日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

次の目標は

2011年01月21日 | エッセイサロン
           

「岩国エッセイサロン」は、5年目という節目の活動をして参りました。ここに同人誌「花水木」の第5号を発刊することができました。心から嬉しく思います。5年前、短いエッセイを新聞に投稿することを趣味とする会を立ち上げはしたものの、一体いつまで続けることができるかろうと、その存続さえ懸念していました。しかし5年継続することができました。

これは「花水木」第5号のまえがきの一部。月例会も今月で59回、まさに5年の歳月を積み重ねてきたことを表す。ここまで続いてきたのはエッセイを書くことが好きということのほかに、会が楽しく自己啓発出来ることでもある。勿論、リーダーの魅力があることは言をまたない。

さて、5号を読み返すのはこれから。だが、パラパラとめくり、そのタイトルを見ると、投稿し掲載された各編にはその時々の思いが浮かんでくる。申し訳ないがその何倍もの没になった投稿、投稿を見送ったものがパソコンに眠っている。眠っている稿を見直してみよう。

今年は6年目の活動に入る。「次の大きな目標を10年ということにしておこう」はまえがきの締めくくり。焦ることなく、ひと作ごとに気をいれ、書くことが長く続く楽しみになるよう、今年は思い直していこう。

(写真:完成した同人誌)
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人と野生動物

2011年01月20日 | 地域
           

例年になく野生の動物と人との接触が多かった。人からいわせれば「迷惑な生き物」、動物からいわせれは「餌がないから」ということだろうか。山林は人手が入らず、あるいは開発にもまれ野生動物の居場所が減る。

山裾が畑や人家にせり出し動物と畑作物や住居との距離が接近した。山裾の人が減るこが拍車をかけた。1昨年は山が豊かで餌が豊富で個体数が増えた。昨年の異常といわれた気候で餌になる木の実などが減った。野生動物出現の多さを「経験から」と言いながらこんな話を農家の人から聞いた。

市街地少し離れたパソコン講座の会場。開講前にトイレに入ったら「クマ出没注意」の赤い文字の下に、黒くたくましそうに描かれた熊、その下に「ツキノワグマの出没が相次いでいる」の文字が読みとれる。

会場は地域の人が集う公民館、注意喚起の掲示場所としてはいい。野生の動物が出没しただけではどうすることもできない。人に危害を加えない限り捕えることはできないのだという。野生以外の味を知った動物は繰り返し人の住む領域へ姿を見せる、ともいう。

市内の海近くにある製紙工場にイノシシが現れた。近くの保育園にも現れ園児を避難させたという。どこに出没して不思議ではなくなった。どちらがどう気をつけるか、やはりそこは人だろう。今日は大寒、山間部では積雪も見られる今日、彼らはどうしているだろうか。

(写真:本当に出会ったら怖い、と思わせる掲示板)
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はじめて、です

2011年01月19日 | パソコン講座
           

パソコン講座、そこで初めてパソコンに触る人には数多く出会ってきた。腕に力が入り握ったマウスが動かない、動けば画面からカーソルが姿を消す。ますます力が入る。練習あるのみです、と話すが習う方はそう簡単ではない。ここで手をひかれてはパソコンと縁起れになる。教える方も懸命になる。

講師の開講第一声は「マウスに初めて触る人?」。15名の受講者のうち数名の手が挙がった。「スタッフがサポートしますから安心してくださいね」と不安な気持ちを落ちつかせ、講座が始まる。ペイントでのお絵描き、パソコンはビスタ。

お絵描きツールの説明のあと描き始める。受講者の個性が画面に出てくる。初めてマウスを握るという人のなかのひとり、黙々と描き進む。ひまわり1輪が仕上がった。日付とイニシアを書いて終了。

「パソコンは面白い、これからも習いたい」というのが終わっての感想。今日の講座でパソコンを始める人が確実に一人増えた。地道な普及活動にささやかな喜びを感じる。

(写真:パソコン初めてのひとの作品)
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努力が実った

2011年01月18日 | 生活・ニュース
文句なく嬉しい。

「重要な報告です」。昨日、夕食を終えたころ京都に住む孫からの電話の第一声がこうだった、と家内の話し。

小6の孫は4年生のころから、自分の将来の夢を持ち、そのための学校の選択をした。それまで見向きもしなかった塾へ通い始める。塾はドラマでしか知らない世界だったが、その厳しさと厳格さはドラマに負けないことを知った。

帰省してもその日が短くなり、最近はそれすら見送っていた。帰省を待つ身としては寂しいが、孫の努力は、先で役立つ、そう思えば年寄りのわがままは引っ込んでいく。電話もメールも控え気味になっていた。

