日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

献血・輸血の重要性

2025年01月05日 | 回想

 世の中は明日が仕事始め。なのに献血を呼びかける採血車3台が並んでいる。世の中の活動再開に先駆けて仕事中、人の命を繋ぐに欠かせない仕事、年始だ何だと言ってはおれないのだろう。頭が下がる。ここでは日曜日に採血車が定期的に来ていつも3台並んでいる。今日は人出の影響か、採血する人の姿は見かけなかったが、いつもは何人も見かける。

 採血は何十回しただろう。回数を重ね日赤から何回か記念品などを頂いことがある。最初の経験は献血と言わず「預血」という時代から始めた。それは知人の手術で必要だった。しかし、予定した手術で預血カードが不要になり、手持ちしていた。近所で輸血が必要な人から相談があり、カードを使ってもらった。

 姪が野犬に追われ小川に転落、頭蓋骨の手術を受けることになった。輸血が必要、それも鮮血輸血という。諸検査を受け私の血液を提供することになった。手術中は隣の部屋で待機。いざその時はベッドを高くしヘッド差を利用し床面で採血、スート抜けていくのが分かった。

 現役のころの休日の話もある。休日出勤で仕事をしていたら独身寮の管理人から「寮生が入院、病院から緊急輸血の要請が来た」と連絡が入った。人事課員の私は3つの独身寮に連絡し、血液型を問わず在室の全員に病院への急行を依頼した。多くの寮生が駆けつけ手術は成功した。献血年齢を大昔に越えたが、輸血の重要性は認識しており、手術の成功例から献血の重要性を改めて思いなおす。

 (今日の575) 献血が出来る健康幸せだ
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白蛇神社の初詣

2025年01月04日 | 地域

 今日もブロブ復旧無し。訪問もアップも出来ない。知人のフェイスブックにgooブログがアップされている。我がパソコンでは見れない。ドコモ店の人はこの騒動をあまり承知していないようだった。マイパソコンを点検、異常なし。

 今年は巳年。蛇、この生物を犬や猫のように愛玩し好む人は周りでは少ない。しかし、わが街にのみ生息する蛇、シロヘビがいる。1924年に生息地が国の天然記念物の指定を受け、1972年にシロヘビそのものが国の天然記念物となった。性質はおとなしく人に危害を加えることはない。ネズミやカエルを食し、体長は1.8㍍にもなる。

 「シロヘビ」は、商売繁盛・開運の守り神と言い伝えられ、地元では岩国白蛇神社がある。今年は巳年、昨日と今日、神社付近を通ったが、年始参りの人と車の列で付近は大混雑で、複数の臨時駐車場も満車の状況だった。混雑に紛れてか、インバウンドの人の信号や横断歩道無視、ニュース映像で見る一コマを現認した。

 昔になるくらい前になる。子どものシロヘビの頭部に「ハートマーク」という情報に接し撮りにいた。確かに蛇というより玩具のような可愛さを感じた。貴重な1枚として残している。今年の年賀状で紹介した。この時の様子がNHK-TVで流れ驚いたことを記憶している。

 (今日の575) 初詣シロヘビさんのご加護あれ
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金箔入りお神酒

2025年01月03日 | 生活・ニュース

 今日もgooブログ接続できず。プロの人に診断してもらった。ネットでシステム攻撃の情報を集め健闘の結果、結論は「gooブログ側の復旧は継続中、完全復旧まで待つしかない」ということだった。gooブログ以外はどれも閲覧できる。

 昨日のブログに載せたかったのは年末に新年用のお神酒として購入した酒のこと。日ごろ、日本酒があっても超たまに猪口一杯ほどしか飲まないので、買うといっても品質を吟味することはない。第一ポイントは値段、次に外装と少しか名前を聞いた事のある商品、そのくらいの選択でレジを通る。

