エゼキエル書 41章
研修会場から列車で一駅の町にあるキリスト教書店を訪問。私たちを歓迎してくださってコーヒーや紅茶をご馳走してくださいました。行き帰りの川沿いは落ち葉を踏みしめる秋の道です。
この章は神殿内部の様子を描いています。1−4節からは、内部が大きく本殿(聖所)と最も聖なる所(至聖所)を置いて、壁には三階建てで各階に30ずつ部屋が置かれていました。そしてこれらの部屋(脇間)は上に行くほど広くなっているという構造です。
4節の「これは最も聖なる所だ」ということばに目が留まります。「最も聖なる所」(至聖所)には、大祭司が年に一度だけ入ることが許されていて、エゼキエルのような祭司は入ることができませんでした。
現在の私たちにとって「最も聖なる所」とはどこにあるのだろうかと立ち止まってみましょう。エゼキエルに示された神殿は目に見えるかたちでは存在しません。私たちは、ここが最も聖なる所だと、地理的にどこかを特定することはできません。
どこかに行かなければ主の聖なる臨在を受けられないということではないのです。自分がいる所が主の臨在の場所であり、最も聖なる所なのです。
旧約聖書出エジプト記3章5節の「あなたの立っている場所は聖なる地である」との神のことばを思いました。