みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

違いがわかる

2015年03月24日 | マラキ書

マラキ書3章13節―4章6節

 「寒の戻り」というのでしょうか。ぶるぶるっと震えて早朝の祈祷会に出かけました。でも、陽射しは春のもの。

 預言者マラキの時代は、念願だった神殿は再建されたのにもかかわらず人々の生活が困窮していたと、「マラキ書を読む前に」(「みことばの光」3月号48、49頁)にあります。「神に仕えるのはむなしいことだ…」という3章14節に見られるつぶやきにも、このような背景があったのでしょう。

 神に信頼しても信頼しなくても違いはないのではないか、いや、神に信頼しないのに良い生活を楽しんでいる人もいるではないか、というような思いが民の間に拡がっていたと考えられます。

 心に留めたのは「そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った」という3章16節のことばです。神を信じて生きるのはあまり意味がないという時代の中で、ほんの一握りの主を恐れる者たちが、主に信頼して互いに語り合ったというのです。もしかしたら彼らは、むなしい、何の益になろうとつぶやいていた人たちの仲間だったかもしれません。しかし今は、向きを変えてつぶやきではないことばを語り合うのです。

 それに主は耳を傾けておられるというのです。励まされます。

 違いなどないのでは…という不信に対して、そうではない、必ず主が正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者の違いを明らかにてくださるさばきの日が来ると預言者は主のことばを伝えています。

 「違いがわかる人」でありたい、と思いました。


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