日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

歴史町名登富横町

2014年07月31日 | しっちょる岩国


 「すみません、岩国〇丁目□番△号はどのあたりでしょうか」。日傘をさした年配の女性がメモを見ながら尋ねる。見回しても歩いているのは私一人、応対するしかない。こんなときこれまでも電柱や家に取り付けっれた地域表示を頼りにした。運よくそばの家に取り付けられた表示が探されている丁、番だった。おおよその予想なり問い聞きで近くまで来ておられたのだろう。△号をはすぐに見つかった。

 現在の住居表示は1962(昭和37)年に施行された住居表示に関する法律に基づいているという。その目的は「町をわかりやすくしたり、郵便物を配達しやすくする」とある。向こう三軒両隣の付き合いが、道の向こう側と町名が変わるなど違和感を持った記憶がある。旧城下町といわれるこの辺りには子どもころからの歴史町名が今も頭を離れない。前出の尋ねられた場所も「登富町」ならすぐに応えられた。新表示は50年以上経ってもどこらか分からない。

 岩国検定では「歴史町名」も大切な資料として扱い、各町名の由来などを記録した。散歩で見つけた歴史町名の木札は写真に残している。しかし時を得えて木札の墨文字は薄れ、汚れも付着し見えにくくなっている。こうした歴史や文化の伝承に行政は関心が薄いのか一向に目が向いていない。だから、ご当地検定も有志がやることになった。

 そんな愚痴を思いながら歩いていて、検定に載っていない歴史町名を書いた木札を見つけた。何度もいや何百回も通っているが気付かなかったその通り名は「登富横町」。登富町と鍛冶屋町を結ぶ小さな通りで、その命名には納得した。大名小路へ抜ければ信金がある。小学校への通学路だったが、通りの様子は変わっていない。木札を撮っていると、買い物帰りの女性の不審そうな視線を背中に感じた。まだ、足もとで知るべきことのあることを肝に銘じながら新発見を喜びながらその通りを写した。
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