
一昨年の夏を楽しませながら元気をくれた朝顔の落ちたひと粒の種から、昨年の夏の暑さ真っ盛りの時期に1本の芽が出た。このド根性朝顔の苗1本を移植した。咲き始めた花は清楚な純白だった。その種を遅くなったが今年も蒔いた。驚くほど丈夫な芽が育ち、やはりド根性朝顔の先祖に似ている。朝顔はもうやめる、としていたがド根性朝顔に促され2年続けて育てることにした。
昨年の採種時に今年も咲かせる、と決めていた。梅雨は終わったのかというほど夏日の合間に支柱を立てた。一昨年までは脚立を使うほどの高さに育てたが、背丈ほどの支柱にした。支柱が小さくネットが張れない分だけ見た目は悪いが、葉が茂れば覆って見えなくなるので良しとする。
驚いた。というのは、朝顔は夏に咲くので俳句としては夏の季語かと思っていたら、夏ではなく「秋」の季語だということを。俳句を嗜んだことが無く知らなかった。旧暦では8月上旬に立秋、これは秋の始めり、朝顔はこの頃が盛んに咲き一番の見ごろ、ということで季語としては秋になった、という。知らない事の思い込み、恥をかかなくてよかった。
散歩道のある一軒に高齢の夫婦が住んでおられた。西向きの窓、夏になると緑のカーテン風に茂らし、緑濃い葉と何百もの花を咲かせておられた。強い西日に朝顔は弱いと聞いたことがあるが、弱った朝顔を見たことはなかった。しかし、ここのところ緑のカーテンが姿を消した。どうされたのだろう。
(今日の575) 朝顔に早起きゆずり満足す