みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

天の故郷にあこがれて

2013年03月07日 | 創世記
創世記25章1-18節


 以前幼稚園の働きをしていた頃、「お店やさんごっこ」というイベントがありました。お金を作って(もちろんおもちゃです)、それで売り買いをするのです。「いらっしゃい!」「このラムネいくらですか?」「ひゃくまんえんです!」「それじゃ、ひゃくまんえんね」「ありがとうございます!」聞いているこちらがびっくりするような金額が、子どもたちのことばに飛び交って、それはそれは楽しい時間でした。幼児にとって大金とは、「ひゃくまんえん」なのかもしれませんね。

 アブラハムは175歳で地上の生涯を終えました。
 リベカを連れ帰ったしもべは、主人アブラハムを次のように紹介しました。
「主は私の主人を大いに祝福されましたので、 主人は富んでおります。 主は羊や牛、 銀や金、 男女の奴隷、 らくだやろばをお与えになりました。」(創世記24章35節)
 アブラハムは巨額の富を所有していたことがわかります。しかし、だからといって彼はその富で広大な土地を自分のものにしたのではありませんでした。彼が購入したのは、妻サラを葬るため、そして自分が葬られるための、わずかな墓地でした。

 「これらの人々はみな、 信仰の人々として死にました。 約束のものを手に入れることはありませんでしたが、 はるかにそれを見て喜び迎え、 地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」と、ヘブル人への手紙11章13節にあります。
 アブラハムが、巨額の富を持ちながらも自分の不動産を拡大しなかったのは、彼の主への信仰の証しだというのです。それは、彼が何を、そしてどこを人生の最終目的としていたのかを知らせている…、そのように教えられます。

 「事実、 彼らは、 さらにすぐれた故郷、 すなわち天の故郷にあこがれていたのです。 それゆえ、 神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。 事実、 神は彼らのために都を用意しておられました。」ヘブル11章16節

  






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