みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

勝利を嘆く兵

2019年08月30日 | サムエル記第二

サムエル記第二 19章1−23節

 きのう午後、知り合い方のアトリエを訪ねました。作品を観てこちらが勝手に類推したことについて、制作者のことばを伺えるという、大変ゆたかな時を過ごすことができました。そのあとの美味しいケーキと紅茶の時間も…。

 ここを読み、2節の「その日の勝利は、すべての兵たちの嘆きとなった」ということばが目に留まりました。ダビデ側の兵は、謀反の首謀者アブサロムを打ち取り、謀反を鎮圧しました。ところが、王はわが子アブサロムの死を悲しみ泣き続けているのです。兵たちはダビデ王の悲しみを思って勝利を喜ぶどころか嘆いています。歓喜で迎えられるはずの勝利者たちが「まるで戦場から逃げて恥じる兵がこっそり帰るように」して帰って来たのです。

 王であるダビデの心にあるのはわが子アブサロムのことだけ。兵士はダビデ王の悲しみを理解し、王を気遣って静かにしているのです。立場が逆転しているのです。

 この時、王はどのようであるべきかとダビデ側の軍団長ヨアブがダビデに直言します。非難のようにも響きます。ヨアブは理想的ともいえる王の臣下ですが、冷徹さのようなものがここにも現れます。しかし、彼の言うのはもっともなこと。ダビデはわが子の死をいつまでも悲しむ父親であってはならないのです。

 ヨアブの厳しいことばに、「今日」が繰り返されているのが目につきます。「今」「今夜」ということばもあります。一刻の猶予もなくダビデはなさなければなりません。主はヨアブによって悲しみに沈むダビデを、動かそうとなさっているのです。当たり障りのない、あるいは自分を持ち上げてくれるようなことばを届けてくれる人ではなく、気に障るようなことばを語る人のことばの中に大切な神からのメッセージが込められていることがある、と気づかされます。


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