刻々と過ぎる時間は金銭と同じように貴重であることを「時は金なり」といい表し、時間の尊さを教えるとされる。そんなところから、「時間は大切に使おう」「約束の時間に遅れるな」「会議の10分前には席に着け」など、躾のひとつとしてうるさく言われた。
腕時計を持ったのは高校入学からだった。今は園児も時計を持っている。孫が初めて見せてくれたそれは、カラフルで楽しそうなキャラクターがあしらえられており「本物」と疑いたくなるほど玩具ぽかった。しかし立派に時を刻んでいた。現代っ子は時間の観念は高くなっていることだろう。
そんなに高価ではないが2個ある腕時計が同時に都合悪くなった。購入し30年位になる。ひとつは親ししていた時計店がある印を指して「これは大切に」と意味深に話してくれた。それを信じて今も使っている。ひとつはある記念に家内が買ってくれたもので、出張にはいつもお供してくれた。
修理は簡単に済んだ。そのお店は電池交換は他店の表示より2割安い。時刻合わせに確認されたのはずらり並んだ掛け時計。見ると全部同じ表示になっている。そう、電波時計に変わっている。聞いてみると、掛け時計と置時計は電波使用になっている。腕時計は少し厚めになり、値段も張るという。薄手のそれはかなり高価。そして他の時計に比べ電波受信に多少の改良がいります、そんな知らないことを教わった。
何十個という掛け時計の並んだ時計屋の壁、その顔の面白さは見られなくなった。一番の男前は10時10分、そんな記憶が残っている。こんなふるい時代の時計のイメージばかりでは、機能充実の現代風時計は使いこなせないだろう。遅れていた日付をあわせ、使い慣れたそれを腕に戻しながら思った。。