ひびレビ

特撮・アニメの感想や、日々のことを書いてます。
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ネオ・ウルトラQ 第12話(最終回)「ホミニス・ディグニターティ」

2013-03-30 22:42:48 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第12話(最終回)「ホミニス・ディグニターティ」


今回登場したのは古代生物ソーマ。寄生した宿主を生きながらえさせる能力を持つ生物で、一部の選ばれた優秀な人間は144年という限界寿命を手に入れることに。国のために働きましょうと教育される中、今の状況に疑問を持つ少女ヒカルがメインでした。

どれほど頭が良くても分からない事がある。優秀になればなるほど論理的に考えてしまい、人間の感情による行動が理解できなくなってしまうのかもしれません。144年間生きられるのに、何故自らソーマを切除するような真似をするのか。何故優秀な遺伝子を持っているのに、それを活用しないのか。言っている事は分かります。でもそれは、あくまでもその理論を押し付ける側の事情であって、本人には全く関係ない話でしょう。144年間生きられなくても良い、優秀な遺伝子を活用できなくても良い。ただ自由に生き、自由に恋をしたい。そういった生活が一切無い。あるのはただ、国のために利用されている子供たちの姿でした。

彼女たちは確かに144年間生きられるでしょう。ただそれは、国のために生かされているというだけな気がしてなりません。恐らく将来、それぞれに見合った重要な仕事を与えられ、より優秀な第6世代を残すために結婚相手も決められ、その子供もまた利用されていくのでしょう。言い方は悪いかもしれませんが、最早機械のような流れです。

優秀な人間だけが選ばれ、長生きしていく世界。彼らにより、国は幸福になる。けれどもヒカル自身の幸福はどうなってしまうのか。本来幸せだと思っていたことを忘れ、決められたことに従うことを幸せだと思うようになってしまうのかもしれません。国のために、個人が犠牲になっていいのかどうか。
ヒカルが憧れた外の自由な世界は、選ばれなかった人々が作り上げた世界でもあります。果たして外の世界の人間達は、ソーマに寄生されなかったことについて、どう思っているのでしょうね。


そして仁の謎が一気に深まった最終回でした。冒頭の「お忘れですか」という台詞、そして仁に寄生していたソーマから察するに、仁も昔はホミニスにおり、優秀な科学者としての道を屋島教授などの元で学んでいたのでしょう。けれども研究を進めるにつれて、生きた人間やその心についても興味を抱き、自らの意思で独立した・・・という妄想。
仁に依頼されたのは「ソーマを宿しながら生きる意義を教えること」。何故職員ではなく、仁なのかと思いましたが、それも恐らくは仁が適任者だったからなのでしょうね。仁もソーマを宿しながらも、自らの道を歩み、生きる意義を見つけました。そんな彼だからこそ、様々なことを実体験として語れるのかな。

最後はヒカルに対し、脊髄へ直接ソーマを寄生させる実験が行われようとしていました。最早自分の切除も許さない、自分たちの道具のような扱いです。そこへ助けに来てくれた仁、絵美子、正平!これでめでたし、めでたし・・・
かと思いきや、再びヒカルはベッドの上。同じ光景が繰り返される中、ヒカルが見たのは何だったのでしょうか。服を脱いだような音、そして「脊髄への直接寄生」・・・まさかとは思いますが、仁は自らのソーマを脊髄に移植させることで、ヒカルを守ったのでしょうか。仁の背中には皮膚の下でうごめくソーマがいたのか?

あの遊園地の出来事が現実なのか。それともラストシーンが現実なのか。それは分かりませんが、分からないままで良いのかもしれません。だって仁は自由なのですから。自由な仁は、誰にも束縛されず、自分の意思で行動を決めることが出来る。ヒカルを救い出すことも、そしてヒカルを守るために自らを実験体にすることも、そして他の行動も、どんなことだって出来ます。視聴者として、どういった結末を想像するのか、それもまた自由なのでしょうね。


全体の感想
ということで、ネオ・ウルトラQ、無事に全話終了しました!

