みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

エサウとヤコブ

2013年03月08日 | 創世記
創世記25章19-34節


 親が子どもに名前をつける時には、いろいろ悩み、あれこれ考えます。
 キリスト者の場合は、聖書の中にあることばや登場人物とのつながりで、子どもの名前をつける例も多いようです。「イザヤ」や「パウロ」などを漢字に当てて名づけられた方もいます。

 エサウとは「毛深い」「赤い」という意味の名前、ヤコブとは「かかと」「だます」という意味の語と結びつきがあると、「みことばの光」は書いています。
 父イサクは、予め二人の名前を考えていたのではなくて、妻リベカの胎から生まれ出た時の様子を見て、それぞれの名前をつけました。不思議なことにヤコブという名は、彼のこれからの生き方を象徴する意味も併せ持っているというのです。

 偏愛はいけないとはだれもが思うこと。
 しかし、完全な親など望むべくもありません。イサクは兄を愛し、リベカは弟を愛します。やがて、両親の偏愛という好ましくない姿も、神のご計画の進展に一役買うというのですから、複雑な思いにさせられます。

 イエスを救い主と信じた者たちは、教会の初期にはすでに、「キリスト者」という名前をつけられています(使徒の働き11章26節)。蔑称だったのかもしれないと言う人もいますが、キリストの名がかぶせられるのですからありがたいニックネームです。
 「名は体を表す」とのことわざのとおりに、この一日も「キリスト者」であるとの自覚をもって歩みたいと思います。

  


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