重要な報告は「第1志望へ合格した」という、何にも変えられない、我がことののように嬉しいものだった。息子の合格の時より喜びが大きいのはなぜだろう、そう思った。

長い学業、それも自らが選んだ途。伸び広がっていく将来のことは想像もつかないが、小6で経験した努力は無駄になることはない、そう念じて見守ってやろう。
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寒風なんのその

2011年01月17日 | 地域
           

広場にはグランドゴルフのコースが10余り設けられている。乾いた打音とその都度起こる拍手に歓声、その合間に小さなため息が起きる。この広場ではよく見かける光景。日差しはあるが冷たい風が吹いている。声はそれに流されていく。

鳥取県のある地区で生涯スポーツ活動推進事業の一環として、教育委員会が中心になり考案されたグランドゴルフ「高度な技術を必要とせず、しかも全力を出す場面と、集中力や調整力を発揮する場面がうまく組み合わされており、ルールもごく簡単なことから、初心者でもすぐに取り組めます」というキャッチフレーズ通り、ゲートボールを凌駕したという。

「高齢者には手間のかかる準備がないのがいい」とこれを楽しむ人から聞かされている。たしかに、ゴールポストが立っているだけだ。その中で赤や青や緑など好みの色が入り混じる。見ていて飽きない。

生涯スポーツとして高齢者が長く続けるには「気楽に気やすく」がひとつのポイント、目の前でるり広げられているプレーを見ながら、退職前の講座で教わったことを思いだし、ひとり納得した。

わずらわしい、めんどくさい、新しいことを始めようとすると必ず頭を持ち上げてくるこの気持。そんなことで、これまで何度も何かを失っているようだ。数年前、誘われた時から続けていたら、スコアはどのくらいになっているだろう、虫のいいことを考えていた。

(写真:さわやかなプレーが続く広場)
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粧の色々

2011年01月16日 | 生活・ニュース
           

「図書館へ入った時に正面の豪華な生け花の美しさに驚いた。近づくと匂わない。よく見ると造花だった」。こんな出だしで始めた校内弁論大会で賞をもらった。テーマは自然美と人工美の違いを、いがぐり頭で話した。自然に癒されたい、そんな論旨だった、と思う。

センター試験2日目、初日に続いて雪の中での受験生にハンディーは起きなかった、そうあって欲しい。自然の力を改めて思い直した受験生がいたのではなかろうか。もっとも深い積雪経験は中2のころ、ひざ下くらいがある。どのくらい喜んだかは記憶にない。

夜半の積雪がそのままで夜が明けた。日差しはないがほのかな明かりがわずかな積雪を輝かせ、冬景色を目でも実感した。静かに白く塗り替えられた雪に装われた風景はやっぱりいい。いろいろすることがあり、一日パソコンに向かっていた。ときおりちらつく窓外の雪が目を休ませてくれる。

今年も、和服で二十歳の姿を記念に残したいと多くの多く人が写真館を訪れたそうだ。デジカメの自家製写真との差はいううまでもない。そんな中で「ネイルアート」だけを撮る成人者もあったという。きれいに撮られたそれは、単に指の飾りというよりよりは芸術作品に思えた。

美しく撮られたネイルアートを見ながら、装いは際限なく広がるのだろうと想像する。老いにも鑑賞出来るそれであって欲しい、大方姿を消した雪を眺めながら思う。

(写真:ミニ庭園の雪の朝)






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社会の支え

2011年01月15日 | 社会 政治
           

公園を歩いていて、10日ほど前には見かけなかった桜の古木の手当に目がとまった。その桜は幹の大きな空洞をさらしている。その幹にコモがまかれ、黒の麻紐でしっかり縛られている。また、倒れないように支えがしてある。

この桜、人なら相当の高齢に当たる。そこに訳わ知らないが手当が施され、冷たい風に耐えれるようにされている。見ていて何かホットしながら、人の世もなんとかならないか、そんな思いが浮かんだ。

昨年の流行語大賞のひとつになった「無縁社会」は衝撃だった。無縁社会、ひと口でいえば「単身世帯が増えて、人と人との 関係が希薄となりつつある現代社会の一面」という。その単身所帯の前に高齢者が付くと切実感が増す。

「所在不明高齢者」もそうだった。家庭崩壊だ、地縁血縁という絆が失われた、など聞きなれた言葉でそうした因果のひとつが語られている。地縁血縁がどうして失われることとなったのか、解決策はどうなのか、都度それへの対応は示されるが、根本的な解決にいたっていない。