いやー・・・正直言って、話の内容は全体的に難しかったですね(苦笑。放送局や時間帯の都合上、そう簡単な話はこないだろうと思っていましたが、なかなか考えさせられる内容が多く、毎回興味深く視聴していました。面白い回もあり、よく分からなくて悩んだ回もあったり。けれどもいずれにしろ、あれこれ怪獣たちや思想に思いを馳せるきっかけを与えてくれた良い作品だったと思います。

ネオQで度々問いかけられてきた「怪獣との共存」というテーマ。この世界(各話パラレルだとしても)では既に怪獣や宇宙人が受け入れられており、彼らにより実益や被害が発生しているケースも多く見られました。ウルトラシリーズなどでは出現した怪獣や宇宙人に驚き、戸惑う人々も見受けられましたが、「ファルマガンとミチル」では、ミチルはさも当然のようにファルマガンの存在を受け入れていました。しかし、これにはむしろ驚く方がおかしいのかもしれません。誰かを心配し、助けてくれる存在。そこに人間か宇宙人かは関係ないのでしょう。

怪獣を一方的に悪だと決めつける人もいれば、怪獣を保護しようという団体もいる。どちらも互いに互いを否定するばかりで、お互いの意見を受け入れようとする姿勢が見られませんでした。怪獣には怖い存在もいる。けれども優しい怪獣だっている。人間が言葉が通じない、見た目が違うというだけで勝手に遠ざけ、排除するのは間違っています。同じ種類の怪獣でも、人間のように1人1人に個性があるかもしれない。「怪獣だから悪」「○○星人は前に悪い事をしたから、今度来た○○星人も悪」と決めつけるのもおかしな話です。そんなんだったら、人間はとっくの昔に互いに誰も信用していないでしょうし、国際交流も無いと思います。

ただ、盲目的に怪獣を受け入れていくことはもちろん危険です。今は有益でも、将来的にどうなるか分からない。能力や人間の企み次第では、ブレザレンだって危険な怪獣になり得る。怪獣はまだまだ未知の存在ですから、プラーナのように多少の注意は必要ですね。

「人間の中にも怪獣はいる」。マーラーのように、悪意に満ちた世界を作り出そうとした存在もいましたが、それも人間の心の中の怪獣を解き放った結果。あの後の世界は、何でも横行する世界になってしまったのかな・・・
そんな怪獣たちと触れ合ってきた仁。彼は今後、どのような道を歩んでいくのでしょうか。ソーマを受け入れ、その中で見つけた生きる意義。まだ100年はあるであろう寿命の中で、数多くの怪獣と出会う事でしょう。


話をメイン3人に移しますと、若干キャラクターの印象が薄いというのは否めませんでした。仁はあれこれ語ったりで出てきますし、絵美子も記者としてあちこちに出向き、様々な事件に関わっていました。そんな中で、正平の活躍がもう少し欲しかったところです。「アルゴス・デモクラシー」では民主主義ではない、個人的な思いの大切さを見せてくれた彼でしたが、どうも薄い感じが・・・最終回も最後の台詞だけではなく、仁を信頼している相棒のような感じで、深く関わってきて欲しかったですね。


さて個性が豊か過ぎる怪獣や宇宙人たち。ここ怪獣というより「存在」といった方がしっくり来る面々も多めでした。個人的にはやはりブレザレンやプラーナといったかつてのQを思わせる怪獣たち、それとガストロポッドがお気に入りでした。話としては全体的に好きなので割愛。これもあれもと思っていたら、全部になりそうでした(苦笑。

終わってみれば全12話のネオQ。あれこれ感想を拝見してはいますが、決して好意的な意見ばかりではないのも分かります。個人的にも「ウルトラQ」の「セカンドシーズン」というのが引っかかる部分ではありました。ゴメスやリトラのような怪獣がバトルするわけでもなく、むしろ精神的にどうこうという話が多い。これはウルトラQではなく、違う作品として放送していたらより受け入れられたのかな・・・と思ったところで、そもそも「ウルトラQ」とは何か?と思いまして。
大きな怪獣が出てきて暴れる。これは「ウルトラQ」第1話。問題が解決せずに終わる。これも「ウルトラQ」。皮肉などが込められている。それも「ウルトラQ」。


「ウルトラQ」に決まった形なんて無いと思います。昔の「ウルトラQ」だって、怪獣が出てこない話はありました。ネオは明るさや楽しさといった部分は薄く、どちらかといえば暗めな雰囲気だったとは思います。けれども、それもまた「ウルトラQ」であって良いんだと、私はそう思います。この30分間、私は確かに不思議な時間を味わう事が出来ましたし。
時代が変われば怪獣も、宇宙人も、人間だって変わります。かつては2020年という未来の時間を持っていたケムール人も、今は更に未来の時間を歩んでいる事でしょう。彼らにも何か変化があったのかもしれません。

