みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

一つしかないのですか

2013年03月12日 | 創世記
創世記27章30-46節


 ウォーキングの締めくくりの公園では、梅の花が咲き揃いました。今朝は、ずいぶんと冷え込みましたが、陽射しが気温をぐいぐいと上げてくれるでしょう。
 朝早くの祈祷会に集っている方は、耳鼻咽喉科で仕事をしています。ここ数日は、一日に300人の来院者があったとのこと。花粉症で苦しい思いをしている人が増えているようですね(他人事みたいに書いていてすみません)。

 人や物は失って初めてその大切さに気づく、とよく言われます。弟に祝福を横取りされたエサウもまた、その一人でした。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください」と涙するエサウのことばを、ある人は聖書中最も哀調に満ちたものだと書いています。

 「それもこれも、みな横取りした弟が悪い! 」と、エサウはヤコブへの憎悪を募らせ、殺意を抱きます。
 確かに、観かたによってはエサウがかわいそうだとも言えなくはありません。父の指図どおりに、野に行って父のために獲物をしとめ、おいしい料理をこしらえている間に、弟が祝福を横取りしたのですから…。

 横取りするヤコブ(そしてリベカ)は責められるべきでしょう。けれども、エサウにもこうなるための原因があったことを、これまでの出来事は読む者に伝えています。そして、「祝福は一つしかないのですか」ということばに、見えないお方を、見えないものを大切にすることにおいて、彼が熱心ではなかったという態度をも垣間見るのです。

 神が罪人を恵みあわれんで、救われるために、御子を人としてお遣わしになったということを、神からの祝福として喜んでいるのだろうか、他では決して得られない尊いものだということに気づいているかと、問われる一言です。



    


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