ヨブ記 17章
生まれて1ヶ月少しの孫が、RSウィルスというものににかかり、6日間ほど入院しました。調べてみますと、このウィルスは新生児にはなかなか手強そうなものだとありました。幸い、検査の結果も良く、きのう退院できたので安堵しました。
この子の母親も、生まれて1ヶ月少しで肺炎のために入院し、一晩生死の境をさまよいました。その時に当直医が言ったことばは忘れられません。「今晩一晩持てば…。」今振り返ってみたら、かなり危ないというニュアンスのことばなのですが、その時の私たちには、「一晩持てば何とかなる」という希望を抱くことばに響きました。
ヨブは「私の望みはどこにあるのか。だれが、私の望みを見つけよう」と言っています。これは、彼が絶望していたということではありません。前の章で、天に私の証人がいるとの思いを抱いた彼は、ここでも「私を保証する者をあなたのそばに置いてください」と神に訴えています。このことにだけ、彼は望みを抱いたのです。
自分は周りにたくさんの頼りになるもの、頼りになる人があるのだと改めて思います。家族、友人、わずかな貯え、自分の健康…。けれども、それらがある時を境に、はぎ取られるようなことが起こったらどうなるのかと考えてしまいました。
夜通し向かい風に苦しむ弟子たちのところに、主イエスは湖の上を歩いて近づき、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と声をかけてくださいました。絶望の中で希望を与えることばです。ヨブが「私を保証する者」としたのは、このお方です。