箴言 8章1−21節
ここ一週間で、街路樹の、そして公園の樹々の色がずいぶんと変わりました。秋晴れが続きます。散歩の途中でクルミの木があるとその下をうろうろ。落ち穂ならぬ落ちた実を探します。スーパーで買えばよいのですが、拾って割った実が特別に美味しいと思うのは不思議です。
知恵が一人の人として呼びかけています。人々が通り、あるいは集まる場所に立って、「わたしのことばを聞け」と声をあげているのです。すでに1章20、21節で「知恵は大通りで叫び、広場でその声をあげ、騒々しい街角で叫び、町の門の入口で、そのことばを語る」とありました。
知恵は、浅はかな者たち、愚かな者たちに、賢さ、良識を身につけよと叫びます。このことばを読んで、自分にはあてはまらないと思う人がいるかもしれませんが、じつのところ、そのような人は一人もいません。誰もが、知恵のことばに耳を傾けなければ、破滅への道をたどり続けなければならないのです。
12−21節には、知恵が自分がどのようなものかを主張しています。私たちの周りに、このような主張ができる人はいません。「摂理と知性はわたしのもの」と誰が言えるでしょうか。あれこれといろいろなことができるようになった人、多くの富を築き上げた人であったとしても、世界を自分の意のままに動かすことはできません。そのようにできると言う人がいたら、自分のことがよくわかっていないのでしょう。このように紹介、主張できるのは神お一人。
このように主張するお方とともに毎日を歩ける安らぎをおぼえます。