使徒の働き 15章30−41節
礼拝後,帰宅してふと,教会の鍵をかけたかな…? と不安になりました。玄関前で立ち話をしていたのですが,鍵をかけた覚えがありません。教会に引き返してみると,やはりかけていませんでした。鍵をかけ,開かないことを確認し「これでよし」と指さし点呼。
エルサレム会議で決議したことを聞いたアンティオキアの教会は「その励ましのことばに喜んだ」とあります。別の聖書は「励ましに満ちたことばを知って喜んだ」と訳しています。「励ましに満ちたことば」をこれまでに何度聞いただろうかと振り返ってみました。忘れられないのは,新しい教会をスタートして間もない頃,私たちを送り出した教会の牧師がかけてくださった一言。「お祈りしています。」この先生は,言ったらそのとおりにする方でした。ですから,思いどおりにならず沈んでいた心を力づけてくれたのです。
36節には,これまでの伝道チームが分裂したことが書いてあります。マルコを二度目の伝道旅行に同行させるかさせないかで,バルナバとパウロの間に激しい議論が起こり,その結果,バルナバとパウロはこれ以降いっしょに伝道の旅をすることはなくなりました。お互いに折り合えばいいのに…という思いもあるかと思いますが,二人に神が賜わった賜物にふさわしく,二つの伝道チームが誕生したと考えることもできます。
切り開いて行くパウロのような働き人も必要ですが,引き受けるバルナバのような働き人も必要なのだと,ここを読むたびに思います。宣教の働きを自分の理解の範囲で狭くしてはいないかとの問いかけとともに…。