人間が変われば、心の中にいる怪獣も変わる。「ネオ・ウルトラQ」は間違いなく、新たな時代の「ウルトラQ」でした楽しめた3ヶ月間でした。ありがとうございました!
さて、5月からは総天然色ウルトラQ放送とのことなので、そちらの感想も書けたら書きたいですね。
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ネオ・ウルトラQ 第11話「アルゴス・デモクラシー」

2013-03-23 22:25:25 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第11話「アルゴス・デモクラシー」


今回登場した知的恐球アルゴス。人間に興味を持ち、観察していた巨大な存在でしたが、今回は彼?による一種の遊びのようなものでした。
過激派と人質の命か、総理の命か。全てを決めるのは国民全員による投票。それは民主主義によるものだとアルゴスは語っていました。国民全員が判断し、その上で決まった結果ならば受け入れるしかないのか・・・正平のように、そんなものを無視して誰か1人でも良いから助けたいと思う気持ちもあるでしょう。それは他人のことを考えない、自分勝手な発想かもしれません。ただそれは必ずしも間違っているのか。
民主主義で決まったのならば、受け入れるしか無いというのも違う気がします。国民の誰もが知的で理性的であることが理想であったとしても、感情がある限りはその理想は難しいでしょう。

よくある多数決なんかでは、例え1票の差でも多いほうが勝ちますが、それで決まったことが本当に正しいのかまでは分かりません。たった1票で負けた少数派は切り捨てられるしかないのか。誰もが納得のいく結論を導き出すことは出来ないのか・・・あれこれ考えても、恐らくは時間が足りないのでしょうね。いつまでも迷っているわけにもいきませんし。だからこその民主主義で納得してもらうしかない。けれども「参加の機会は与えた。意見は集めた。だから違う結果でも納得して」と言われても、簡単に受け入れられません。
今の選択をやり直せるなら、何度でもやり直す。けれどもそれが出来ないから、今の自分の判断を信じ、多数の意見を集めた手段を選択していくしかない。果たしてこの先、これに変わるものは生まれるのでしょうか。その時、民主主義を誰もが捨て去れるのでしょうか。

アルゴスのしかけたゲームは、人々を試すものでした。これまでずっと観察してきたアルゴスは、人間がこのような状況に陥った時にどうするかも知りたかったのでしょうね。初めから観察対象を殺すつもりは無く、ただその動向を楽しんでいました。
何となく、メフィラス星人を思い出しました。「地球をあげます」と1人の少年に言わせようとしたり、GUYSの絆を試したメフィラス星人。卑怯やラッキョウはありませんが、本当にあげちゃって大変な事態になったのはまた別のゾーンの話。こちらは侵略の意思がありましたが、果たしてアルゴスはいつまで人間を観察しているのでしょう。


もう1つ、ネオQ1話でも語られた怪獣の話。怪獣の中にはマスコミや政府によって悪者に仕立て上げられた存在もいる。それはジャーナリストである絵美子が1番良く分かっているのでしょう。ただ洗濯をしただけのブレザレン、地震を食い止めてくれていたガストロポッド、良い香水の原料を出してくれるセーデガン。いずれも良い怪獣たちでした。ところが「怪獣」というだけで嫌悪感を顕にする人もいました。ここら辺に関しては前回第10話でも書いたことなので省きますが、本当に恐ろしいのは「怪獣」というだけで勝手に悪と決めつける人間の方だと思います。ブレザレンが、ガストロポッドが何かあなた方に危害を加えましたか?

実際、凶暴な怪獣達だけを取り上げれば、いくらでも怪獣撲滅の扇動は出来るのでしょうね。怪獣は恐ろしい存在で、一見優しそうに見えてもいつか自分たちに牙を向くかもしれないと。そういった前例があるからこそ、人々はそれを信じてしまうのでしょう。そういえばウルトラマンヒカリは、後に地球を訪れるかもしれない青いウルトラマンのために頑張ってたっけ。

かといって、怪獣達を解放するためになら何をしても良いというわけではない。対話も全く出来ない、ただ暴れまわるだけの怪獣だっているはずです。そんな怪獣が出たとき、何も対策をしていなければどうなることやら。
闇雲に排除するだけではダメ。何も対策をせずに受け入れ続けるのもダメ。怪獣というのがどんな存在なのか、どんな種類がいるのか、きちんと相手を知っていくことが大切だと思います。「怪獣」という枠はもちろん、「○○星人だから悪い奴だ」と一くくりにしてはいけません。

