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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ローカル線

2011年11月28日 | ウオーキング 散歩
           

老化対策にと歩くことを心がけている。ウオーキング以外でも、近くへ用事で出かける時はできるだけ自転車を使わず時間を見計らって早めに家を出る。車では通らない裏通りや碁盤の通りをジグザグに回ってみる。

藩時代の町名が残る細い道で家屋が解かれ空き地になっているところが多い。駐車場になっていればそれなりに見えるが、大方は雑草が茂っている。歴史ある裏通りの家は間口は狭いが奥行きがある。何か歯の抜けた感じがする。1戸だけではどうしようもない。車社会に対応できる古い街並みを変えるいいアイディアはないのだろうか。

散歩の区域内で工場の跡地が2カ所宅地になり、場所柄か建築ラッシュだ。そのひとつでは10区画のうち8区画では5割がた完成、残り2区画では基礎工事が終わっている。その全部がそれぞれに違い、新築の競演のようだ。工事中の覆いが除かれるのが待ち遠しい。

川沿いに出ると視野が広がる。ローカル線の鉄橋からその下流の橋まで遊歩道が続く。1キロと少しあろうか。そこは四季の変わりを感じながら歩ける。だから小さなデジカメはいつもポケットに忍ばせ、目についたものは撮っておく。そんな中でいいチャンスに出会えないのがローカル線のジーゼル車。いつか時刻表に合わせて歩いてみよう。

(写真:近くで出会えた清流線のジーゼル車)
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これは何

2011年10月05日 | ウオーキング 散歩
           

歩いているといろいろと出会う。

久しぶりに出会った人と立ち話をする。掲載された投稿を読みましたと感想をくれる人にお礼をいう。道をたずねられ少し後戻りして教えてたらこちらは丁寧なお礼をもらう。歩行器代わりの手押し車の車輪が側溝の蓋の穴へ挟まって困っている高齢の婦人へ手を貸す。

高校生が橋の歩道を隊列を成して自転車で走るので歩行者が車道によける。彼らは詫びれることもなくそこどけというように走る。携帯を使いながら車の運転をする人も意外と多い。もう少し道の端に寄って止めたら助かるのにと思う駐車が多いのは道幅の狭いところ。

そうだ、毎年あそこの道沿いの家には紅白の見事な百日紅の花が咲いていた、と回り道をしたら更地になっていた。いつも車で走る道を反対に向かって歩くと看板の字が違って見えて面白い。藩政時代の名残の迷路のような細い道の両側の塀からは庭木の茂った枝がお辞儀をする。

いつも見て通る大きな銀杏の木。葉を茂らし紅葉し、実を落として葉を散らし、足元を金色に染め、風に吹かれて散っていく。こんな見慣れた自然がいつまでも続いて欲しい、この日もそう思いながら歩いている。

(写真:見上げた桜の枝についているのは何)
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これなあに

2011年08月03日 | ウオーキング 散歩
           

ウオーキング、歩数とその距離を伸ばすためどんどん歩く。そう、専心それに努めると脇目も振らず腕を振る。10年前に比べ、同じ距離なのに歩数と時間が伸びた。ということは歩幅が狭くなったということ。そこに感じるのはここまで過ぎた年月に体が似合ってきたということだろう。

ゆっくり歩く。珍しいもの、初めてのもの、古い民家の解体、古い家の庭木の剪定、収穫されない柿やびわの実、高い空に真っ白な直線を引きながら飛ぶ米粒ほどの飛行機、公園や道沿いの四季の移り変り、今頃は入道雲の動きも面白い…、とにかく何でもいい。その気にそって歩くと「あっ、こんなところに」となる。

先日は桜の木。今は葉を茂らせ来る春への備えをしている。そんな木にもご苦労様、と声をかけたいほど傷んだ古木がある。幹に大きな空洞が出来るのは、吉野桜の宿命という。大きな空洞、樹皮がはがれむき出しの乾いた幹を見ると、世代交代を促したい。

その乾いた幹に何かしらくっついている。1センチくらいで頂部に穴があいている。虫の抜けがらだろうか。何カ所にもある。100個とはいうまい。そんな木が何本もある桜並木。花の時期には全く気付かない。こうしてゆっくり歩くのは珍しいブログのネタ探しかもしれない。

(写真:桜の幹に付いている何かの抜けがら)
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歩き方

2010年12月26日 | ウオーキング 散歩
           

最近は自称「早朝ウオーキング」を健康のため昼間、お天道様のある時間に変えた。早朝のころは、とにかく決めた折り返し点まで行って帰ること、そう決めていた。何せ夏以外は夜明け前で暗く、そんなに見るものはない。といいながらブログネタはいくつか拾った。

