みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

後の時代に

2015年03月28日 | 詩篇

詩篇 78篇1−22節

 歴史というと、何年に何があって…ということだけをひたすら覚えさせられるような印象が中学生や高校生の頃にはありましたが、教科書のさらっと記す一言の中に人の息遣いが感じられるようになったら、興味が湧いてくることでしょう。

 きょうの「みことばの光」に、「自分の国の歴史に対する理解と姿勢において、日本人とイスラエル人には大きな開きがある」とあります。自分たちで自分たちの歴史を記そうとしたら、都合の悪いことはあいまいにし、都合よいところでは誇張してなどという書きかたをするのでしょう。日本と近隣諸国の教科書の記しかたについて考えが合わないのも、そのようなことに起因しているのだと思います。

 聖書は歴史の書だとも言えます。旧約聖書は主にイスラエルの歴史、そして新約聖書後半は教会の歴史が記されています。そしてそれは、神がお選びになったイスラエルの民や主イエスによって誕生した教会を美化することなく、むしろ知られたくないような負の歴史も直視します。

 この詩篇に記されているのも、主がご自分の民になさった奇しいわざ、にもかかわらず民が神を信じることなく契約を破ってしまったということです。だから彼らは、自分たちの父祖たちが神に信頼せずに契約を破り、奇しい主のみわざを忘れたと語り告げるのです。自分たちも含めて後の人々が「神に信頼し、神のみわざを忘れず、…仰せを守る」ために。


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