エゼキエル書 40章1−27節
二週間少し前に来た南ドイツ・モンバッハタールに来ています。思ったより落葉が遅く晩秋の装いです。きのうから四日間、欧州の同労者たち25人が集まっています。
エゼキエル書は40章から新しい主題に入ります。神はエゼキエルに新しい神殿を見せてくださるのです。
1節に「私たちが捕囚となって25年目…」とあります。エゼキエルたちがバビロンに捕囚されたのは紀元前597年のことですから、時は紀元前573年頃。ここを読んで25年前に自分はどこで何をしていただろうかと立ち止まっていました。長男が大学に入学した頃でした。
また、同じ1節に「都が占領されてから十四年目のちょうどその日」ともあります。神殿が破壊された14年後のちょうどその日に新しい神殿の幻をエゼキエルが見ることができたのは、まず預言者である彼の心の中に、自分たちは必ず戻ることができる、エルサレムは復興するという確信を与えたに違いありません。
この部分には、神殿の外庭のことが描かれています。外庭の周囲には壁が巡らされていて、東と北、そして南に門があります。どの門にも窓がついています。その窓から門衛が神殿の外庭に入る人を、入るにふさわしい人かそうでないかを見ているのです。
ここを読んで「だれが 主の山に登り得るのか。 だれが 聖なる御前に立てるのか。 手がきよく 心の澄んだ人 そのたましいをむなしいものに向けず 偽りの誓いをしない人」という詩篇24篇3−4節を思いました。
そして、そのようにしてくださったイエス・キリストの十字架を思い浮かべました。