 持ち帰って見ると大吟醸で「純金箔入」の超特選とある。たいそうな買い物をしたな、お神酒だから良しとする。製造はその昔、石原裕次郎が「よろこびの酒 松竹梅」のCMをうたった会社だった。

 元日の夕食、お神酒を一杯飲む。金箔のことはすっかり忘れていたが、最後になって猪口の底に小さな金箔が沈んでいる。金箔職人は健康で長生きという聞いた話を思い出し、頂くようにいて飲み干した。金箔がどのくらい入っているかわ分から ないが、飲み干せば金にまつわるいいことがやってくるかもしれない、いつ空になるかは分からないが。

 (今日の575) 水と米麹くわわり日本酒に
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ブログの大トラブル

2025年01月02日 | 生活・ニュース

 毎朝6時ころスマホでgooブログをチェックする。この朝はトップページに接続できない画面。と、いうのは以前にも似た様な状態が数時間続いた。その時はアプリ更新の指示が入り復旧した。パソコンも同じだった。今回も、手立てが来るものとして軽く考えていた。ところが午後になっても「うんともすんとも」言わない。

接続できないのは「応答時間が長すぎる」「接続確認を」「プロキシとファイアウォールを確認する」「ネットワーク診断ツールを実行する」などなど載っていて、公式Xで「午前9時48分時点では、システムトラブルに伴いデバイスの再起動などの対処はせず、サービスの復旧を待つように」とある。遅いしX以外でも流すべきだった。

 ドコモによると、DDoS攻撃による影響でシステム障害が発生とし、復旧の見込みは未定あった。午後になって一部復旧したようだが、マイパソコンもスマホも普及しなかった。ドコモに接続していない知人は21時すぎころ、ようやくアップできた、と応答の悪さを教えてくれた。

 システムに詳しくない私には、ただ「復旧を待つだけ」の時間が流れるだけで、何も手出しできない。今日のブログに載せたいことは決まっていたが、またの機会にする。

 (今日の575) ブログでも途切れて悔し記念の日
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静かな年明け

2025年01月01日 | 生活・ニュース

 明けましておめでとうございます。爽やかで静かな年明けにほっとし、感謝の気持ちで一杯です。昨夜は菩提寺での除夜会、親や祖父母に連れられた子どもさんも多く、いつもの本堂の様子と違い、若やいだ明るい年明けを迎えるように思えた。讃仏偈を読経、法話、鐘撞、最後は坊守さん手作りの熱い善哉で冷えた身体が温まった。

 人の煩悩はひゃくやっつ(108)という。108は6×3×2×3という式から生まれた。それぞれの数値にはそれぞれのいわれがあると以前の法話であった。昨夜は鐘を撞く意味の法話。「九十八の惰眠+十の纏を合わせ108」の節を説かれた。惰眠は怠け活気のないこと、纏(てん)は煩悩の異称、簡単に表せば鐘の音がこの108を気づかせる、鐘を打ったから煩悩が消えることはない。

 消えない煩悩をあれこれ悩んでも、108を抱えたまま今日この年まで来た。煩悩にも善と悪の区分けがあるようだから悪のそれには染まらないようにしよう、そんな意味のないようなことを思いながら床についたのは午前零時を回っていた。それでもいつものように5時には目覚めたが、すっきりしていた。

 朝一番に先日顔を見せてくれた孫から声のライン年賀、何よりうれしい年明け1番目の嬉しい便りになる。家内は手作りお節の写真を送ったようで、これもラインの話題になる静かで穏やかな年明け、この穏やかさが続くことを願いながら年の初めが暮れる。

 (今日の575) 9連休録画流しのテレビ局
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難事多き1年

2024年12月31日 | 生活・ニュース

 能登半島地震の発生から丁度1年。被災者の世論調査結果を今朝の報道で見た。復旧の遅れを指摘される声が65%近くあるとなっていた。9月の大洪水が重なったとはいえ、厳しい気象条件の中で2回目の冬を耐えなければならない。復旧にどこまで本腰が入っているのだろうか。

