ローマ人への手紙 7章1−12節
礼拝から帰宅したあと、いつもの服装で歩きに出かけましたが、寒かったです。戻って気温を確認したら12度。この秋初めて寒さを感じた日です。きょう、10月3日は「ドイツ統一の日」という祝日です。1990年10月3日に東西ドイツの再統一が成立したことを記念して覚えられています。
ここでパウロは、キリスト者と律法との関係がどのようになったのかを語っています。それは結婚がどちらか一方の死によって解消するように、キリスト者の死によって律法との関係が解消されたと言うのです。パウロは6章でも、キリスト者とは古い人がキリストと共に十字架につけられて死んだ者なので、自分は罪に対して死んだ者だと思いなさいと促しています。死んだ者は律法から解放されているのです。それを「みことばの光」は、「自力で律法を守ろうとする生き方とは完全に縁を切った」と書いています。
それでは、こんなにも人を罪に追いやるような律法はとんでもないものだとの反論を想定してか、パウロは悪いのは律法ではないと否定します。むしろ「聖なるものであり、…正しく、…良いもの」だと言います。
しかし、この良いものを目の前にして、人は自分がどれほど素晴らしいかと自己陶酔に浸るようなことにはなりません。いや、もしかしたらそんな心境になってしまう瞬間もあるのかもしれませんが…。気を取り直して、自分を律法の前につまびらかにされるならば、「罪が生き、私は死にました」と言わざるをえません。
7月にアウトバーンでスピード違反の罪を犯しました。くっきりと映った運転席の私と自動車のナンバープレートの写真の証拠を突きつけられては、認めざるをえません。「あの場所で速度制限をかけるなんて間違っている」と怒ったあとで、「悪いのは自分だ」と納得したことを思い出しました。