みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

御顔を仰ぎ見る

2013年03月01日 | 詩篇
詩篇11篇


 きょうから3月。予報とは違って寒くて雪の多い今年の冬でしたが、3月の声を聞くと、春が来たという思いを抱くのですから不思議ですね。何日か前のウォーキングの帰り、近所の方が自宅脇に植えてある梅の木をうれしそうに見ていました。朝のあいさつを交わし「咲きましたね」と言いましたら、破顔一笑「きょう咲いたんですよ」とお答えになりました。
 体感はまだ冬。けれども少しずつ春色が濃くなっていきます。「みことばの光」3月号の表紙色も春らしいですね。

 詩篇11篇の出だしでは、「主に」ということばが強調されています。ほかのだれにでもない、何にでもない、主に!信頼するという、ダビデの強い思いが伝わってきます。
 2節は、ダビデのいのちの心配をする周りの者のことばと取ることができます。それほど、ダビデに追い迫っているいのちの危険は深刻でした。

 「拠り所が壊されたら…」との助言に、ダビデは自分の拠り所は何があっても壊されることはないと、4節以下で答えています。地上の拠り所は敵の攻撃で壊されてしまうかもしれないが、主は天に王座を持つお方なので、何があってもだいじょうぶだと答えるのです。

 4-7節では、「主は…」ということばが繰り返されています。心に留めたのは、ダビデは自分の拠り所である主をよく知っていたということです。
 確かに、相手がだれかがよくわからないでその人を頼りにはできません。「よくわからないのだけれども頼っています」などという人がいたら、だれもが「頼りにならないよ」とアドバイスするに違いありません。

 だからこそ、ダビデはいつ何時何が起こっても「御顔を仰ぎ見る」のです。

    


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