 低投票率だった衆院選挙、報道の予測どおり与党の過半数割れとなった。石破内閣発足8日目の解散、何をするかの具体的な表明の無い政府に何を期待していいのか有権者は迷った。期待は総理の改革姿勢だったが、選挙終了と同時に基盤的保守姿勢が表になった。ミニ保守と言われている野党の一角とこれからどう向かい合いながら国内政治が進むだろう。そんな世情だが歳末、錦帯橋渡は人出でにぎわっていた。

 そんな中で2024年ノーベル平和賞に日本被団協が受賞に輝いた。広島・長崎の原爆被爆者とその家族を中心とする核兵器廃絶への声を、被爆体験を通して国内は基より世界に向けての訴えが認められ、大方の国民が喜び拍車した。核の傘下ではその廃絶に向かって進めないことを、唯一の被爆国として理解しがたい思いは長く続いている。与党内部でも禁止条約会議へのオブザーバー出席を求めるという報道、期待をしたい。

 高齢で年金生活の我が家にも物価高への生活防衛をはじめ大小の難事や難治に出くわしたが、今夜の除夜祭に出て鐘を撞けば今年が終わる。在京の書道家から年男の私に「飛龍」の作品を頂いた。書に相応しい生き方や進歩があったか、年明けにゆっくり考えたい。この1年間、稚拙なブログへご訪問にお礼申し上げます。

 (驚異の575) 1年の締めならそれを書き残せ
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駅の改札口で

2024年12月30日 | 地域

 JR山陽本線の岩国駅。橋上駅になって昭和のイメージは途絶え都会センスあふれた駅舎に変わっておよそ7年が過ぎた。広島シティネットワークの西側の拠点駅で、瑞風も停車(来る1月26日)する主要駅。とはいえ、私は新駅になって見送りや出向かえが主で、利用したのは2年前の下車1度だけ。

 先日、帰省する孫を迎えに出て改札の見えるところでしばらく待った。なんとなく駅を利用する人の流れを眺めていることに気づいた。やはり旅行姿の人が多いのはこの時期ならではのことだろう。そんななか迎えの人もちらほら目に付く。駅の東西を結ぶ通路を利用する人も多く、橋上化されたメリット、地域の人には便利になった。

 改札の横に電車の運転席を模した小さな模型がある。これには二つの窓がくりぬかれその上部に行先岩国駅の表示がしてある。窓から顔をのぞかせて来岩記念写真を撮ってもら結構な人数の子どもさんを見かけた。中には親子で撮ってもらう場面もあった。撮ってもらうポーズはみんな違うが、同じなのはみんなスマホカメラでパチリ、昔の記念撮影のような重厚さは全くない。

 私が現役のころには広島~岩国間はおよそ10分間隔くらいで走っており、広島への外勤など時間を気にせずに利用できた。今はおよそ30分に1本、便数は激減している。岩国駅起点の岩徳線も厳しい状況にあるようだ。夜行寝台あさかぜで東京出張の頃が懐かしい。

 (今日の575) 若い人スマホかざして通り抜け
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孫娘の作った夕食

2024年12月29日 | 生活・ニュース

 関西に住む孫娘、年末の仕事を終え一人で来てくれた。新幹線沿線の火災で思わぬ遅れで乗り継ぎの列車が予定より遅れたが、帰省や旅行の人らで混雑しているが改札ですぐに私を見つけ元気な笑顔で出てきた。「寒いのに出迎えてもらって有難う」が第一声だった。

 「ついた日の夕食は私がつくるから」、前もってメニューを連絡してくれていた。家内はそのメニューに沿った孫の指定した材料を準備し待っていた。孫は子どものころから料理や菓子作りが好きだった。今は自炊をしており、時々、作った料理の写真をラインで送ってくる。それは和・洋・中と色々あり美味そうに見える。たまに煮しめが登場するので「若いのに」と思いながら喜んでいた。「帰省したら作って」といつも返信していた。

