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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

暑さ忘れて

2013年07月22日 | ウオーキング 散歩
            

 土用丑の日、それにあやかって今日の気温はうなぎのぼりの高さ。市内は35度直前まで上昇した。うなぎ災難の日だが、絶滅危惧種に指定されるかも、そんな報道もある。純国産のうなぎはほんのわずかと言われる。

 子どものころには近所の小川にもいた。臥龍橋のうえから、その上流にうなぎ籠が並んでいるのを見ていた。竹で編んだ細長い籠が浸けられている。入ったうなぎは入り口の関で遮られ逃げられずそのまま御用となる。一つの籠に何匹も入っていたという。そのあたりは水の流れも変わり、中洲のようになるなどすっかり変わり、肝心の水量も減った。

 日の光を避けるのに、男性用日傘が結構な人気という。海岸などでは大型の日傘のパラソルは珍しくないが、日ざしを防ぐ男性用の傘、幸か不幸か街中でまだ出会っていない。厳しい気象状況になったのか、それとも人間が退化しているのか、防暑の新しいアイディアが登場している。この年になると抵抗感を感じるものも多い。

 日の光を避ける、この時期の散歩では日の光の当たらない所、日蔭を歩くようにしている。日蔭の感度もいろいろ。広いアスファルト舗装の場所はその恩恵をあまり感じない。庭木などのある裏通りに入ると日蔭だと思う。大きな樹木の下は顔や腕がひんやりとする。少し風でもあると申し分なしだ。そういう意味で公園の緑陰は最高の冷房装置だ。寄らば大樹の陰というが、涼むなら大樹の下、大樹は頼りがいがある。

 「暑さ忘れて陰忘る」という言葉がある。これは「暑さが去るとともに木陰のありがたみを忘れる。 苦しいときに人から受けた恩も楽になるとすぐ忘れてしまうことのたとえ」という。今日はひとついい言葉を知った。
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古い街並み保存

2013年05月02日 | ウオーキング 散歩
           

 さて今日はどちらに行こうか、思案する程のことではないが散歩、散策、ウオーキングに出かける時、家の前の四つ辻でちょっと足を止める。南は旧城下のはずれで、戦国の頃、攻め込んだ敵を迷わせたという迷路のような小道に家屋が並ぶ古い町並み。北へ一直線に進むと、かって栄えた商店街を通り過ぎると錦帯橋畔に至る。

 西、こちらは国木田独歩の住まいがあった一角につらなり、市内で最長の愛宕橋上流、河川敷にある自動車学校のコースが広がる。東に進むと小学校や図書館、公民館、郵便局や金融機関、交番もあり地域の中心的地域で他よりは開けた感じになる。

 手のひらサイズのデジカメはポケットに、退職前から使って、電池は何度か交換したが長い付き合いの歩数計をバンドに留める。歩き始めるとたまに精度を確認する。200歩でわずか1歩か2歩の誤差しか生じない優れもので手離せない相棒となった。これに脅迫されて歩を進めているのかもしれない。

 この時期はどちらに向かっても季節の花々が見られる。よく手入れされたもの、我がまま気ままに伸びたものや雑草に守られるように囲まれた花は自然のまんまで逞しく見える。洒落た鉢に植わっているのは育ちの良さを感じるが甘えん坊に見える。みんな違ってみんな面白い。

 解体された家跡は空き地のままか貸し駐車場になり「売り地」の立て札も多い。土塀はブロック塀に変わり、庭の菜園は自家用車の車庫に変わる。歴史のままでは社会様式の変化について行けなくなる。古い街並みを残す、保存しようという声はよく聞く。そこに住む人の本当の声はどうなのだろう、車の通行も容易でない狭い道を歩きながら思うことがある。
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耕作放棄 

2013年04月25日 | ウオーキング 散歩
           

 この時期なのに、「寒の戻り」が気象予報士の口から聞かれる日があるものの、日中は身に沁みる寒さは遠のいた。それにつれ、冬の間は避けていた川ぞいや風の強い散歩コースにも足を向け始めた。どのコースも緑が輝いている。

