ローマ人への手紙 8章1−17節
ちょっと毒々しい感じがしますが、森の中で発見!
読むたびに、1節の宣言をありがたく受け取るものです。罪に定められることがないとの宣言を実効あるものとするために、神は御子を罪深い肉と同じ形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されました。それは、私たちが肉に従ってではなくて御霊に従って歩むためなのです。肉によっては決してなしえなかった律法の要求を、御霊に従って歩むことによって全うされるとも言います。
そしてここには、肉に従う者の姿と御霊に従う者との姿とが鮮やかに対比されています。肉に従う者は肉的なことをもっぱら考え、その思いは死であり、神に逆らうものであって神を喜ばせることができません。一方、御霊に従う者は御霊に属することをもっぱら考え、その思いはいのちと平安、死ぬべきからだを生かしてくださいます。
どちらに従って歩むかの結論は出ました。賢明な人は御霊に従う道を選び取るに違いないとパウロは期待しているかのようです。
「アバ、父」という15節のことばをありがたく読みました。神の御霊に導かれる人は神の子どもとして扱われます。そして、いつでも御霊によって「アバ、父」と親しみをもって神に呼びかけることができます。さらに、莫大な父の財産を相続する権利を有しています。
祈るときに私たちの多くは、「天のお父様」と呼びかけますが、そのように呼びかけて祈ることのできる幸いをかみしめます。うちにおられる御霊が導かれて初めて、「天のお父様」と祈ることができるのですね。