怪獣よりも数が多いであろう人間。そんな大勢の人間達により、勝手に生き死にを決定される怪獣たち。民主主義というのなら、怪獣達にも自分達の未来について意見を交わさせる機会を与えるべきなのではないでしょうか。
今回の絵美子だけでも助けたいという正平の行動。私は批判できません。

正直難解でしたが、次回はいよいよ最終回。まとめは別で書こうと思います。
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ネオ・ウルトラQ 第10話「ファルマガンとミチル」

2013-03-16 22:08:21 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第10話「ファルマガンとミチル」

今回の怪獣は、見習い怪獣ファルマガン。手から放つ光で物体を修復する能力を持つ、心優しい怪獣でした。

もう足は治らないと宣告されたミチル。そんな彼女を可哀想に思い、心だけでも救おうとした母と仁。男子生徒は足は必ず治ると言ってくれたそうですが、女子生徒に言わせればそれは残酷なこと。治らないものを「いつか治る」と希望を与えることは、見方によっては残酷とも思えるのでしょうね。現実と向き合い、治らないということを受け入れた上で歩き出さなければならない。けれどもミチルにはその一歩が踏み出せませんでした。

誰もが彼女の心をいたわる中、唯一叱ってくれたのがファルマガン。「甘い」という言葉は、元々はハチミツをなめた時の言葉。しかしそれが、まさかミチルへの説教の言葉へと変わるとは思ってもいませんでした。治らないと知りつつも、諦めずに車椅子テニスで優勝する人もいる。
彼女と同じ立場にいない私が簡単に言える話ではありませんが、ファルマガンの言うような別の道もあるはず。簡単なことではないと思いますけれども、現実と向き合い、今の自分に何が出来るか探していかなければならないのかもしれません。

ファルマガンが望むのはミチルの笑顔。ただそれだけ。きっと車椅子テニスを紹介したのも、そこで活躍するミチルの笑顔を見たかったからなのでしょう。ミチルの可愛らしい笑顔のために、その命を使い果たしたファルマガン。事実を知ったミチルが足を叩くシーンはちょっと涙腺にきました。

仁が言っていた、ファルマガンがミチルに与える悪影響。仁にしてみれば、ミチルには今の状況を受け入れて欲しかったのでしょう。しかし優しいファルマガンがいては、彼女は現実を受け入れようとせず、いつまでも足は治ると信じ続けていたのかもしれません。もしかしてファルマガンが「甘い」と厳しく言ったは、仁の言葉を受けたからだったのかな。
「優しさ」とは甘やかす、優しくするだけではなく、時には強く厳しく接することも必要なのでしょう。それらが合わさる事で勇気のエクリプスモードに・・・はコスモスの話。

ミチルは足を怪我していた時は「足が治れば自分だって」「私には高飛びしか無い」と嘆いたいました。しかしファルマガンが犠牲となって足が治ると、今度は「歩けなくても良いからファルマガンにいて欲しい」と泣き出す。彼女は仁の言葉が無ければ、またそこで立ち止まってしまったでしょうね。
無い物ねだりを続ける彼女に、仁は「しなければならない事が一杯ある」と告げていました。ただこれも、危険な治療だったのでしょう。安易に厳しくしすぎれば、ミチルはファルマガンがいなくなった事を嘆き続けて、自分に負い目を感じてしまいかねません。そういえば心理カウンセラーだったなぁというのを久々に思い出しました(汗。

再び歩けるようになった今、彼女がやるべき事は泣いて自分の足を叩くことではない。足が治った現実と、ファルマガンがいない事を受け入れ、そしてファルマガンの望みであった笑顔でいること。できれば最後にミチルの笑顔が見たかったところです。あのちょっと曇った表情や天気は、まだ笑顔ではいられないけど、現実を受け入れ始めたという決意の顔なのかもしれません。


人間と怪獣は相容れない存在なのか。思えば今回、ミチルはファルマガンと出会った時から一度も驚いていませんでした。「あれ?驚かないの?」と思いましたが、そもそも何故怪獣が助けてくれたというだけで驚かなければならないのかと自問。怖い怪獣ばかりではなく、優しい怪獣もいます。助けてくれた相手が誰であろうと、それは自分を思ってくれたからこその行動。それを相手が怪獣だからというだけで突き放すのはおかしな話ですね。人間だろうと怪獣だろうと、見た目が違っていても、相手を思いやれば心は通じ合う。

