みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

「私です」

2013年03月11日 | 創世記
創世記27章1-29節


 東日本大震災発生から2年目のきょう、郷里福島を改めて思いました。
 「区切りじゃない 忘れない」という朝刊トップのことばに目が留まり、充分なことができないという後ろめたさを抱きつつ、小さなことでもし続けること、神に祈り続けることを、心に決めました。

 ヤコブが父をだまして、エサウが受けるはずの祝福を横取りしてしまう、というのがきょうの箇所。今回の通読で、この出来事は、ヤコブではなくて母リベカ主導で企てられたものだということに気づきました。それは、「みことばの光」にあるように、単にイサクがエサウを、リベカがヤコブをそれぞれ偏愛していて…ということではなくて、主がすでにリベカに示しておられたみこころだったことを覚えたいと思います。→25章23節

 リベカは、彼女なりの理解で主のみこころがなるようにと、動いたのでしょう。だからといって、リベカが企てヤコブがそれに乗ったやりかたで良かったということはできません。ヤコブが、リベカの命令や指示に嬉々として従ったという様子は感じられません。何となくどこかに後ろめたさを覚えながら、結果として父をだまし、兄を怒らせるのです。「私です」ということばが、そのようなヤコブの複雑な思いを伝えているようです。

 結果として、ヤコブはこの時の「うそ」を機に、兄から逃走し人からだまされる身となります。だが、この後待ち構えているいろいろなつらい出来事もまた、ヤコブが神からの祝福を得るにふさわしい者と整えられていくために、通らなければらなかったと考えることができます。


    


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