アモス書 6章
土曜日の夕方、「福島県ゆかりの会」に参加してきました。集まったのは私も含めて福島出身者4人と、奥様とお子さん。ちょっぴりなまりの混じった会話を当地でできるとは思っていませんでした。いただいた英文の福島県のアピール文書からは、だいじょうぶ、応援してくださいとのメッセージが伝わってきます。元のように戻るのがよいのかどうかなど、文書を読みながらいろいろと考えました。
本章には、ぜいたくな生活に明け暮れるイスラエルの富裕層の様子が伝わってきます。しかし、その豊かさは主を自分たちの心から締め出すことへとつながり、緩んだ心は緊迫感などありません。そのような彼らの様子を主はつぶさにご覧になっておられます。
「神である主は、ご自分にかけて誓われる」という8節のことばを心に留めました。神は何をお誓いになるのでしょうか。彼らを罪ゆえに、一つの民に攻め入らせて遙かかなたに引いて行ってしまうことを、です。人の誓いには、当てにならないものも多いのですが、主がお誓いになったことは必ずそのとおりになるのですから、「ご自分にかけて誓われる」とは恐ろしいことばです。
それとともに、罪人である私たちを救おうとお誓いになった神は、ひとり子イエス・キリストをこの世界にお遣わしになり、十字架にかけてくださったのだということをも、思うのです。