みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

この土地を出て

2013年03月18日 | 創世記
創世記31章1ー21節


 朝早くのウォーキング。今朝は途中から手袋を脱いで歩きました。普段とは違う道を歩きましたが、角を曲がると甘い香りがします。沈丁花が庭先にありました。

 さて、今日の「みことばの光」には間違った記述があります。
 39ページ10行目
 (誤)「…父イサクのテラフィムを盗み…」
 (正)「…父ラバンのテラフィムを盗み…」
 編集者である私が、編集の段階で加筆した折に間違ったもので、責任は私にあります。おわびいたします。執筆された方や、読者の皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。

 長い間伯父の所に滞在したヤコブは、来る時には独りでしたが、子どもたちや妻たち、たくさんの家畜を率いて生まれた国に帰ることになりました。ヤコブというと、父をだまし兄をだますような問題の人、という印象がつきまといますが、この箇所を読み改めて、彼は主のことばによって動いている人なのだと思いました。

 確かに「みことばの光」が書くように、「伯父が私を欺いた」と妻たちに話す時、自分もかつては父や兄を座向いたことを思い起こして、心が痛んだのではなかったかと想像します。けれども、このようなプロセスを通らされることによって、彼は自分のかつての「暗部」に光が差し込むような体験をしているのだと思います。

 主が、欠けの多いヤコブを見捨てすに御声をかけ、ともにい続けてくださったので、ヤコブはここまで来ることができた、それは自分にとっても同じことだと教えられます。

   


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