 何か月ぶりかに川沿いの道を歩いた。中洲は枯れススキに覆われている。その下には雑草や小木などが茂り、そこで小鳥の鳴き声がそこここから聞こえる。川の対岸、淵になっているあたりに紅白のブイが何個か見える。何年も見慣れた風景への闖入物、新しい工事でも始まるのだろうか。

 この道沿い、河川敷だが多くの人が野菜作りを楽しんでおられる。耕作地はジャガイモが芽を出している。収穫途中の玉ねぎ、ネギ、ソラマメなどが陽ざしを受けている。そんな一角に、雑草に覆われた荒れた畑が増えていた。その一つ、キャベツ畑の人に「いれば持って帰って」と声をかけられた畑も、種類はわからないが未収穫のまま放置さた野菜を雑草が覆っている。

 そのキャベツを勧めてくれた人は「娘婿が転勤になり作っても持っていく先が無くなった」と嘆いておられた。それが原因で耕作放棄された、と勝手に解釈した。娘やその婿へのかわいさや思いやりを、今はどう表しておられるのだろう、素性も知らない人の心中を思っていた。

 
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樹木にも番号

2013年03月13日 | ウオーキング 散歩
           

 公園の樹木に荷札ほどの大きさの白い紙にオレンジ色の縁取りをしたカードが付いている。そこには「記入年月日、Noと直径らしい数値と本数」が記されれている。Noは木の背番号だろう、本数の意味は分からない。記入の事項の再下段に「グリーンカード」と緑色の印刷された文字がある。これは個人の悪戯でなく、公園管理者の手によるもの。

 ソメイヨシノ3千本、といわれる桜の名所である錦帯橋周辺と近くの吉香公園。その中には日本で長寿2位の桜や幹に大きな空洞のある古木桜も多数ある。また、啓蟄の日、こもは取り外されたが松の本数はどのくらいあるのか想像がつかない。これを管理するにはやはり樹木基本管理台帳という人まねをした帳簿も必要なのだろう。グリンカードはさしずめ樹木の住基カード。

 公園の樹木は剪定や消毒などが常に行われている。人の健康管理以上ではと見ながら通ることもある。そのお陰で公園の四季がそれぞれに見栄えのある景色に変わる。先日は菖蒲池で掘り返しなど苗植え前の準備作業の様子が見られた。ひと株ごとに手当がいるようだが、こんな作業のあかつきにあの花が見られる、そう思うと高い位置からだが「ご苦労さま」。

 国指定の重要文化財旧目加田家の庭に三椏の黄色い花が咲いている。花は筒型の小さな花がひと固まりになっていて、外観は蜂の巣に似ている。観光で訪れた人が花の説明を読みながらしきりに頷かれていた。そこには吉川藩の財政を潤した紙について記されている。頷き方から、もしや紙を生業とされる人かも、そんなことを思うのも散歩の面白さだ。 
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歩きはじめ

2013年01月03日 | ウオーキング 散歩
           

 箱根駅伝を通して観たいが、年末からの運動不足解消と正月の怠けを覚ますため、今年、初のウオーキングに出かける。空気は乾燥しているが、心地よさそうな陽射しも出て来いと呼んでいる。風の強さを川面の波頭が教えてくれる。そんな水面をカモが30羽近くが並んで上流へ向かう。どこへ何しに行くのか知らないがちょっと見ごたえがある。

 帰省の人だろうか車は県外ナンバーも多く、遠くは石川ナンバーを見た。横山の吉香・白山二つの神社、ちょうど通りかかったときは参拝の人出でにぎわっていた。吉香神社の境内は参拝の人が列をなしいている。雅楽の流れる中での初詣、願いごとは叶うと暗示をくれるようだ。

 山茶花の垣根にやわらかな冬日を受けた赤色が咲いている。それはたったの一輪。年明けに驚き慌てて咲いたように思えるがなにか微笑ましい。花言葉は謙譲・ひたむきな愛・愛嬌などとある。咲いている姿はどれにも当てはまる。

 すっかり葉を落とし身軽になった桜の木、小さな小枝を揺らしながら太陽とのコラボで枯れた芝生のキャンバスに墨絵を描いている。ときおり雲に遮られる陽にも慌てる様子はなくじっと待っている。そんな繰り返しを見ている人はほかにはいない。何でも題材に、そんな卑しさに気づき再び歩き始める。
  