 今回はそんな中の自慢のひと品である「肉じゃが」がメインだった。到着が遅れたこともあり味を「しみこませる時間」を気にしながら酢の物、焼き肉、みそ汁など数品を手際よく作り「少しうす味かも」と自己評価した。うす味とは思わせないしっかりした和の味付けに満足した。晩酌はしないのに、孫の料理に誘われお神酒に準備していた日本酒をぐい飲み1杯ほど口にした。

 自分の健康につては十分気を配っているようで、コロナやインフルエンザー急増のこの時期ならでは大きな安心をした。孫の心配はかかりつけ医が無い事という。そのくらい健康でいれば有難いが、油断はしないよう話す。爺婆に元気をくれ帰って行った。さて両親にどう報告するだろう。

 (今日の575) 夕食に孫の味付けしみこみて
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年間掲載数の更新

2024年12月28日 | エッセイサロン
 

 「短い文章を書いて投稿し、自己研鑽を図ろう」、こうした趣旨の同好会「岩国エッセイサロン」へ入会したのは2006年の9月例会だった。初めての出席で初歩の初歩を教わった。その日の夜に、度胸試しとして1作目を投稿した。それは規定の投稿様式に苦労しながらだった。なんと、それから11日目に掲載された。朝早く会の代表から祝意の電話を貰ったことを記憶している。

 毎月の例会は毎日新聞社の「はがき随筆」入選作を参考にして意見交換をするという私にとっての学習方法だった。題材のとらえ方、表現の仕方、語句の使い方や注意点、やがてテーマが絞り込まれているか、文中に発見や思考が記されているかなど、盛り込むことなど、経験豊富な方から学んでいった。そうするうちに投稿の巾が広がっていった。

 初掲載から今年末で18年3カ月経ち342編掲載された。このうち今年は25編掲載された。これの多少は分からないが、これまでの私の掲載年間記録23編を超え、年間最多の掲載年となった。掲載は数ではない、その中身が備わっているかが問われることは分かっているが、載っても載らなくても投稿を楽しむ一人として、やはり記録しておくことも喜びになる。

 はじめは切手を貼った封書での投稿だったが、今はメール送信に変わり、投稿という小さな世界にも時代の変遷を感じる。同好会入会の折り「投稿が掲載されるということは一定のレベルにあると思い、自信を持ってさらに挑戦を続けるよう」言われた。マンネリでなく新鮮さを失わないよう続けたい。

 (今日の575) 掲載の何倍没があるだろう
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マスクをしよう

2024年12月27日 | 社会 政治

 県内のインフルエンザー患者の定点当たり報告数が50.03人となり警報基準の30人以上となたっため、25日に「インフルエンザー流行発生警報」が発令された。直近の定点報告数はここ3週間、毎週倍の発生になっている。新型コロナウイルスの感染も増加しており、寒さの中気を気を配りたい。

 これの予防についてはワクチンの接種、石鹸での手洗い、人ごみを避ける、咳エチケットのマスク着用、栄養、睡眠を十分に取り普段から抵抗力を高めるなど、繰り返し呼びかけられている。しかし、倍増する発生状況からは対応の実行度が疑われる。年金生活の高齢者だが自己防衛に勤め、今日までは発熱や咳など無く来ている。

 クリスマスのイルミネーション観覧など大勢の人出でにぎわっている映像を見ながら思った。スマホで光景を撮る人などの姿がアップで写るが、多くの人がマスク着用なしのようだ。全国的な発生急増の報道がされていることを承知していないのだろうか。スマホは撮るだけでなく情報への有効活用に工夫して。待合室の3人掛けの椅子、コロナ並みに真ん中が空けてあった。

 年末年始、帰省等で人との交流が活発になる。自分の事として感染防止を心がけることが、蔓延抑制に繋がると思い、せめてマスクだけはしっかり着用して欲しい。 孫が帰省する、迎える側の爺婆は万全の体調で待っていたい。

