ある日の午後「光る・鳴る・降る」と3拍子揃った来客があり、山間部では100㍉を超える雨量が記録された。水量が極端に減った河川は潤いだが、刈取りを終えていない稲への影響はどんなだろう。
落雷による被害を恐れパソコンの電源を切り、コンセントの差込も抜いた。することもなく本を読んでいたら「稲妻と稲光」はどう違うかの会話を思い出し、辞書を出した。
稲光は稲妻に同じ。稲光は多くの場合雷雨に伴って見られる空中放電の光。稲妻は古代農民の間では稲光によって穂が孕むものと信じられていたところから、稲光の意の雅語的表現。
稲妻も稲光も「雲の中、雲と雲、雲と大地のあいだのに起きる放電にともなう電光、多くは屈折して見える」と科学的な説明もある。なるほどと思わせる説明がない。季語集で稲妻は「空中の放電現象で雷鳴と雨をともなわない」とし秋の季語とされている。
こんなもやもやの解けぬうちに薄日がさしはじめ、運行を見合わせていたローカル列車が動き出した。
朝露を受けて咲き始め、午後になるとしぼんでいくという雑草のようにも見える露草、稲妻と雷鳴と降雨の日はどうして過ごしたのだろう。
(写真:路傍の雑草の中で鮮やかな色を誇る露草)
染め物の下絵を描くときこの花の色素を使うそうです。どのようになるのでしょうか。
なんて想像するだけで楽しい、澄んだ色だと思います。はかないからこんなに美しいのかも?