「駅や病院などで、客が時間や順番がくるのを待つために設けた部屋」、これは待合室を説明した広辞苑の記載。コロナ禍ではこの部屋に入るにも検温と消毒、コロナに関する文書質問への回答記入などを得て受付けに達した。換気のため窓はところどころ開けられ、冬場は椅子の位置によっては寒かった。
椅子はソーシャルディスタンシスで間隔をあけて座る。当然のこと立って順番待ちの人も出る。ここにきて、病院ではマスク着用は解けないが質問はなくなり、席の間隔も普通に座れ窮屈感はなくなった。それでも、先日、多少熱があります、という来院者は別室へ移動された。まだまだ病院は神経を使っている。
そんな待合室で過ごすにもスマホを開き指を動かしている人が多く、TVを見る人は少ない。私の前に座っている親子、子どもはきつそうな感じで母親に寄り添っている。しかし、母親はスマホから目も手も離れることはなくとにかく忙しそうに操作している。もしかしてリモートワーク中かもしれない、そんな思いをした。
現在は医薬分業で町の薬局にも待合室がある。ここで投薬の順番を待つ人の顔は、先ほどまでの病院のときと変わり、穏やかに感じる。診察が終わったという気持ちがそうなるのだろうか。この待合室ではスマホ操作を見かけない。待ち時間が短いからだろうか。待合室、ここでもいろいろな姿に出会える。こうして通えるのは元気なのだ、そう思いながら自動ドアに向かう。
(今日の575) 緩んでも待合室はマスクつけ