ヨブ記 1章
夕方、日本から来た友人と私たちと三人で、家の近くの公園を歩きました。日も傾きかけたので、一人歩きで発見した森の小道はもう少し太陽が出ている時間にということにしました。
「みことばの光」の通読計画では、きょうからしばらく「ヨブ記」を読みます。「ヨブ記を読む前に」という記事では、聖書全体を広大な庭園に、そして「ヨブ記」を含めた知恵文学という書物を深い森に譬えていました。ヨブ記を読むことは、この深い森に足を踏み入れることだというのです。
幸せを絵に描いたようなヨブの人生は、ある日を境に大きな揺さぶりを経験します。あっという間に財産を失い、雇い人を失い、さらには10人の子どもたちを失ってしまいます。なぜこのようなことが起こったのかについて、ヨブ記の読者には明らかにされていますが、当のヨブ自身には何も知らされていません。
サタンは、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」と神に挑戦します。神はサタンの挑戦を受けて立ち、ヨブが大きな苦難に遭うのをお許しになるのです。しかし、ヨブが大きな苦難を被る理由は明かされません。「ヨブよ。わたしはおまえに大きな苦難を与える」と神が説明されたのならば、それこそサタンが問いかけどおりになるからです。
大切なものを失ったヨブは、大きな悲しみを表しながらも、神を礼拝し、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言いました。良きものを与える神は悪しきものもお与えになる、なぜなら神は私の主であるから…とヨブは考えたのです。
サタンの思惑は外れました。しかし、この書の結論はまだ先にあると、「みことばの光」は書いています。