みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

いずれまた…

2021年07月31日 | 使徒の働き

使徒の働き 17章16−34節

 

 感染者が出ないようにとの主催者側の周到な準備と対応のなかで、集まりは二日目を終わろうとしています。驚いたのは食事の美味しさ。ドイツ国境の町なのでどこか似たような料理なのですが、やはり一味違います。おしゃれな感じがするのは、思い込みでしょうか。

 ここには、アテネでの宣教の様子が記されています。16節の「パウロはアテネで二人を待っていたが」の二人とは、ベレヤに残ったシラスとテモテのこと。18章5節を読むと、この二人はパウロがアテネにいる時には追いつくことなく、コリントで再び合流することになります。

 アテネでパウロはこれまでとは違う宣教をしています。神々の地で、議論好きな人々の間で、彼はイエスがメシアであることをではなく、天地をお造りになった神がいることを宣教の要点としています。これは八百万の神々の国と言われる日本での宣教とも関わりがあります。

 そしてここでも、パウロの宣教が信仰を持つ人とそうでない人に分けました。「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」ということばに目が留まります。「あとで…」「いずれまた…」というのは、勧誘された時の断りのことばとして私たちも用います。このように言われてパウロは、どのような思いで人々の中から出て行ったのだろうかと、想像します。

 ある人は、パウロのアテネ宣教はうまくいかなかったと評します。しかしそうなのでしょうか。そこでの宣教の働きによって一人でも、二人でも信仰に入る人がいるならばその働きが失敗だったとは言えません。何が成功で何が失敗なのでしょう。


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