みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしの民

2022年11月16日 | エゼキエル書

エゼキエル書 46章

 どんよりとした、この時期らしい天候が続いているのですが、それでも思い切って外に出ると、いろいろな発見があり、歩いていると体が温かくなります。

 40章以降の新しい神殿の幻では、君主が祭司のような務めをすることが特徴的です。国を治めるだけでなく、民を代表して神の前に立つのがここでの君主の役割です。しかし、君主といえども神殿の中庭にはいることは許されませんでした。外庭と中庭とをつなぐ門の敷き居の所で、君主はささげものを祭司に渡し、祭司がそれを祭壇でささげる(焼く)のです。そして、君主は門の敷き居の所で神を礼拝します。

 この章にはさらに、君主についてのいくつかの規定があります。君主への相続地はその一部を奴隷に贈り物とすることができるのですが、逆に民の相続地を奪うことは許されていませんでした。その理由が18節にあります。「わたしの民がその所有地から一人でも散らされないようにするため」なのです。

 力のある者は力のない者に分け与えるべきであり、力のない者から奪うことは許されないというのは、どの時代にも変わらない、権力者のあるべき姿なのではないでしょうか。ここにある君主の理想像とも言えるあり方は、裏を返せば、エゼキエルの時代までのイスラエルの歴史では実現できなかったということです。


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