 (今日の575) 流感はいつの間にやらインフルに
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正月の朝

2024年12月26日 | エッセイサロン
2024年12月26日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 私は高校卒業後に就職した。24時間稼働する工場の3交代現場に配属され、30代初めまで続いた。夜勤の時は午後11時から翌朝7時まで勤務した。
 夕食を済ませ出勤していたが、これでは朝まで活力が持たない。同僚はむすびやパン、麺など軽い食事を持参していた。夜食は計器室にある休憩所で取り、そこには流し台と給湯設備があり各自が調理していた。
 私は生麺のうどんをよく持ち込んだ。湯で麺を温めてほぐし持参の即席だしを加え、薬味を入れて職場ならではの夜食を楽しんだ。
 ある年の大みそか、全員が生そばを持ってきていた。しかも一人が正月用に家で作った地元名物の角ずしを全員分用意しており、大きな拍手が起きた。すしの加わった豪華な年越しの夜食をそろって食 べた。
 職場にはテレビの紅白歌合戦の歌声や除夜の鐘の音も初詣の中継なども届かないが、家とは違った、大みそかのひとときを過ごすことができた。
 生産現場では安全と安定運転が第一の使命。それを果たすのに空腹のいらいらは厳禁だ。そんな大みそか明けの正月の朝、工場の銀色のタワーが初日の出でだいだい色に映える姿が見られるのは、夜勤勤務者へのご褒美だったように思う。

 (今日の575) 真夜中も働く者の一駒を
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今年のケーキ余話

2024年12月25日 | 生活・ニュース

 あるお店の入り口に今年も登場しました大きなサンタさん。いつも通りはちきれるような堂々たる体躯で来店者に手を上げている。店内の飾りもそれらしくなっている。今日が過ぎれば新しい年を迎えるために店内はまた模様替えされるのだろう。とにかく人を迎えるということに労を惜しんではいけないのだ。

 クリスマスと言えばケーキが合言葉のように思うが、今年は様子が変わったという報道がある。街の人は「ケーキがとにかく高すぎる」と話す。「大型でなく小型のケーキが今年は売れる」と店の人。インタビューでは今年は手作りという声も多かった。ここにも物価高の影響がもろに出ているようだ。

 「クリスマス、別にケーキを食べんでもいいじゃろう」という夫の問に「クリスマスがどういう日かは知らんけどケーキは食べんといけんの」という妻の迷答をブログで拝見し、苦笑し頷きながらそうした家庭も多いのかもしれないなあと思った。

 我が家の昨夜のケーキ話。遠くに住む孫娘の誕生日はイブと同じ、買ったケーキに向かって「おめでとう」と言って妻はホークを使い始めた。私はなぜかケーキを食べない。孫からは「祝ってもらって有難う」とラインで答えが返ってきた。それには孫手作りのケーキの写真がついており、妻は喜んだり感心したりしながらケーキを食べ終えた。

 (今日の575) ケーキより和菓子を好む爺はお茶
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年末年始の休み

2024年12月24日 | 生活・ニュース

 近くの小学校の2学期が終わった。昨日は大きな荷物を持って下校する児童を何人も見た。どんな学習の成果がつくり上げられているのだろう、毎朝見かける子らなのでちょっと気になる。今日は終業式、ランドセルは背負っているが手ぶらで語らう様子は楽しそうだ。

 今日はキリスト信者で無くてもクリスマスの前夜の宵祭りとして、華やいだ飾り付けがきらめき、楽しむことが国の風習のようになっている。地域の戦争や紛争への思いはそんな中には感じられない。ものごころつき始めた子どものころの戦時下では、許されるものではなかった。一瞬でも飾り付けを見上げる中で紛争に苦しむ子供たちを思い平和を願って欲しい。

