日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

芽吹け布袋葵

2009年01月21日 | 生活・ニュース
               

話には聞いていたが目にしたのは初めてだった。観賞魚などの水槽でよく目にする布袋葵(ほていあおい)、我家も水質浄化作用の力があると信じ、メダカの鉢に浮かしている。この布袋葵が大量に枯れ死していた。

涼しい感じの花は、1日で開花し翌日には茎の基部から倒れ花は水中に没する。短い花の命と思っていたら、倒れて水没したのちに子孫を残す働きを続けていると知ったのは最近のことだった。

夏から秋までのあのみずみずしい植物は、冬が深まるにつれ枯れていく姿はメダカの鉢で見てきた。その時季には新しく求めて置き換えてきた。

布袋葵は池や川、田んぼなどでは株が1週間で倍に増えていくので「やっかいな害草」というそうだ。近くの町で川幅一杯のそれを見たときは緑の絨毯に似ていると思った。

その枯れ死した布袋葵が何メートルも浮いている。葉は黒っぽい茶色、白くなっているものも見受けられる。触れば姿を消しそうなほどふやけた葉も多い。どこから流れ漂って来たのだろう。

今は枯れ漂うその根本から、育ちつつある新しい命が春には芽吹き、やがて「布袋様」となって姿を見せてくれるだろう。近くの枯れた葦の中の小鳥の声が、枯れた布袋葵へエール送っているように聞こえる、と思いながら立ち去った。

(写真:枯れて漂う布袋葵)
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欲しかった地図

2009年01月20日 | 生活・ニュース


知人から「ある人に頼まれました」と封書を手渡された。不思議に思いながらその場で開いた。

先月の27日、髪結處の看板写真と「古い町並みと呼び方」というタイトルをブログにアップした。その時初めて書き込みいただいた方が「西岩国の昔の地図が手に入りました。機会があったらお見せします」とコメントがあった。

「西岩国の古い地図、ぜひ拝見させてください。お待ちしております」と返信したものの、どなたかは全く分からない。古い地図については新聞報道で知り、見たいとは考えていたが、そのままになっていた。

その見たいと思っていた「昔の地図」が入っており驚くと同時にしばらく見入った。地図は縦55センチ横75センチでタイトルは「岩國市」と右から左へ印刷されている。いかにも古さを思わせる。地図は海岸線は岩國港から藤生駅まで、錦川沿いは千石原までが載せられている。

反対面には「大日本職業別明細図第710号・山口県岩国市・発行所 東京交通社」と書かれ、岩國市案内記とおよそ300社近くの広告が、旧仮名づかいで載っている。懐かしい名前で今も続く店もあるが、大方は変わっている。

発行は昭和17年4月25日とある。手元の地図は昨年11月復刻版として発行されたものだが、当時の町並みがそのままが伺える。その頃を偲ばせる白黒の小さな写真がなんともいえない。

昔の地図をゆっくり見ながら、そこからのドラマをいつかここに載せよう。コメントの方がなぜこのブログの管理者を知り、届けてくれた知人と管理者を繋げたのか、ちょっとミステリアスである。コメントには、昔「曲尺町」に住んでいました、と書き込んであった。

atukoさん有難うございました。

(写真:かっての西岩国中心街の様子)
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春を見つけた

2009年01月19日 | 生活・ニュース
               

「ふとんから さむくてさむくて でられない」
これは、子ども川柳として2007年12月、新聞に載った当時小学校1年生の女の子の作品。何でも書き残すメモ帳に残していた。

これは子どもに限ったことではなく人、みんな同じだろう。特にエブリサンデー族にとっては「これまで勤めた勲章」といわんばかりに出てこない。布団の中にいれば暖が要らずエコ生活にはなっていようが。

センター試験で暖房の効かない会場、そんな報道を目にしたが、受験生はどんな寒さ対策で受験したのだろうか。ハンディーは生じないのだろうか。春を迎えるための試練なのだろか。

受験生が春を迎えるため努力するように、自然も春への歩みを始めている。桜と並ぶ春の花、菜の花が10数本だが咲いている。菜の花は気持ちよさそうに風に揺れている。それは陽ざしを少し暖かく感じさせるのどかな川岸の畔だった。

(写真:錦川畔で見つけた菜の花)
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駆け込み撮り

2009年01月18日 | 生活・ニュース
               

国の名勝「錦帯橋」、これは1673年(延宝元年)に三代藩主吉川広嘉により木造の5連のアーチ橋として架橋された。洪水に強く外敵の侵攻にも耐える橋として教えられてきた。