そもそも、人間と怪獣の関係をおかしくしたのは人間の方だと思います。ブレザレンやセーデガンのように、人間に友好的な怪獣もいました。セーデガンは出自が不明ですが、ブレザレンは元からの怪獣っぽいですし、彼は自分の意思で洗濯業を営んでいました。それを見て「怪獣が洗濯!?」と恐れるのは専ら人間の方。いくら怪獣が友好的でも、人間が怪獣を勝手に怖がり、勝手に遠ざけてしまう。
確かに怪獣の中には凶暴な存在もいますが、人間も1人1人容姿が異なり、中には怖い心を持った人もいます。それでも人は人を信じて暮らしています。なのに何故怪獣を信じることが出来ないのか。多少姿形が違っても、犬や猫は受け入れて、怪獣だけが受け入れられない・・・人間はよく分かりません。



誰も彼もが強いわけではない。けれども、弱いからこそ強くなろうと思うことができる。「練習は全てを超える」。ファルマガンの練習は、全てを超えてミチルに笑顔を取り戻すことになりました。次回は1話で出たような怪獣の保護を訴える集団が出てくるようで。しかしでかい・・・
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ネオ・ウルトラQ 第9話「東京プロトコル」

2013-03-09 22:14:56 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第9話「東京プロトコル」

温室効果ガスを吸い込み続けたプラーナが爆発し、日本全体でガスの基準値が突破して、画面が真っ暗に・・・という展開を予想していたのですが、まさかの花咲きENDでした。これはちょっと予想外。


現実でも京都議定書で温室効果ガス削減云々というのは習いましたが、こちらはより厳しく行われている印象があります。ただ、今回の東京プロトコルでのノルマ達成。それは一体何を思って、あそこまで躍起になって達成していたのでしょうか。日本の発展、経済規制の回避、安定した暮らし。それを求める気持ちは分かりますが、誰一人として地球の環境を考えていなかったように思えます。あの中で、誰か1人でも地球を思って検討していた人物がいたのでしょうか。

プラーナ出現時に汗がたれたのは良かったですね。あれは暑さだけではなく、冷や汗、見ようによっては「やめてくれ!」という涙のようにも見えました。
ガスを吸収すると分かるや否や、人々はすぐにエアコンを使い出し、がんがんガスを排出し、まだ使える物を捨て、新しい物を買う。辛い規制が敷かれれば人は物や思いを大事にし、それが無くなった途端にやりたい放題。何とも極端な中、ヒロシだけは終始変わらず本を読み、使える物を大切にし、プラーナを楽観視していませんでした。タケシも良い父親かと思えば、工場が忙しくなった途端に本を読むのをやめて、工場を手伝うように指示するとはなぁ・・・


そしてプラーナの黒化&巨大化。焦ってその情報を伝えた女性でしたが、メンバーは「何か影響はあるのか」の一点張り。今問題がなければ、そう易々とガスを吸ってくれるような有益な生物を殺すわけにはいかない。それはガストロポッドの時もそうでしたが、「未来が証明してくれる」という事なのでしょうね。しかし、それを未来が証明してからでは遅い。
今回は幸いにも花を開いただけで終わりました。しかしあの花は「今は」環境に影響は無いのかもしれません。しかし、何故日本にだけプラーナが来たのか。何故ガスを吸ったのか。


プラーナの正体に関しては2つ考えが浮かびました。1つは星を自分の住みやすい環境に変えてしまう生物ではと思いました。自身の成長の助けとなる温室効果ガスがある日本に訪れ、そこを餌場として成長。そして花を咲かせて、そこから出る花粉が周囲の環境を一変させる・・・そんなレギオン草体のような存在。もしくはマンモスフラワーのように根を張って、人を襲うかもしれません。
あくまでも妄想ですが、あのプラーナが安全だとは全く思えません。例え今が安全であっても、この先ずっと安全とは限らない。プラーナの花が同じく温室効果ガスで育つのだとしたら、それが枯れる時を祈るべきなのでしょう。なのにそれに気づかず、今後とも延々とガスを放出し、プラーナがいなくなった時の事などまるで考えたく無いかのように発展し続けると。

もう1つは人間にやり直す時間を与えてくれた存在というものです。もうどうしようもなくなった時に現れ、自分がガスを吸っている間に何とか打開策を編み出すようにとのメッセージがあるのかもしれません。しかしいつまでも吸収できるわけではなく、限界もある。あの花は、もう手遅れだという意味があるのかも・・・