その時間帯が変わると、当然のことだが目に見えるものがが多くなる。そうなると眺めたり、話したり、撮ったりと足の運び方が変わる。どんな形があるか、思いつくままの言葉で広辞苑を開いてみた。

  歩く 一歩一歩踏みしめて進む 歩行する 「歩いて帰る」 
  散策 ぶらぶらと歩くこと 「気ままな散策」
  散歩 気晴らしや健康のために、ぶらぶら歩くこと 「川端を散歩する」
  徒歩 乗り物に乗らず歩くこと 「徒歩旅行」
  歩行 歩くこと あゆむこと 「歩行者天国」
  ウオーキング 歩くこと、歩行

思いつきだけでもこれだけ見つかった。紅葉を眺めて、撮ってまた歩き出す。銀杏を拾って臭いをかいで投げ戻す。道に落ちている栗のイガに実があるか確かめる。あれば拾ってポケットへ入れる。新築中の家があれば立ち止まって見上げる。

義務感は持たなかったが、目標の距離をひたすら歩くことに専心したことから脱皮したかのように、歩き方が変わった。キョロキョロして何かに間違われないように注意しながら歩こう。歩き方によって多少の言い回しが異なる。そのときの気分や体調、四囲の環境などによってその呼び方が変わるのは面白い。明日はどの組み合わせになるだろう。

(写真:散策していて出合った小さな虹)
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長距離ランナー

2010年12月19日 | ウオーキング 散歩
           

時どきすれ違うランナーは年代は不詳。だが若くはない。その人とはすれ違うときに、時の挨拶を短く交わす。それだけで名前はもとより住まいも知らない。小豆色のトレーニングウエアは、どのシーズンでも変わらない。この時期の小春日和のような日、額にうっすらと汗が見える。かなりの距離をこなされているように感じる。

マラソンの中継放送を見ながら、一般ランナーとして出場をしていないか、と思ったりする。出合ったときの走り方を思い浮かべながら探すが、一般ランナーの画面登場は偶然はあるだろうが、トップ集団に加わっていること以外にない。

もう旧い話になるが、別大毎日と福岡国際の両マラソンへ同じ会社からの出場者がいた。一般参加ではあるが、そのときのTV観戦には熱が入っていた。一人は九州一週駅伝大会の県選手として何度も走り経験豊富な青年だった。もう一人は今もローカル駅伝大会の選手に名前を見ることがある。

年末は高校生、元日は実業団、2、3の両日は大学とそれぞれの激戦にわく。タスキを繋いで泣き、繋げなくて悔しがる、演出のないドラマに沿道もTVの前も沸く。駅伝競走はekidennとして世界に知られている。次はどんなドラマが見れるのだろうか。

(写真:小豆色のランナーに出合ったのは斜面の上方)
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安泰の守り木

2010年12月17日 | ウオーキング 散歩
           

よく庭や街路樹に植樹されているカイズカイブキ。その剪定後の姿は枝ごとに饅頭型で、その一つ一つには個性が感じられないが、木全体で見ると各段の饅頭型が調和し、形を成しているように見える。

そんなカイズカイブキも超大木になるとその姿はまるで妖怪の肢体を思わせる姿になる、ことを発見した。写真がその姿。側の説明版には「カイズカイブキ」と記入され、この姿かたちについては触れられていない。

何度もこの木の側を通っているが特異な感じはしなかった。カイズカイブキという見慣れたり聞きなれている庭木の種類と思い込んでいたからだろう。大きなそれなので撮っておこうと初めてカメラを向けたとき、何か異様さを感じ木の裏へ回って、その姿に驚いた。

どんないきさつでここ吉香公園に住みつくようになったか分からない。長い長い年月の間にこの当り一体の不浄なものを吸い取り、周囲を安泰にしてくれたのではないか。妖怪のような肢体をした幹や枝からそんなことが浮かんだ。

このカイズカイブキを剪定するとしたらどんな仕上がりになるのか、想像もつかない。そのときはお神酒を供えてから、そんなろくでもないことを思う。私を不思議そうに眺める人の目を気にしてカメラを収めた。

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自然の営み

2010年12月12日 | ウオーキング 散歩
           

ある新聞社の「紅葉だより」という読者の撮った写真募集があり、先日、その入選作数編が発表された。いづれも紅葉のよさを表現されていた。銀杏を手前にアップ、紅葉遠景に撮られた作品が良かった。その入選作のうち2編がなんと吉香公園の紅葉谷で撮られた作品だった。驚いた。

そんな紅葉谷にこの秋は散歩も含めて青葉のころから数回足を運んだ。最盛期、紅葉狩に訪れた人が多い日には、見上げて歩かれたり、撮ったりで、ちょっとした渋滞も見られるほど賑わっていた。