 
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錦帯橋と餅つき

2012年12月29日 | ウオーキング 散歩
           

 年の瀬、明日からの天気は下り坂、その予報を信じて今年最後の歩きに出かけた。いつもの通りは、いつものように閑散としていており、門松や注連飾りなど年明けを迎える様子はまだ見えず、けだるい午後の静けさ。

 それでも錦帯橋畔は帰省途中なのか年末旅行の人なのかにぎわっている。錦帯橋を渡った横山側ではソフトクリーム屋さんに行列ができていた。風もなく穏かな陽射し、歩きつかれた体にはあの甘さがいいのだろう。呼び込みの声がよく響いている。

 歩けば何とか、錦帯橋のたもとで餅つきに出合った。近くの商店の人らに勧められ、通りがかりの観光客が次々と杵を握る。大方の人が杵の持ち方や振り上げ方、続いて足の位置を確かめて杵を振り下ろす、その工程を教わりながら楽しむ。力不足で杵がはねたり倒れたりすると笑いが起こる。旅の人には錦帯橋を背景にしたいい記念写真のお土産ができた。

 搗き立ての餅はその場でちぎってふるまわれる。思わぬことなので観光の人らは大喜び。私の歳を見計らってか「お父さん、喉に詰めないように食べてね」と気づかいの声と一緒に平餅1個分くらいを渡された。柔らかく温かい餅に砂糖醤油をつけて頂いた。搗き立ては久しぶり、確かに美味い。錦帯橋PR、本当にご苦労様です。

 こうして今年最後の歩きはいい思い出の中で終わった。体のためにと歩いているが、付随していろいろな見たり聞いたりもある。思わぬ人と出会うこともある。ブログの題材にも出合える。来年も楽しみながら歩こう。
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歩けばあたる

2012年11月20日 | ウオーキング 散歩
                      

 あちこち歩いていると「いろいろな」おやっと思うことに出合う。そんな日は何か得したようなで足取りが軽くなる日も、どうしてと思って口を出したくなることもある。

 ひいきなものだ。紅葉谷の紅葉を「きれい」と誉める観光の人の声を聞くと何か嬉しくなる。そんなときに頼まれるシャッター押し、いかにいい構図にするかとサービス精神旺盛になる。背景になる紅葉のためにも、これって郷土愛だろうか。

 自転車に乗り愛犬を走らせている人に出合う。その時、左側を走ってはいるが犬のリードは右手、そう、犬は道の中央寄りを走っている。いや走らされている。車とのすれ違いで「おっととっと」と思うことも、運転していて「ひやり」としたこともある。自転車は軽車両扱い。慎重にと思う。

 藩時代は重要な位の人らが住まれた住居地も時代につれ次第にその様は変わる。そんな家並みの中で、杉囲いの家がある。その杉はいつも定規をあてて剪定したように手入れされて感心して見ている。剪定されるのは主で、その様子は何度も見ている。最近、その杉が延びほうだいになっている。どうしてだろう、人ごとながら気になってしようがない。
  
 新聞に載った投稿を「読みましたよ」と声を掛けられることがある。時には名前を存じ上げない人からも声を掛けられる。読んでもらえるだけでなく声を掛けてもらえる。「いや、どうも」と返事をするが、嬉しい。感想のひと言も聞けるときがある。だが、この人の家は○○新聞購読だ、ということを知る。この個人情報、知る事は許されるのだろうか。
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増水でも

2012年07月14日 | ウオーキング 散歩
           

 停滞する活発な梅雨前線、それに向かって南から流れ込む湿った空気に見舞われた九州各地は断続的ではあるが猛烈な雨が続いている。亡くなられた人、行方不明の人も多く、家屋を初めとする被害など、いつもの通り気の毒に思うだけで手出しが出来ない。この地方では、ダムの放流や交通機関への影響は起きたものの、さしたる被害は報道されていない。

