みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

散らされた、選ばれた

2020年03月04日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 1章1−12節

 午前に近くの診療所に検査の結果を聞きに行きました。異常なしとの話を聞いたら、心が軽くなったように感じました。病を得ている方々の不安や緊張を、ほんのわずかでも共有できた一週間だったと思います。

 きょうからペテロの手紙を読み進めます。「みことばの光」の「ペテロの手紙第一を読む前に」は、パウロとペテロを比べています。それは優劣を比較しているのではなくて、イエス・キリストと出会うまでの道のりが違っていたこと、イエス・キリストとの出会いの仕方の違いを書いています。この二人は、初代の教会で福音を宣教し、教会を建て上げるために、神によって豊かに用いられました。

 ここを読み、人は人生のいろいろなところから、いろいろな時にイエスと会い、いやイエスが会ってくださり、イエスについて行く者として一つのことのために用いられていくのですが、その働きは違うのだということを改めて思わされます。そこに教会に備えられている豊かさのようなものを覚えるのです。

 1節に、この手紙の宛先の地名が並びます。どれも今日のトルコにありました。聖書の後ろに地図がついていたら確認していただきたいのですが、これらの地名は広範囲に及んでいます。「散らされた」ということばからは、本人たちが意図しないことによって移動したという意味もあるでしょうが、自分たちの事情でその地に移り住んだ人々もいたことでしょう。いずれにしても神がそこに散らしてくださったのです。

 2節には「選ばれた」ということばもあります。神によってイエスにある救いを得るために取り出されて選ばれたということであり、人の意欲や思いを遥に超えた、神のご意思を強く覚えることばです。

 私たちも、そして私も、散らされた、選ばれたのです。


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