見ごろを過ぎたある日、そこを通り通りかかった。紅葉がその姿を消し掃き清められた道にはあのころの華やいだ景色はなく、午後の日が一人ぼっちで留まっていた。紅葉の熱は来秋まで見られない。

紅葉谷を後にし、きょろきょろしながら歩いていた。濃い緑の葉陰に白い花を見つけた。それはびわの花、夏のころに橙色に熟した実を恵んでくれる。紅葉ばかりに目やレンズが向いている間にもほかの自然は休むことなくその営みを続けている。改めて感心する。

定年という大きな区切り、毎日が日曜日になった。時々は日々を思い返して見なければ、びわの花に刺激された午後のウオーキングだった。

(写真:豊に実をつけそうなびわの花)
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棄てる場所

2010年12月09日 | ウオーキング 散歩
           

散策するルートはいくつかある。それぞれが季節やその日のお天道様の機嫌、花の咲くころ散るころ、落ち葉が風に舞うころ、小鳥やセミの鳴き声のころなど、時々により趣のちがいが楽しい。

そんな道にはいろいろな忘れ物や落し物がある。プラや缶の空き容器、弁当がらの入ったコンビニやスーパーのレジ袋、乗り捨てた自転車、車の荷台から落ちたのか工事用の赤いコーンなど大小いろいろ。公園のベンチに使用した紙おむつが置いてあるのを見たこともある。最近、煙草の吸殻は減ったように見えるが。

久しぶりにその道を歩いた。初冬の風を冷たいと感じる日だった。前方に何か白い物を敷いたように見えるところがある。近づくと捨てられた白菜だった。かなりの株数で、状況からすると捨てられて何日か過ぎている。

せっかく作ったのにどうして捨てたのかその訳は分からないが、捨てる場所は選んで欲しかった。白菜は雑草の中で朽ちて自然に帰るからということなのかも知れない。それでも身勝手な投棄ではなかろうか。棄てるのであれば耕作している畑で処理すればよかろうに、と思いながら通り過ぎた。

紙や木や竹のように自然へ返せる素材が少なくなり、化学製品のそれらの廃棄物が路上をさまよう。役目を終えた容器などはそれなりに分別処理されれば役目を終えたとほっとするだろう。人のマナーでもあろう。これからも気をつけて分別していこう。

(写真:棄てられている白菜)
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効 果

2010年07月31日 | ウオーキング 散歩
           

「来た時よりもきれいに」、こんな掲示を見ることはある。何かを終えたとき整理整頓、きれいに掃除して帰るのはマナーだろう。行楽地ではまだまだ不十分だ。錦帯橋バスセンターも例外でなく、休日の翌朝は乱雑なゴミの捨て方には驚くことがしばしば。

良好な生活環境確保のための迷惑行為防止に関する条例の1項目として「路上喫煙禁止区域」の表示がお目見えして1ヵ月。昼間は巡視員もおられ注意されるという。

錦帯橋周辺にも何枚かが歩道に見られる。錦帯橋を眺めながらの観光する人に、足下の表示は気づきにくいだろう。

毎朝錦帯橋そばを歩くが「ノースモーキング」の表示がされてから、気のせいか散らばっていた吸殻が少なくなったように思う。表示の効果だろうか。ゼロになってくれればいい。そんな事を思いながら、気持ちよい川風をあびながらいつものコースを歩いた。

(写真:すこし気づきにくい喫煙禁止区域の表示)



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遠雷と霧

2010年07月16日 | ウオーキング 散歩
           

数日振り、梅雨末期の雨に阻まれて休んでいた早朝ウオーキングに出かけた。今朝の舞台は遠雷と霧。

玄関を出るとすぐに稲光と遠雷の歓迎を受けた。強く、弱くとほとんど休むまもなく光る。早いときは稲光から数秒後、雷鳴にはかなりの威厳がある。弱い光のときはかなりの時間をが空く。弱々しい音、足音に消されそうだ。

ほかに歩く人はいない。稲妻の強弱は舞台の上で点滅するでスポットライトを浴びているような錯覚を覚える。雷鳴と蝉の鳴き声はそのBGMのようだ。

たっぷりと水分を含んだ大気は濃い霧を誘い出している。城山は麓から山頂まですっぽりと包まれている。遠くの山も霧に包まれ白い世界のようだ。

錦川からは川霧がまるで温泉の湯気のように立ち上り、流れていく。その威勢のよさは川面が何かにわくわくしているようだ。

う飼いのテント事務所はは片付けられ、う飼い船は濁流とその水位のおさまるのを待っている。再開はいつからだろう。大雨のとき鮎はどこで濁流をしのいでいるのだろう。

(写真:湯気のように立ち上る川霧)
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