みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

妻となった…愛した

2013年03月06日 | 創世記
創世記24章50-67節


 3月から4月は、日本では異動の時期。通っている教会でも、ひとりで卒業と結婚、そして就職を控えている人がいます。三つの大きな環境の変化が一ヶ月もないうちに起こるのですから、たいへんだと思います。
 子どもたちにとっては入進学。クラス替えで仲良しの友だちと同じクラスになるか、先生が替わるか替わらないかと、ドキドキする子どももいることでしょう。

 リベカの父も兄も、しもべの証しを「主から出たこと」と受け止めました。これで、リベカがしもべの主人アブラハムの息子イサクの妻となるという道が開かれました。「善は急げ」と、しもべはリベカを連れてアブラハムの元に戻ることにしました。

 父と兄が「主から出たこと」なので「主が仰せられたとおり」にと答えたことで、リベカはまだ一度も会ったこともない男性の妻となることが決まってしまいました。今の時代ならば想像もつかないことかもしれませんが、洋の東西を問わず、このようなことはしばしば見られたのだと思います。
 それによると、ある時に男性と女性とが何かのきっかけで出会い、互いに引き合うものを感じてつき合い、結婚に至るという筋書きではなくて、出会う前から二人は夫婦となることが決められているのです。

 改めて67節を読みました。
 「彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。」「彼は彼女を愛した。彼女は彼の妻となった」という順序ではなく、結婚という事実の上に、夫婦がそれぞれを愛するという歩みが伴うのだと、いうことです。
 「愛しているから結婚します!」などというフレーズを見たことがありますが、「結婚しているから愛します」ということなのではないのか…、そのようなことを考えさせられる、大切な順序です。

    


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