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江戸東京博物館/戦時中の住まい

2011-07-15 00:53:56 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は7月14日。今年は梅雨明けが非常に早かったせいか、今日も33度くらいありました。
 震災直後の東京電力管内の供給能力は3700万キロワット。
 使われなくなった横須賀火力発電所を復活させたところもあるので、ようやく5270万キロワットにこぎつけることができました。
 この夏、エアコンの需要が増えても計画停電を実施しないのは、東京電力の企業努力と、ひとりひとり節電に心がけているおかげもあるかと思います。

 去年に比べると、照明を半分に落としているせいか、暗さにはもう慣れてしまいました。
 照明を半分に落としたほうが涼しげに感じるようになりました。


201107150001 江戸東京博物館の中で展示されている、戦時中の住まい。
 窓ガラスにテープが張られているのは、爆撃により、ガラス破片が飛び散らかさないようにするため。
 電灯の笠を黒い布で隠しているのは、当時の大日本帝國政府が国民に「灯火管制」を命じ、家から漏れる光で敵機に気づかれないようにするためだそうです。昭和天皇の玉音放送があった昭和20年8月15日の夜は、明るい電灯をつけることができた、とのこと。

201107150002 朝のNHK連続ドラマの「おひさま」も昭和7年からのストーリーなので、太平洋戦争が始まった昭和16年あたりから、このようなセットがテレビに出るようになりました。



201107150003
 戦時中の日本人は小柄なのか、天井が低くなっています。
 
  



201107150004 終戦直後、日本は「大日本帝國」ではなくなりました。
 世界各国に比べると、日本は小さな島国だというのに、「大」を冠するのは日本周辺の諸外国(朝鮮半島、満州、台湾、サイパンなど)を日本にする目論みもあったかも知れません。
 ハワイの真珠湾攻撃を仕掛けた東条英機は東京裁判により、1948(昭和23)年12月23日午前0時21分、巣鴨刑務所(今は池袋のサンシャインシティ60隣接の豊島区立東池袋中央公園)で死刑執行。

 「大日本」をはく奪し、アメリカの占領軍が日本に進駐したときに設置された「ROUTE 2 TOKYO」(現在は京葉道路の国道14号)標識だそうです。


201107150005
 1992(平成4年)まで終戦から50年近く、江戸川区の北小岩でそのままにしてあったそうです。

  

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