歴代誌第二 14章
近ごろは、たくさんの電動スクーターが街を走っています。こちらは主な道路には自転車レーンがついていて、このスクーターは静かに近づいてサーッと追い抜いて行きます。スピードも出ます。スクーターに追い越されると、ときどき「これでますます人類は歩かなくなる」などと憎まれ口を叩いています。
アサ王は信仰の王として知られています。注目すべきはは、彼が民にも主を求めさせたということです。上に立つ者が個人的に神への信仰に歩むということだけでなく、王として民に神を求めるように促したのです。これは、まことの王である神のもとにある国の指導者としてのあるべき姿だと思います。ここは、誰かにではなく、私自身に適用するべき大切な姿勢だとして読んでいます。
話が少し逸(そ)れるかもしれませんが、キリスト者が自分の信仰を明らかにしないままにするということがあります。理屈はいくつも成り立ちます。「仕事に宗教を持ち込まない」などということは常識などと言われます。キリスト者が信仰のゆえに行ったことがメディアに採り上げられ、紹介されてみたら、神への信仰の部分がすっぽりとカットされていたなどということは、日本ではよく見られます。残念なことです。
平穏なアサの治世に訪れた危機。南からクシュが攻め込んで来たのです。その時の朝の祈りは、何度読んでも勇気を得ます。自分の実績に頼ることなく、主に拠り頼む、私たちはそのようにしてきましたと祈るアサの姿には、すがすがしささえ感じます。人間の力の大きさに圧倒されそうになるとき、また自分の力をいつの間にか自慢するような心に陥っているとき、アサの祈りを思い出すのは大切なこと、です。