みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

覚えておられた

2013年03月16日 | 創世記
創世記30章1-24節


 昨日の午後は、4月にオープンする「福祉の店」の食品営業許可のことで隣町の保健所まで行きました。以前は、ここにも保健所があったのですが、行政機関の統廃合が進み、なくなってしまったのです。まあ、しょっちゅう行くわけではないし、気分転換も兼ねて…と用件を済ませてきました。Photo_2

 長い間「福祉の店を、この街に」と願ってきたことが、ようやく実現しようとしています。何よりも、11の施設と団体が協力して一つのことをするというのがすてきだと思います。店ののぼりを載せておきます。応援をお願いします!

 「みことばの光」には、「出産競争」とあります。
 妻ラケルの嫉妬、夫ヤコブの怒りと、欠けだらけの夫婦のよくあるやり取りがここに見られます。
 ラケルは自分に子どもが産まれないのに嫉妬して、女奴隷を夫にあてがい、子を産ませます。そのようにして産まれた子どもの名前「ダン」と「ナフタリ」の意味が「みことばの光」にありますが、ラケルの思いが噴き出てくるような名前なのですね。
 それに対してレアは…と、あきれるような競争が続いていきます。

 心に留めたのは、「神はラケルを覚えておられた」という22節のことばです。
 神はレアとヤコブ、どちらに肩を持たれたのだろうかなどということを聖書は記しません。ヤコブに嫌われているレアをご覧になって胎を開かれた主は、レアに嫉妬し心乱すラケルを覚えておられ胎を開かれるのです。
 並の人間ならば、「あんたが悪い!」などと軽々に人をさばいて、顧みないなどということをしてしまうのでしょう。

 「神は愛なり」とはよく知られた聖句です。その愛がどのようなものなのかを、「覚えておられた」とのことばは改めて伝えている、と思いました。



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