 最長9連休という人もあるらしい年末年始の休み、帰省に海外を含む旅行など昨年を上回る移動が見込まれている。TVではこの間の気象について、繰り返して放送しているのは「年末は大荒れ」、どこにどんな注意が必要で気をつけるべきか、詳しく流している。特に雪への警戒が必要、私は出かける予定はないのだが、楽しい年末年始を過ごすには傾聴して欲しい。

 我が家も「交通機関の注意」が表示されている間に孫が帰省する。帰省したら「お夕飯は私が作るから」と連絡してきた。自炊の夕食を撮った写真をラインでときどき送ってくるが、その腕前を味わさせてくれるというので楽しみに待っている。交通機関の大きな乱れの無いことを念じながら。

 (今日の575) 献立は味はどうかと心待ち
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レトロな鉛筆削り

2024年12月23日 | 生活・ニュース

 「古くていいんですが鉛筆削りお持ちではないですか」、ある会を訪問したとき声をかけられた。使用中のそれには「NationaLケズリすぎストップ付」とある。外観からは相当の期間使用されたことがひと目で判断つくが、現役という。ただ、最近調子が悪くなり樹脂部部が欠落などする、替えがあれば欲しいな、と探しているという。

 ここに登場するまで使用されたいたものが10数年前にこの事務所にやって来たようだ。鉛筆削りなど使ったことがない。鉛筆は芯が折れたり、短くなったり、折れなくても芯の先が丸くなる度した時には、小刀を使って削ったり尖らしたりしていた。ましてや電動器具などはあっても我が家では高根の花だったと思う。

 骨董にも見える電動鉛筆削り、形式番号が読みとれるので試しに検索して見た。いや~驚いた、売り出しの写真と私が撮った写真は当たり前だけど同じ。その価は3700円(送料込み)とあり驚いた。売却する人は、レトロの理由を40年近く使用した品だからという。出品からの経過時間は分からない。

 電動の鉛筆削りが登場したのは1955(昭和30)年ころ。鉛筆が削れたころを見計らって鉛筆を引き抜いたのが、電動式では芯が削れると自動的に回転が止まるようになたっという。文具店では鉛筆は売られているが、今の児童や生徒の筆記具は鉛筆なのだろうか。パソコンはあるがレトロな会の事務所に鉛筆削りはよく似あっている、思い出しながら苦笑した。

 (今日の575) 鉛筆を削る道具は小刀だ
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ミカンのころ

2024年12月22日 | 回想

 ミカン、みかん、蜜柑、どれを使うのが正しいのだろうか。辞書では「蜜柑」となっている、が、使い方は、使う人のその時の気持ちや状況などによって使い分ければいい、私はほかの言葉でもそう思って漢字や仮名に使い分けしている。まさか文意から未刊に未完に味感などと間違いは起きないだろう。

 今はそんなミカンの季節で県内にはブランド品の「大島みかん」がある。極早生は9月下旬から10月、早生は11月、中生・普通は11月下旬から1月、高糖系は12月から2月中旬まで出荷、品種によって異なっているが、いつの出荷の物でも美味いことに間違いなしだ。

 若いころ、大島大橋など夢のころの話し。職場責任者の実家が大島のミカン農家、ということで誘われるままにミカン狩りで何度かお邪魔した。ミカンは食べ放題、昼食は地元料理を腹いっぱい、土産はもぎたてのミカンを持てるだけ、帰りは連絡船乗り場へ見送りしてもらう。ミカン狩り料金はご両親へのわずかなお土産だった。スーパーなど無い時代、買う時は近くの小売店時代の古いお話し。

 初めて公開するミカン狩りの極秘情報。好き放題に採ったミカン山は出荷用のミカンを収穫するミカン山で、観光農園のそれとは別という。出荷用の山は陽当たりや潮風の向きなど商品としての厳選に耐えるので、素人さんは絶対に入れないということだった。さて、今もそんな区分けがあるのだろうか。

 (今日の575) 指先がミカン色して一休み
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