みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

イエス・キリストのしもべ

2015年03月25日 | ユダの手紙

ユダの手紙 1−16節

 「街の洋食屋さん」という看板を掲げているお店の前を行き来していて、いつかは行ってみたいと思っていたレストラン(食堂といったほうがいいかな…)の出前「カツ丼」をごちそうになりました。「とてもおいしい「カツ丼」でした。カツライス」も出前されましたが、洋食屋さんのそれ。一枚のお皿の中心は豚カツ。回りには主役を引き立てるかのように、キャベツの千切りとポテトサラダ、そしてトマト。別のお皿にきらきらと光るご飯が…。今度はお店に入って、「カツライス」を食べることにしましょう。 ごちそうさまでした!

 「みことばの光」3月号では、いろいろな聖書箇所を読みます。きょうとあすは「ユダの手紙」。ひそかに忍び込んで来た偽教師たちから教会を守ろうと、この手紙は書かれました。人を惑わして結局イエス・キリストの救いを否定するように誘う、教師たちの実態をユダは激しい調子で訴えています。とくに12、13節では、いかにももっともらしい教えが実は、薄っぺらで実体のないものだということを、これでもかこれでもかと書き連ねています。

 心に留めたのはユダの自己紹介のことば。彼は自分を「イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟」だと紹介して手紙をはじめます。ヤコブもユダもかつてはイエスの弟として、イエスを救い主だと信じないで気が狂っていると思っていたのですが、主イエスの復活を境にして、彼らの人生には大きな変化が訪れました。自分がイエス・キリストのしもべだと公言します。ほかの人たちはこのユダを「主の兄弟」と呼びましたが(Ⅰコリント9章5節)、ユダ自身は、「イエス・キリストのしもべ」「ヤコブの兄弟」と呼んでいるのです。ここにユダの謙遜を見ます。

 人間関係の中で、ここは下に出てとか、ここではばしっと決めて大きく見せなければ、というような操作に明け暮れるのではなくて、自分は「イエス・キリストのしもべ」なのだという立ち位置を決めることの大切さを改めて覚えます。


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