 ここ何日か、雨に対する注意報や警報が繰り返し出されている。そんな中、午後曇り空ながら雨がひと時の休憩をとった。これ幸いと久しぶりにスニーカーに履き替え歩く。舗装されていないところはしっかりと雨量の多かった跡を残している。樹木も雑草もたっぷりの水分に少し重たそうにしているが、疲れは感じさせない。

 野鳥の巣がある中洲は茶色く濁った水で姿は見えない。散歩を楽しませてくれる野鳥たちはどこへ、ダム放流のサイレンで避難したのだろうか。帰ってきても水害にあった巣へは戻れないだろう。そこは野生、人よりも自然へ耐えるDNAは持っているのかも知れない。

 今日は少ないだろう、そう思いながら錦帯橋へ進む。川原の駐車場には思いのほか多くの自家用車やバスが止まっている。思えば3連休の初日、目にした一番遠くのプレートは奈良県の家族だった。今朝、出発さたれたのだろうか。駐車場はなにせ川原、雨後の注意として「タイヤ埋まりこみ」を呼びかける立て看板が今日は一歩前に出ている。

 6月から始まった鮎釣り。鮎は増水すると流されないように岸辺に寄ってくるそうだ。だから増水したときは川の中ほどへ進まなくても釣れる、川専門の漁師さんに教わったことがある。何人かの太公望が足首まで水につかり楽しんでいる。観光客のカメラが釣果の瞬間を待っている。期待にそえるか。

 雨の休憩が終わったようだ。蒸し暑いかったが川沿いを歩いて今日は7000歩。
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気ままに

2011年12月09日 | ウオーキング 散歩
           

健康のためにと歩く。意識して足をあげたり早足になったりとそのスタイルは気の向くまま。その時のポケットのお伴、万一のときの給水のための自販機用小銭、小さなデジカメといろいろあって離せない携帯電話、1日中付けている歩数計と腕時計。汗ふきは忘れない。

家の前の四つ角、たまには行き先決めて出かけるので迷わない。しかし、左右にするか前後にするか、これまた気の向くままが多い。たまたま小鳥が飛んで行った、山の方に青空が広がっている、大きな何かの音が聞こえるなどで第1歩を決める。

四つ角の方向が決まると時間と歩数計の値を確認してからスタート。それからも気の向くまま。細い道を曲がる。トラックが道幅いっぱいに停まっていると向きを変えて戻る。棟上げに出会うとしばらく眺める。大きな張り紙があると止まって読む。勿論、知った人に出合うと立ち止まって話しをすすることもある。

同じ通りも歩く向きが違うと景色が違う。離れた犬には出合わないが猫はあちこちで、避ける様子もないのは人畜無害とみられているのかも。川沿いや公園では四季を味わいながら写真も撮る。急な雨に軒下を借りたこともある。ノルマのない気ままな歩きは心身の健康に役立っている。

(写真:何かを狙っているこんな様子は立ち止まって眺めている)

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浚渫工事

2011年12月02日 | ウオーキング 散歩
           

今年も冬になり散歩沿いの川に冬鳥、カモ?の姿が見え始めた。数羽の群れがそこここに何組も見える。

どこへ向かうのか舟のように水を切りながら先を急ぐ組み、先頭の親についてのんびり散策している組み、茂みの中で昼寝をしているのかじっとして動かない組み、流れの中心を上流へ向かう運動中の組み、と見る場所によってみんな動きが違う。

ときどき驚いたように飛び立つ組みもあるが、そんなに長くは飛ばない。すぐに前と同じような姿で水面を楽しむ。

水鳥が来る、住むということは彼らに許されている環境が保たれているということだろう。そんな水際に少し心配なことが起きる。鳥たちが楽しんでいる付近の堆積土砂を取り除くため浚渫工事をするという予告が掲示された。

工事予定の上流域は去年の渇水期にも同じ工事が行われ茂みがなくなり、野鳥の姿が少なくなった。浚渫で水害防止を図らなければならないが、野生の鳥たちのねぐらと両立させる策はないものだろうか。

そんなことを知らずに水面の鳥たちは、すぐ上を低く飛ぶ白鷺を恐れることもなくいつものように気ままに過ごしている。

(写真:自由行動中の水鳥)
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