みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主のことに心を配る

2013年09月25日 | コリント人への手紙第一
コリント人への手紙第一 7章25-40節


 現在の危急のとき、時が縮まっている中で、神に召されたことを大切にして歩むようにという、パウロの勧めが続きます。「みことばの光」がまとめているように、ここではそのメッセージが結婚している人と未婚の人とに届けられます。

 主がおいでになるとの緊張がコリント教会には高まっていたのかもしれません。そうなると、このままではいけない、何かを変えなければ、特別な備えをしなければというように人々の心は動きます。それが、結婚している人々には「結婚をしている場合ではない」と、未婚の者には「結婚しなければ?」となったのでしょうか。

 パウロは、できればそのままでと言うのです。心に留めたのは、「主のことに心を配る」とのことば。
 あの人も大切、この人のことも立てなければ…とあれこれと心を配っているにもかかわらず、イエスさまのことに心を配っているのだろうか、と気づかされました。「心を配る」ということばは、聖書の他の箇所では「心配する」とか「思い煩(わずら)う」などと訳されます。

 もちろん、これは「イエスさまはだいじょうぶなのだろうか?」などと気づかうということではなく、イエスさまは私の思いをどのように受け止めておられるか、私の行動をどのように思っておられるのだろうと意識して歩むということでしょう。
 主のために、主から出たことに取り組んでいながらも、気がついてみたら肝心要のことをすっかり忘れてどこかに行ってしまった! などということが起こらないためにも…。

       


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