みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

息もつけないほど…

2017年11月06日 | エゼキエル書

エゼキエル書 41章

 第一日曜日には、礼拝の後でその日の宣教からの分かち合いがあり、子どもたちの分級があります。昨日の宣教の箇所ははエゼキエル書40章後半。エゼキエルの見た神殿の幻の中での「外庭から内庭に入るための三つの門」についての記述でした。

 正直言って、私たちにはなかなか親しみが湧かない箇所かもしれません。けれども、祭司のエゼキエルは40章から42章にわたって描かれている神殿の構造を、深い感動と共に聞いたのではないだろうかと、想像してしまいます。

 エゼキエルがこれを見たのは、彼が捕囚となって25年目の年だったと40章のはじめにあります。それは、紀元前573年のことでした。エルサレムにソロモンによって建てられていた神殿が破壊されて、14年ほど経っていました。神がエゼキエルにエルサレム回復の預言をお与えになったのは、エルサレムが陥落する前後でした。14年も経てば、最初は回復を期待していたエゼキエルも、捕囚されたいた民も希望をほとんど持つことができなかったのではないかと、思うのです。

 41章は神殿の本殿(聖所、至聖所)の構造についてです。門を通り外庭へ、さらに門を通り内庭へ。そして、いよいよ本殿へと歩を進めていくのです。聖所の入口の幅は門と同じ10キュビト(およそ5m)。しかし、至聖所の入口の幅は6キュビト(およそ3m)と狭くなっています。これは、主の聖なる臨在に近づくことを表わしているのかもしれません。

 エゼキエルは祭司ですから、至聖所には入れません。彼を連れ歩く主の使いは、しかし彼に、入口の向こう側を見せるのです。聖所と至聖所を隔てる垂れ幕はありません。息もつけないほどではなかったでしょうか。

 神からの幻は、今は聖書によって与えられます。希望を失いかけていたときに聖書を読んで心熱くされたということがあるのではないでしょうか。


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