出エジプト記 4章1−17節
美しく咲き揃っていた水仙が枯れる傍で、薔薇の若葉がきらきらと輝いています。「選手交替」が近づいています。
主なる神とモーセとのことばによるキャッチボールは3章7節から続くのですが、モーセはなかなか首を縦に振りません。それは、40年前の「しくじり」がずっと尾を引いているからかもしれません。
しかし主は、そのようなモーセを選ばれたのです。かつて自分はとんでもないことをしてしまったから、もう二度と同じようなことはできないと思い込むのは、モーセだけではありません。主はそのような人を動かそうとしておられるのです。
モーセは次のように言い訳します。
「ですが、彼らはわたしの言うことを信じず、わたしの声に耳を傾けないでしょう。」 「『主はあなたに現われなかった』と言うでしょう。 「私はことばの人ではありません。…私は口が重く、舌が重いのです。」 「どうかほかの人を遣わしてください。」
できない言い訳を並べるモーセを、確かに主はお怒りになるのですが、彼のために具体的な解決の道をも示してくださっていることにも、目が留まります。
私たちもできない言い訳を並べるならば、いくつでも心に浮かびます。しかし、主が忍耐をしてその人が立ち上がるように、さまざまな備えをしてくださるというのは、モーセだけにではないのだと、わが身を省みて思うのです。