錦帯橋は観光名所として年間100万人ほどの方が全国からみえる。特に、橋周辺の吉野桜3千本は有名で、付近は桜の雲海となり橋を引き立てる。その時季は観光バスが河原の駐車場を埋めつくす。

夏は鵜飼、秋は紅葉など周辺の歴史探訪と公園を巡る方も多い。雪の錦帯橋は格別で、これぞ日本画の世界と引きこまれる。が、これは自然まかせで出会えた方は幸せだと思う。と、いう様この時季の観光目玉は少ない。

こんななか、昨年末から今年初めにかけて、広島・宮島・錦帯橋の合同ライトアップキャンペーンが行われた。錦帯橋は通常の水銀灯照明に加えて、橋裏に黄色のライトを当て「黄金色」に輝かせるという目玉が仕掛けられた。。

プロ・アマ問わず多くのカメラマンが撮られた写真を、風景に堪能された文章と共にブログやHPでたくさん拝見した。そのライトアップも今日が最終日。

終了目前に駆け込みで見に出かけた。橋裏を黄金色に輝かせるという仕掛けは的中、いい目の保養をさせてもらった。今日も三脚を立てたカメラマンが多い。こうして錦帯橋は日本に世界に発信されるんだ、そう思いながら手ブレを気にしつつ数枚撮った。


(写真:黄金色に浮かび上がった錦帯橋の裏)
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新年号

2009年01月17日 | 生活・ニュース
               

朝、5時46分に黙とう。

歴史ある出版物が休刊や廃止に至っている。原因はいろいろだろうが、TVにパソコン、携帯電話や音楽機器など文字に頼らない、頼らせない文化が発信され、伸びているからだろう。世にいわれる「文字離れ」現象だ。

子どものころは、子ども向け雑誌を初めとしてあらゆる月刊誌は1月号を「新年号」と呼び、特別な付録が付いた。今とは違いその頃は、この付録が子ども達の正月の楽しみであり遊び道具でもあった。

そんなことを思い出しながら、今年初めての孫あての新聞を作る。昔流に言えば新年号になる。といっても小さな新聞、いかほどのことも載せれないが、作りはじめて8年目、ファイルも3冊目になった。

気にもしていなかったが、ふと、何号になるのか数えたら70号、それは一昨年の春だった。自分で驚きながら「楽しく面白いから続く」、そのまま迎えた今年の新年号。でも付録は付くことはない。作る気持ちが付録として許してもらおう。

取り留めのないおじいちゃんの話や孫への夢など、代わり映えしない新聞だが、楽しみながら作り、印刷し、ポストへ投函は月のリズムにもなっている。当分は崩せそうにない。

作成の最後、紙面のチェックはデスク担当の家内の勤めになっている。さて新年号の出来栄えはどうだろうか、と気になる。

(写真:新年号紙面の1部)
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誘 引

2009年01月15日 | 生活・ニュース
               

バラを終生の恋人というSさんのブログに「誘引」というなんとも魅惑的な言葉が作業のひとつとして載っていた。読み進むと言葉とは裏腹な厳しい作業だということを知った。

原文を借りると「ツルバラの誘引は毎年の事だけど泣きそうになる。厚い手袋してるとタイが結べない。素手に容赦なく刺さる棘。吹き出る血をなめながらの様はドラキュラそのもの」とある。

淑女のするべき作業とは思えない。が、この誘引という作業は、この時季バラ園で行なわれてそうだ。古い枝や患っている枝を切り落としたりしながら、枝や茎を支柱などに固定する。厳しいが次の花のために必ずしなければならない作業、という。

sさん宅のバラ園は新聞でも取り上げられるニュース性のある庭。咲いた時期に見て楽しむだけのバラ愛好者のために「ドラキュラ」となる苦労、心しながら観賞し、切り取ってもらう1輪を大切にしなければ、誘引を読みながらバラの見かたに誘引された。

(写真:Sさんがリーダーで整備の進む公園のバラ園)
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必要な品

2009年01月14日 | 生活・ニュース
               

私は読み書きするときのメガネ、これはなくてはならない品、どうしても必要な品。これがなければ自身でそこから前に進めなくなる。

メガネを使用し始めて使い始めたのが電子辞書。厚い辞書の小さな文字が鬱陶しくなりこれに変えた。いま使っているのは、手帳ほどの大きさで広辞苑第5版が手助けしてくれる。これも欠かせない。

こうした品物を必需品という。必需品とは「(ある事をするのに)なくてはならない品。常に必要な品」(広辞苑)、三省堂の国語辞典では「どうしても必要な品」と説明されている。

