「名勝 錦帯橋區域是ヨリ下六十間 内務省」と刻まれた石碑。その側面にも裏面にも刻みはない。石碑の説明も見当たらないが、刻まれた文字から推測する。錦帯橋は1922(大正11)年3月に国の名勝に指定された時に建てられたものであれば、90年以上の風雪にさらされたことになる。場所は刻印通りで錦帯橋上流60間の横山側に建っている。
錦帯橋は日本三名橋、あるいは三奇矯の一つとして我が国を代表する木造橋で、5つの太鼓橋が200メートルの両岸を繋ぐ。藩政時代、居館と上級武士の屋敷や町屋などを構成する岩国城下町は錦川を挟んでいた。幾度となく橋は流失したため洪水で流れない橋を架けると、3代藩主吉川広嘉の時代に調査・研究し、錦帯橋は1673(延宝元)年に架橋された。
錦帯橋は内務省時代の「史跡名勝天然記念物保存法」により指定を受けた。今の文化財保護法に当たる。名勝の風景のすぐれたところは名所とほぼ同じ意味だが、学術上、芸術上、鑑賞上価値の高いものなどが史跡・名勝・天然記念物に指定される。錦帯橋は学術・芸術・鑑賞のどの分類でも価値は高いと思う。
錦帯橋の流失、改修・建て替えなど長い歴史を見てきたであろう石碑を最近まで見落としていた。1年で最もにぎわう桜の季節は茶店の裏側に立つ。鵜飼の季節には大きな桜の木の葉陰になり、日の目はあまり受けず人の目もそそがれない、そんな位置に立っている。それでも黙って歴史の息を繋いでいる。下流側にも名勝・錦帯橋の石碑はある。何か刻んであるかもしてない、注意してみよう。
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