ヨブ記 19章1−20節
南ドイツシュトゥットガルト近くにある山の上に来ています。途中の紅葉はまさに今が見頃。特にきのうは天候が良く林の広葉樹が陽の光によって金色に輝いていました。この素晴らしい環境で、皆さんとともに三日間みことばと取り組みます。
19章前半からは、言いようもないヨブの孤独が伝わってきます。三人の友人たちが自分を罪ある者だとして責め続けること、これがどんなにヨブを苦しめたのかは、「もう、十度もあなたがたはわたしに恥ずかしい思いをさせ、恥知らずに私をいじめる」という激しいことばからわかります。「十度も」というのは、実際に10回というよりも、何度も何度もということを表しているのでしょう。
そして、神の沈黙です。神はいつになったら私に語りかけてくださるのだろう、そうすれば自分の潔白が明らかになるのかと期待していても、神はお語りになりません。新改訳聖書を改めて読むと7節から12節には「神は」ということばが連なっています。それは、「神よおっしゃってください」とのうめきのように響きます。
さらに14−20節には、「私」ということばが並びます。これはヨブがこの時深い孤独を味わっていたということを示しているように響いてきます。
親しい者は自分を嫌い、友は自分を責め、そして神は黙っておられる…。このような絶望的な中にも、一条の希望の光が〜誰かの慰めのことばとしてではなく、苦悩の中で聖霊なる神が明らかにしてくださった〜彼の心に差し込もうとしています。