明日の最低気温はマイナス5度、最高は1度という予報。冬は寒いほうがよいというが、人の世は温かであってと願う。

(写真:手当がされた桜の古木)


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おみくじのゆくえ

2011年01月14日 | 生活・ニュース
           

初詣の楽しみのひとつにおみくじがある。神妙に引き当てたら開いて読む。隠すように読む人、目の高さで広げて読む人、顔を寄せ合って読む人などその人の性格とおみくじの内容が絡み合って面白い光景がいつも見られる。しかし、声を出して読む人にはまだであっていない。

鳥居をくぐって境内へ入った。日向ぼっこをしていたネコが足音に驚いたかのように私の横をすり抜けて外へ去った。初詣であれほど賑わっていたそこには人影もなく、名残は、そこかしこに結ばれたおみくじだけ。結ばれたおみくじの重さで枝が下がったのかな、と思わせぶりな枝もある。

年の初め、神に祈願して1年の吉凶を占ってもらうおみくじ、若い人ほど熱心に読み、結ぶつけているように思う。大吉はその持続を、運の悪い凶はそこからの脱出を、それを引き当てた人へ神が告げる。よければ信じ、そうでなければ2度目を引いたこともあったと思いだす。

結ばれたおみくじ、申し合わせたようにきれいに並んでいる。そこには結んだ人の個性がないかのようにさえ思える。折り方もみんな同じように見える。神の不思議な力がそうさせていると思えば、おみくじに力を感じる。

私の身長では到底届かない高いところの枝に結ばれたおみくじを見つけた。ほかのおみくじを睥睨しているように思える。さぞ素敵なそれだったのだろう。多くの受験生も結んだだろう。受験が本格化する。まず、受験生へその幸のあることを願いながら鳥居を後にした。

(写真:高い小枝に結ばれた三つのおみくじ)
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白い竹林

2011年01月13日 | 地域
           

写真を撮っていると「あれはなんという木ですか」と聞かれた。ちょっとお洒落な都会風のご夫婦で、旅行の途中という感じ。「木ではなく、竹です。川鵜の糞で白く汚れています」とちょっと丁寧な答え方方をした。不思議そうな顔をしながらも珍しいとシャッターを押された。

そこが竹林と知らなければ「あの白い木は何だろう」と思って不思議はない。そこはペンキを振りかけたようでもあり、吹き付けたようでもある。川面に映るそれはそれなりに絵のようにも見える。そこへ陽が当たると真っ白に輝く。

川鵜の食欲は猛烈で、そのせいでアユの漁獲量が落ちた一つの原因ともいわれる。彼らが潜水し川魚をとらえるところうを見たことがある。潜水時間は長くそれを繰り返す。群れの数は相当なものだった。それを見た時「アユは災難だ」と思ったことがあった。

川鵜の被害は全国に及び、地域全体でその対策を図るという記事は何度か読んでいる。ここの白い竹林はその姿を隠さないから、その効果はこの竹林にまだ及んでいないのだろう。糞は酸性、周辺の畑にも影響はあろう。ここにも人と生物の共存を問うものがある。

(写真:陽が当たり白く輝く竹林)
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タイガーマスク運動

2011年01月12日 | 社会 政治
           

♪ しろいマットの ジャングルに きょうも あらしが吹きあれる…

子どもと一緒にTVでタイガーマスクを見たのは40年くらい前になるのだろうか。そのヒーロー「タイガーマスク」が再び現れた。児童相談所や養護施設などに「伊達直人」の名前でランドセルなどの贈り物を届けている。

今日までに47都道府県全てに表れたという。伊達直人以外にも地元にちなんだ人物もあるとか。ランドセルなどを受け取った施設の子どもたちの嬉しそうな笑顔が写される。何とも言えないその笑顔に「本当によかった」と心から思う。

笑顔の子どもたちがどうして親と離れ施設で暮らしているのか分からない。しかし、ピカピカのランドセルを背負って校門をくぐれたことへの感激は忘れないだろう。

日本人の個人寄付は米国のそれの数十分の一という報道がある。地元にも長年、寄付や慰問をする支援者や団体がある。こうした支援はマスコミに取り上げられることも少ない。児童の虐待やいじめなどに特に関心が高い人かもしれな。

いつか施設を巣立っていく子どもたちは寄付者や支援者への心に思いをはせて育ってくれるだろう。ぎすぎすした世情にほっとさせる伊達直人の名前が続く。

(写真:夕暮れに巣へ帰る親子)
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