで、地域性や当事者性を超えた普遍性を反核運動に付与していった。それは同時に、常に中央から離れて配備される原子力施設立地地方の周縁性の犠牲の上に都市発展が成り立っている実態を、都市住民に自覚させる役割を担った。

子を持つ親としてのリスク認識の共有は、周縁の市民による再生可能子不ルギー自治への動きも大きく加速させる。事故後、バーデン・ヴュルテンベルク州にある人口約二万五〇〇〇人の村シェーナウでは「原子力のない未来のための親たちの会」が設立され、反原発だけでなく、エネルギーの消費者である自らが于不ルギー消費を抑制し、川下である消費から川上である生産の変革を進める活動を開始した。この団体の設立者のウルスラ・スラーデクが、チェルノブイリ以前は「政治に興味がなく、自分の家庭を守ることに専心する、典型的なドイツの主婦だった」と語るように、元来、母親たちにとって政治と生活は別のものだった。しかし原発事故によって家庭を守る行為のリスクと不確実性を社会的に押しつけられた母親たちは、それまでの政治的「控えめさ」に対する激しい自責の念にかられ、生活に政治を取り戻すことを余儀なくされる。シェーナウの「親の会」は、保守的な政治土壌の村の中で、再生可能エネルギーの選択の可能性を切り拓いていった。市民出資の再生可能子不ルギー会社「シェーナウ電力有限会社」となって、村が契約していた地域の独占電力会社から電力網を買い取り、市民自治の子不ルギー供給を展開したのである。周縁の小さな村だったシェーナウの電力会社は、全国的に有名になり、二〇一三年にはドイツ環境賞を受賞している。このように、普通の主婦の生活のための政治的ビジョンが、地域レベルの政治を徐々に変えていくさまは、ペルリンの市民測定活動のウミエルスキーたちが、測定活動の政治化で中立性が損なわれることを避けながらも、活動自体は市の測定行政に影響を与え続けたことと同様である。

中心と周縁、政治と生活をつなげグリーンな地域をつくり出す動きは、地産地消やオーガニックを促進する運動も活発化させた。市民測定活動を大学として行っていた北西部ニーダーザクセン州オルデンブルク大学物理学部は、一二年後の一九九八年に再びセシウム汚染を測定し、おおむね地域農産物の汚染の低下を確認したが、広域から輸入されたブルーペリージャムではEU基準値六〇〇ベクレル/キロを超える汚染を検出した。本来EUに輸入できないはずの基準値越え食品の流通は、多少割高であっても地元産を明記した食品を求める市民の要求を増加させた。また特に汚染の度合いの高かった南部のバイエルン州では、現在でも、秋の郷土料理に使われるイノシシをはじめとする野生の猛禽類の測定が義務化され、伝統食の汚染に対する市民のリスクコントロールが続いており、州都ミュンヘンの市民測定所である環境研究所が測定値を公表し続けている。測定か日常化したドイツでは、放射能だけでなく幅広く安全な食品を認証・公表する体制が充実し、「商品テスト」という、商品の値段や性能だけでなく環境負荷や安全性などを比較する雑誌で、食品特集が多く組まれるようになった。特に遺伝子組み換え食品への消費者の反対は根強い。地元産、非遺伝子組み換え、オーガニックという選択基準が確立されたことで、生産者の側にも、地域社会で環境に優しい農業を行う意識が定着している。現在ドイツはEUで最もオーガニック食品の消費量が多い国となっている。

普通の市民が持つ主観的な心理-認知的リスク認識が、政治的な異議申し立てである反対運動から、オルタナティブな行動のビジョンを提起する于不ルギー自治運動、そして地産地消やオ↓ガニック運動まで、幅広い行動領域で共有された社会-文化的リスク認識となっている。このように明確な政治的目的を掲げずとも、広い意味での政治的意思表明を伴う集合行為が地域社会に表出している点が、ドイツ反核運動の大きな特徴である。不安を乗り越えようとする社会-文化的リスク認識が発展したところで展開された市民測定活動は、中心と周縁、政治と生活を直接間接に結びつける役割を果たしたと言える。

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岡崎図書館の10冊

岡崎図書館の10冊

 336.4『データプレゼンテーションの教科書』図解と数字で説得する! 数値・データを「可視化」して魅力的に見せる表現技術!

