みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

生ける石

2020年03月06日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙 2章1−10節

 春先の天候はなかなか定まらず、きのうは午後から雨。雨音が天窓を打っています。今は日本との時差が8時間ですので、この原稿を書くのは概ね当地時刻の夕方の6時頃になります。そろそろお腹が空いてきて…という頃に、みことばの糧をいただけるのはありがたいことです。

 2章は「ですから」ということばに始まります。前に述べた「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きたいつまでも残る、神のことばによるのです」を受けてのつなぎのことばです。神のことばによって新しく生まれたのだから、もう古い人ではない。だから、古い人が思い行っていたものを捨てよ、と勧めるのです。

 そして、赤ちゃんがお乳によって成長するように、新しく生まれたキリスト者は神のことばという霊の乳を慕い求めよと勧めるのです。神のことばによって生まれ、神のことばによって成長するのがキリストにある新しいいのちです。

 先日ある方が、朝目覚めて一番に思うのは神さまのことでありたいと話しておられました。数年前に新しく生まれた方がそのようなことを話されたのに、とても感動しました。神さまは、みことばによってその方を成長させてくださったのです。それとともに、尊敬する同労の先輩が「一日の初めに読むのは新聞ではなくて聖書」と、以前に話しておられたのを思い出します。

 キリスト者の成長とは、ともに生きる者としての成長。ペテロはそれを建物にたとえます。キリストが建築工事の折に必要がないものだとして捨てられた石にたとえられ、神には選ばれた「尊い生ける石」だと言います。そして、キリスト者も「生ける石」として、霊の家に築き上げられるのだと続けます。

 神のあわれみを受けて、このような務めに用いていただけるのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。