「仕方ないんだよ、あれは」という言葉には、全てを受け入れたという感情がこもっていました。仕事が無くなれば環境は良くなるが、仕事をしなければ生きていけない。温室効果ガスの削減は重要だが、ガスの排出無しでは暮らせなくなってしまうところまで、人間は到達してしまいました。
地球を思うか、個人を思うか。どちらが正しいかなんて選べませんが、少なくとも「今が良ければそれで良い」とだけは思いたくないものです。

次回は怪獣?ファルマガン登場。
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ネオ・ウルトラQ 第8話「思い出は惑星(ほし)を越えて」

2013-03-02 22:17:16 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第8話「思い出は惑星(ほし)を越えて」


祝!総天然色ウルトラQ、テレビ初放送!時期は5月だそうで。個人的にウルトラQは白黒だからこその良さがあると思うのですが、見ないうちに否定をするのも何ですし、カラー版にも期待するとします。

さて今回は1人の地球人を、自分の星の教皇の意思が宿った後継者として迎えに来た宇宙人の話。遺伝するのは血脈に刻まれた因縁特徴だけではなく、その意思もまた遺伝するというのがギ・ノール星人のハタの言葉。今回浩一が国境無き医師団に志願したのも、そういった教皇の意思がどこかで受け継がれていたのかもしれません。地球に新たに転生したからには、地球で出来る事を成す。日本には教皇の力が無くても助かる人は大勢いるかもしれないが、その他の地域ではそうとは限らない。人が行かない所へ、より多くの人を救うために立ち上がる。教皇はきっと誰よりも民の幸福を願った人物なのだろうなと。

ただいきなり教皇がどうのと言われても信じられるはずも無く。正平ならば・・・と思いましたが、これまで怪獣やら宇宙人を見ているのにも関わらず、ハタが宇宙人であるとはなかなか信じようとしていませんでした。まぁ見た目人間だしなぁ・・・

もちろん意思が遺伝するというのはハタやギ・ノール星の考えであり、それが正しいのかどうかを証明するのは難しいと思います。しかし、それを信じて疑わないハタたちの行動を見ていると、実際にそうなのだろうと感じました。浩一が教皇の意思を受け継いでいるか分からないと思っていたのでは、自分の命をかけて誰かを守る事なんて出来ないと思います。言葉ではなく、その行動でハタは真実を見せてくれました。

ギ・ノール星の問題は、自分達で解決しなければならない。もちろん浩一が教皇として戻れば事態は治まるかもしれません。しかしいつまでも1人の教皇に頼っていかなければならないのか。教皇が死んでから行動するのではなく、生きているうちに教皇の意思を引き継ぐ人物もいるのではないでしょうか。ギ・ノール星に、立派な後継者が生まれると良いですね。


「国境なき医師団」に参加する事を決めていた浩一に対し、「私より恵まれない子が大事?」と問いかけた敬子。浩一は敬子のその問いかけそのものではなく、「恵まれない子」という発言に苛立ちを感じていました。
「恵まれない子」というのは勝手な言い方だなと感じます。「恵まれない子に愛の手を」と言われて想像する風景もありますが、それはあくまでも私が思ってしまった子供の姿であり、その子供が本当に恵まれていないかどうかは、その子供にしか分からないのでは。
「恵まれない」というのは「自分は恵まれている」という思いがある気がします。一体何を基準にして「恵まれない」と指し示しているのでしょうね。金があれば恵まれているのか、医療制度が完備していれば恵まれているのか・・・恵まれている・いないは見た目だけでは決して判断できないものだと思います。
とはいえ、そういった思いから発展する、様々な活動に関しては悪く言うつもりは全くありません。「『恵まれない子』なんて言い方をするな!」と言う事は簡単に出来ても、実際そういった子供たちを救っている活動は簡単に真似できるものではありませんし。「恵まれているかどうかは本人にしか分からないから、助けるのはよそう」というのも違う気がします。表現に思うところはあれども、それは誰かを救いたいという思いに変わりありませんし、立派な活動だなと思います。


思い出は惑星を越えて。ウルトラQというよりは後のウルトラシリーズに出てきそうなサブタイトルでした。聞いた事も無い、会った時間もほんの数十分。けれども彼の行動や歌は、何故か浩一の涙を誘いました。そこには浩一の中にいる、教皇の感情も含まれているのでしょうね。自分に着き従い、迎えに来てくれた上に、命を守ってくれたハタ。彼との様々な思い出が、教皇から浩一に伝わり、涙となったのでしょう。ハタの願いどおり、浩一には立派な医師となってもらいたいです。