そんななくてはならない必需品について、無意識に毎日を過ごすと改めて見直すことをしていない。当然、当たりまえとも感じなくなる。

それに気づくのは、目がねケースが空だった、使用途中で電池切れになった電子手帳等など、当然あるべきものがあるべき所にない、そんなとき、有りがたさや大切さを知る。

このことは品物だけではない。人は物ではないが、家族を含めた人の輪も生活には欠かせない。当然あるもの、その思いをときには思い直し、それらの有りがたさを知り、感謝しなければと思う。

(写真:毎日使っている電子手帳)
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投稿読んでます

2009年01月13日 | 生活・ニュース
               

今年もたくさんの賀状が届いた。表裏とも手書き、宛名だけ手書き、どちらの面もパソコン駆使など「10人10色」、何れも一考された1枚。

そんな中でも、児童・生徒のお子さんがおられる方からのそれは、子どもさん中心の内容。いい笑顔などの写真が上手く配置され、ほのぼのとした様子が伝わると同時に、成長の早さに驚かされる。

さて自分の賀状、在職中は時間に追われ、せかされる気持ちで仕上げていた。退職しても改まっていないのは、悪い癖が身に滲みこんだのだろうか。

「投稿欄を読んでいます」という添え書きを沢山いただいた。たまに掲載される文章を目にしてもらえると知って喜んだ。続けて投稿しよう、ちょっと意気込んでみる。

手書きで70数通の賀状書いた、という高齢の方が「パソコンの賀状は嫌いだ」と投稿されていた。なぜそこまで言われるのか理解ができないので言いようがない。賀状をパソコンで作られる方は、心をこめて一生懸命作られていることをお知らせしたい。

(写真:抽選日を待っている年賀状)
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定年5訓

2009年01月12日 | 生活・ニュース
               

先日、あるブログで「ぼけたらあかん長生きしなはれ」の関西弁で始まる「ええ年寄りになりなはれ」が紹介された。さらに「ボケない5カ条」も加わり、これから嫌でも進むうえでの1つの道標になる、とプリントした。

訓。読む人書く人によりそれぞれの意味合いや解釈があるだろう。ここでは、さとし・いましめる意味にとし、先輩作の「や行 定年5訓」を紹介する。

  や:やけるな  い:いばるな  ゆ:ゆれるな  え:えぐるな  よ:よけるな

以下は5訓の我流解釈。作者の狙いと外れるかも知れないが、次にお会いしたときお叱りを受けよう。

  やけるな。 妬けるなとも書ける。何事もねたましく思うな。うらやましがらない。褒める心を持て。

  いばるな。 えらそうにするな、強そうに振舞うな。昔の肩書きをいばっても始まらない。

  ゆれるな。 動揺したり、不安定な状況を無くせ。いつも自分の考えを持て。

  えぐるな。 人の弱点や隠したいことを容赦なく突いたりあばくな。己を良く知れ。

  よけるな。 寄ってくるものを避けたり脇へ押しやるな。経験を活かせ。

あ行から始まる各行についてもあるようだが、またの機会に教えてもらうことにする。

(写真:机の側に置いた3つの教訓)
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500鉢の香り

2009年01月11日 | 生活・ニュース
               

年賀状の1枚に「新春 洋らん展」の案内状があり「このハガキ持参の方、抽選で洋ランの苗をプレゼント」と添え書きがある。その洋らん展の最終日、今年最初の運だめしも狙って出かけた。

この洋ラン展は、県内の愛好家が栽培したランを紹介するもので県内から500点が出品された「やまぐち・ラン展」で、丹精込められた花からの香りは、会場の外まで匂いをなびかせる。

ランはこの時季が見ごろという。同じ種類なのに色が違う、ソフトボールほどの大きさから米粒ほどの小さなもの、白やピンクに紫など多様な形や色、大きさの花がその美しさを競い合っている。

多勢の愛好家が自分流の観賞スタイルで一鉢ごと見てまわる。大方の来場者がデジカメや携帯電話のカメラで写し撮っている。大型のカメラで1輪を撮る姿も多い。

「ランと寝食を共にしているような毎日」と知人の愛好家は嬉しそうに話す。その知人は「花在りて亦楽し」という生活で、日々絶えることなく咲く花を、多くの人に観て頂ければ最高の楽しみです、とランへの愛着は誰にも負けない人だ。

運だめしの苗は逃がしたが、代わり気持ちが和みランの話が聞けた。実はラン単独の展示会場を訪問したことはこれまで1度もない、初体験でもあった。

(写真:ラン展の会場)
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