日々のことを徒然に

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火蓋を切る

2012年01月03日 | しっちょる岩国
           

恒例の「岩国藩鉄砲隊の初放し」が行われた。これは1987(唱和62)年に「岩国藩に伝えられた石田流砲術と岩国藩鉄砲組を復興し、これを後世に継承したい」との趣旨で発足した岩国藩鉄砲隊保存会元日の恒例行事。

石田流とは石田三成が興した石田流の流れを汲んでいる。「藩主吉川広家は家臣の有坂長次を豊臣秀吉の砲術指南に出向かせて砲術を習わせた。岩国藩鉄砲隊は、有坂家を中心に明治時代に至るまでその流儀の砲術を伝承してきた。

初放しは、錦帯橋下流の川原で、錦帯橋へ向けて当時の鎧に身を包んだ20数名の隊員が火縄銃を放つ。火縄銃は戦国時代実際の戦に使用されたものというから400年近くの由緒あるもの。空砲ではあるがその銃声は人を震え上がらせる。その音について「敵に恐怖を与える狙いもあった」と解説された。

火縄銃の放し手順。まず隊員の整列。それからは指揮者の合図に合わせ行う。「弾込め開始」の合図とともに隊員の動きがはじまる。発射薬に続いて弾丸をいれ(実際には入れない)、カルカという棒で圧縮する。

次に火蓋を切り、火皿に点火薬を入れ、火蓋を閉じる。一連のこの作業は慎重にやらないと事故が起きるという。火挟みに火縄をつけ準備完了。指揮者の「構えー」の合図とともに目標へ銃口を向ける。続いて「火蓋を切れー」、「放てーー」で弾丸が発射される。

「何々の火蓋が切られる」という。この「火蓋を切る」のことわざはここから来たと教えられた。もうひとつ学んだ。写真は撃った後の煙に邪魔されない横から撮ること。初めて近くで見て歴史を伝え残す人らの苦労を垣間知った。

(写真:火縄銃放つの1場面)
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