さて次回はバルンガのような怪獣プラーナ登場。「人間にとって救世主のような怪獣」は、大体嫌な方向にしか話が動かない気がします(汗。
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ネオ・ウルトラQ 第7話「鉄の貝」

2013-02-23 22:14:11 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第7話「鉄の貝」

ウルトラQで貝と言えばゴーガですが、こちらは良い貝獣でした。あちこちに出現したガストロポッドは体から発する熱により地震を引き起こすと考えられていたものの、事実はそれと真逆。ガストロポッドは熱エネルギーを食べ、地震を防いでくれていました。しかしそんな事実を叫ぶ仁たちの声は誰にも届かず、発生してしまう地震。最後にガストロポッドは卵を産みましたが、あの卵が無事に成長するのかどうか。

地震が起こった際、少女とガストロポッドの周囲は揺れていなかったように思えます。もしかしてあのガストロポッドが熱を吸い取ってくれたから、あの周りだけ揺れなかったのかもしれませんね。メカニズムに関して細かい事を言い出したら夢も希望も無さそうなので、そこら辺はこの場合置いておきましょう(汗。
おそらく海辺付近では熱エネルギーをあまり取り込むことが出来なかったため、あのガストロポッドは亡くなったのでしょう。浜辺から殆ど動かなかった事からすると、元々体力があまり残されていなかったのかも。最期の描写は僅かに得た熱エネルギーを次世代に託した・・・という描写だと受け取っています。

あの少女はテレビで福田教授の言葉を聞いていながらも、自分が信じたガストロポッドのために奮闘していました。例え地震を引き起こす生物だと言われようとも、その命を守ろうとする。普通に触れていましたから、ガストロポッドが熱を出しているわけでは無いという事にも気づいていたのでしょうね。
あの親ももう少し娘の事を考えてやれば・・・まぁ、地震が起こった際に娘を心配していた姿は良かったですけども。


一方の仁たちは、事実がまかり通らないもどかしさを感じる事に。どれだけ事実を叫んでも、既に広まってしまった考えには対抗できない。いずれ屋島教授が正しい結論にたどり着くと悟ったのでしょう。先手を打った福田教授の推論はあっという間に広がる事に。

国を救った英雄になる。どちらが正しいかは未来が証明してくれる。それに対する仁の「未来が証明してからでは遅いんです!」という台詞が印象的でした。未来で「ガストロポッドは地震を防いでいた事が分かりました」などと言われても、既に起こってしまった事は取り返しがつきません。福田教授を批判しても後の祭り。何故あの時ああしていなかったと考えても、殺してしまったガストロポッドは戻ってこない。そんな事実を証明されてからでは遅すぎる。
屋島教授が指摘したように、福田教授は事実に気づいていたのでしょう。それでも後には退けなかった。屋島教授に先を越されまいと判断を急ぎすぎた結果があの未来。

事実を知って尚、間違った自分のやり方を推し進める。間違った判断で描いた未来が、今の判断の正しさを証明してくれるわけがありません。自分を信じるのも大切ですが、自分の間違いを認めようとしない彼に、未来など託せません。福田教授は英雄になれずに終わったわけですが、「駆除していなかったらもっと大きな地震が起こっていた」とか言い出しそうで嫌ですね・・・
「何も起こらなければ良い」というのも仁の言葉。国が救われたのなら、福田教授が英雄になっても構いません。方法は違えども、仁たちや福田教授が証明しようとしたのは同じ「何も起こらない」という未来なのですから。


それにしても、あの卵を父親が発見したらどうするのだろう。果たして娘の言葉を信じるか、学者の言葉を信じるか・・・気になります。
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ネオ・ウルトラQ 第6話「もっとも臭い島」

2013-02-16 22:13:03 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第6話「もっとも臭い島」

匂いと臭いの第6話。強烈な臭いを発する悪臭セーデガン。その心は優しく、鼻から出るエキスは傷を癒し、そして大人気香水の原料にもなりました。最初はその強烈な臭いや、「怪獣」ということで逃げた優希。しかしセーデガンが優しい怪獣であることを知ると、臭いの事を口に出すものの、嫌な顔1つせずに笑顔で過ごしていました。

