みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

言い訳

2024年04月05日 | 出エジプト記

出エジプト記 4章1−17節

 美しく咲き揃っていた水仙が枯れる傍で、薔薇の若葉がきらきらと輝いています。「選手交替」が近づいています。

 主なる神とモーセとのことばによるキャッチボールは3章7節から続くのですが、モーセはなかなか首を縦に振りません。それは、40年前の「しくじり」がずっと尾を引いているからかもしれません。

 しかし主は、そのようなモーセを選ばれたのです。かつて自分はとんでもないことをしてしまったから、もう二度と同じようなことはできないと思い込むのは、モーセだけではありません。主はそのような人を動かそうとしておられるのです。

 モーセは次のように言い訳します。

「ですが、彼らはわたしの言うことを信じず、わたしの声に耳を傾けないでしょう。」  「『主はあなたに現われなかった』と言うでしょう。  「私はことばの人ではありません。…私は口が重く、舌が重いのです。」  「どうかほかの人を遣わしてください。」 

 できない言い訳を並べるモーセを、確かに主はお怒りになるのですが、彼のために具体的な解決の道をも示してくださっていることにも、目が留まります。

 私たちもできない言い訳を並べるならば、いくつでも心に浮かびます。しかし、主が忍耐をしてその人が立ち上がるように、さまざまな備えをしてくださるというのは、モーセだけにではないのだと、わが身を省みて思うのです。


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