みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

確かにそうだ、でも…

2016年10月11日 | ヨブ記

ヨブ記 4章

 久しぶりに中央駅に行きました。列車の行き先を眺めるだけで、気持ちの高まりを覚えます。初冬のような寒さを覚える月曜日でした。

 七日七夜ヨブと共に黙して地にすわっていた三人の友人の一人、エリファズが自分の生をのろったヨブに語りかけます。「みことばの光」が書くように、エリファズの語りかけは、ヨブへの配慮がにじみ出ています。彼はまず、遠慮気味にヨブに語りはじめています。さらに、3,4節では、ヨブの良い面を挙げます。

 しかし、ヨブが取り乱している様を見て、ヨブの苦しみは神が何らかの罪ゆえに下されたものだとの示唆を与えようと考えているようです。エリファズには、彼なりにヨブの回復の道筋が描くことができたのでしょう。「ヨブよ。あなたの罪を神の前に告白せよ。そうすれば、神はあなたを赦し、そこからあなたは立ち上がれる」と…。

 17節の「人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前にきよくありえようか」とは、このように言われたらだれもがそうだとうなずくような決め台詞のようなものです。しかし、正しいことばが必ずしも、苦しみの窮みにある人に届くとは限りません。「みことばの光」は、「正しい人が苦難のどん底に突き落とされるような状況…では我々の常識や良識はほとんど通用しない」と書いています。

 人に語ったり、諭したりするることの難しさを改めて覚えます。


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