 336『知識から知恵を創りだす方法』「問題解決」と「課題実現」のための

 763.7『初心者のサックス基礎教本』

 933.7『米露開戦3』

 309『香港バリケード』若者はなぜ立ち上がったのか

 293.4『ベルリン・ドレスデン・ハンブルグ』

 007.1『人工知能の基礎』

 498.3『レジリエンスとは何か』枝廣淳子 何があっても折れない こころ、暮らし、地域、社会をつくる

 312.2『アラブ諸国の民主化』2011年政変の課題 イスラームを知る23

 332『海賊と資本主義』国家の周縁から絶えず世界を刷新してきたものたち

豊田市図書館の追加の3冊

 141.6『ヒトはなぜ笑うのか』ユーモアが存在する理由

 243.2『チュニジア近現代史』民主的アラブ国家への道程

 010.4『図書館トリニティの時代から揺らぎ・展開の時代へ』

存在の謎:池田晶子さんが大好き

 「存在する」ということは、奇跡だ。存在する限りのあらゆることが奇跡であり、したがって謎なのだという絶対の真理を手放さないのであれば、君は、これからの人生、この世の中で、いろんなことがあるけれども、悩まずに考えてゆくことができるはずだ。そのためにこそ、人間には、考える精神があるんだ。考えたいけどうまく考えられない、そういう人だって、かまわない、生(ある)と死(ない)の謎を感じて、その謎を味わいながら、大事に人生を生きてゆけばいい。真理は、すべての人の内に等しくあるものだから、そのことを信じてさえいるなら、大丈夫だよ。
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元町スタバに通勤

元町スタバに通勤

 元町のスタバに7時過ぎから来ています。パートナーを思い出します。やはり、会いたいものです。スリーリージョンとワッフルです。何かはちみつが欲しくて。

 朝、7時からの元町スタバ。ドリップとクッキーを朝食にして、そこで入力します。本でもいいですけど。それをあたかも、名古屋へ通勤することのシミュレーションです。

 窓際のパソコンできるところでは、のんびりできるでしょう。平日の元町のスタバの混み具合が分からないのと、馴染みとするバリスタの存在がわからない。

 時間を固定すれば、たぶん、馴染みはできるでしょう。店長は男だからダメです。男は嫌いです。Iさんのように「待っていてくれる」女性が居るとは思えないけど。ドリップにしておけば、昼過ぎにもう一回いけます。お替りがある限りは。

モロッコ

 モロッコは街ごとにカラーがあります。フェズは黄色と緑、マラケシはサーモンピンク、カサブランカは白、砂漠はベージュ。街の色は行政によって規定されていて、指定色以外で建物を塗ることは禁止されている。

 モロッコはイスラム国と関係していないのは、やはり、ヨーロッパに近いからでしょう。それと観光立国だから。ある意味では、一つの見本かもしれない。トルコのように戦い取ったという感じがしない。チュニジアも志向しているのか。モロッコの休日。

 モロッコは採油国でないことで独立を維持できている。逆のアラーの恵です。

 モロッコの移動は大変みたいです。10時間ぐらいのタクシーでの移動とか、ランクルを借りて、ドライバー付での移動になる。車のチャーター費用な諸々込みで、一日2万円から。

 カスバは要塞化された城のこと、テスアールは要塞化された村のこと。

生活の安定

 奥さんの右手がなくなり、運転できるようになったら、私の生活を安定させましょう。奥さんが自由に移動できる時までは封印しておきます。

クリミア戦争

 クリミア戦争はロシア対フランス・イギリスの戦いであった。肝心のオスマントルコにロシアの南下を防ぐことができなかった。おかげで、フランスとイギリスは東アジアまでの意識がなかった。その間にアメリカはペリー提督で日本に関与した。

 ちなみに、トルストイもクリミア戦争に従軍した。西洋詩と日本史、そして文学が絡んでくる。
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