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〇〇のはなし号、故郷の駅通過(長門二見駅)

2021-03-05 00:10:13 | 2020_秋_JR九州放浪記

 今からおよそ100年前の1925(大正14)年。当時の鉄道省(国鉄の前身)が山陰本線を海岸沿いに敷設する計画がありましたが、滝部の権力者なのか地元の要望により、ここで線路を内陸に入るように「く」の字に折り曲げ。

 折り曲げられたため、トンネルを貫通し・・・

 まもなく長門二見駅に接近。手前の道路は、二見トンネルが出来る前の旧道。2台がやっとすれ違うほどの狭い道幅です。

 駅前通りの集落。その画像の中に、生家がちらっと。今は伯母はあそこで暮らしていますが、会いに行けるのはおよそ1ケ月後。今回はかなりニアミス。

 まもなく、ホームに接近します。

 鉄道省の長門二見として設置されたところなので、ホームの長さは非常に長い。10両や12両編成の客車が停まっても客扱いは可能な長さ。

 鉄道開業時の100年前は、大勢の人が行き交い、木造の駅舎に駅長室、当直室、きっぷ売り場、鉄道小包窓口、改札口、出発の合図を送る駅員、線路のポイントを切り替える駅員さんもいた。駅前通りもかなりにぎやかで商店、饅頭屋さん、駅前旅館や食堂もあった。

 あれから100年後の今。駅はもうすっかり無人駅化され、二見饅頭は現存しているが、商店、駅前旅館、食堂なども廃業。残念ながら通過してしまいましたが、ちょうどお昼時だし、ここに停車し、シーフレンズふたみ謹製の新鮮な海鮮盛りだくさんの駅弁を出張販売してくれたら・・・。昔の時刻表を開いてみると、主要駅ならほとんど「弁」マーク付き。長門市駅もありました。昔は駅弁の需要があるほど、鉄道利用者がたくさんいたそうです。今回は通過してしまいましたが・・・1ケ月後・・・

 舞い戻ってしまいました(笑)。

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