みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

残された時を

2015年03月11日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 4章

 3月とは思えない寒い朝でした。朝歩きの途中の水たまりや水路は凍っています。きょうで東日本大震災発生から満4年になりました。覚え続けるというつとめを、きょうから始まる5年目も果たしたいと祈りました。それにしても、「復興」を既成事実にしようとするいろいろな政策が気になるところです。

 きょうの箇所を読むと、「時」を意識します。「残された時」「過ぎ去った時」「万物の終わりが近づきました」「キリストの栄光が現れるとき」「さばきが神の家から始まる時」。信仰ゆえの激しい迫害にさらされる読者たちにとって、できれば来ないでほしいとか、早く過ぎ去ってほしいなどと、時を意識せざるを得なかったのではないでしょうか。

 私たちもいろいろな局面で時に区切られ、迫られます。原稿の締切、賞味期限、発車時刻、集合時刻などなど。やらなければならないとわかっていながら、「その時」が迫っていよいよ! でなければ腰を上げない人もいます。私も放っておけばそんなタイプです。迫っているからちゃんとやらなければと思いますが、きょうの箇所にあるのは、迫っていてもいなくても、意識しし続けるキリスト者の日常。

 今の教会の責任もあと二十日ほど。「迫っていてもいなくても」などと書きましたが、やはりお尻に火がつき始めました。たいへん!


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