しかしセーデガンの優しい心を知る優希にとっては良い怪獣でも、何も知らない人々からすれば危険な存在。強烈な臭いを発する巨大生物。確かに危険だと思うのも無理はありませんが、何も即殺害しなくても・・・自分達とは違い強烈な臭いを発するから、巨大生物だから。そんな理由で怪獣を殺すのは人間の勝手すぎます。
かといって、セーデガンは有益な怪獣だから生かしておこうというのも違うと思います。人間にとってどうか、ではなく、セーデガン自身を知ることが何よりも大切でしょう。


ラストではセーデガンにすがりついた優希もまた、セーデガンのような口調と鼻になっていました。もしかすると、あのセーデガンも本来は人間だったのではないでしょうか。珍しく怪獣が自分や相手の名前を口にしていましたし、優希と同じ理由であの島に流れ着き、その前のセーデガンと出会い・・・というような流れがあったのかもしれません。セーデガンは、背中からのラインで「ちょっとだらしないレッドキング」という印象を受けました。

どんなに強烈な臭いでも、素晴らしい未知の匂いに変わることもある。劇中で香水を使用していた女性たちですが、彼女たちがその原料を知ったらどうするのでしょうか。「コピ・ルアク」というコーヒーを思い出しました。


ニルワニエ同様、怪獣だからといって決して悪い存在ばかりではない。ブレザレンのように有益な怪獣だけが生きていても良いと許されるのもまた間違っていると思います。
優希は例えセーデガンが香水の原料にならなかったとしても、懸命に自衛隊の行動を止めたことでしょう。優希の帰りを待ち、再会を喜んだセーデガン。彼が海に向かおうとしていたのも、優希に会いに行くためだったのではないかと。しかしおそらく、その場合でも彼は射殺されてしまっていたのでしょうね・・・本当、セーデガンが人間に何をしたのか。怪獣はありのままの姿で生きていることすらも出来ないのか。


「匂い」と書けば良い香りに。「臭い」と書けば悪臭に。「におい」という言葉1つにも様々な意味があります。ただそれは人によって異なるもの。男性の私からすれば、女性の香水などは時たまきつくて、辛い時があります。
もしかして怪獣もにおいと同じものなのかもしれませんね。人によって感じ方が異なり、始めはきつくても、一緒にいるとその感じ方も変わってくるかもしれない。ただ「慣れない」というだけで拒絶してしまうのも考えものかもしれません。


自分の鼻からセーデガンと同じエキスを採取し続ける優希。彼女もいずれ、あの島に渡ることになるのかもしれません。
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ネオ・ウルトラQ 第5話「言葉のない街」

2013-02-09 22:18:28 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第5話「言葉のない街」

やっぱりdf寄りな雰囲気。

さて第5話は人造人間エピゴノイドが登場。心を読み取る事が出来る彼らは田所博士によって作られ、富裕層などに販売されたものの、自分の意思で田所博士のところに帰還。そして田所博士は彼らを用いて完全なる愛の研究に没頭するも、どうやっても愛は生まれず・・・

仁曰く、男女の恋愛は「分からない」という事を前提としているそうな。自分はあの子を好きだが、相手はどう思っているのだろうか。こういった行動をしてくるという事は、自分を好きなのではないか。しかしこの間はあんな事を言われたし、やはり自分は嫌われているのか・・・などといったモヤモヤも、「分からない」からこそ生まれてくるものですね。もし相手の感情を完璧に理解できたとしたら、「あの子は自分を好きだと思っているから付き合おう」や「あの子は自分が嫌いだから告白しても無駄だ」となってしまうと。

思いが通じ合うのは便利にも思えますが、人間の心は相手への清い心だけでは無い。あいつが憎い、あいつが妬ましい、どうして自分だけ。そんな暗い感情までも読み取った上で、果たして愛情を保ち続けられるのかどうか。愛情でないにしろ、一緒に暮らす上では苦痛でしょうね。街を歩けば、すれ違った人の数だけ悪意を聞く事にもなりかねないのですから。

思いが完全に伝わると、思いやる気持ちは生まれても愛情は生まれない。言葉にしなくても伝わる仲、というのには愛情を感じますが、それはこれまでに様々な意思を伝えてきたからこそ生まれるものでしょう。メリとハシオのキスには、どこか機械的なものが感じられました。おそらくは「博士が自分達がキスをする事を望んでいる」と読み取った上での行動だったのではないかと。
愛情は自ら与え、そして誰かから与えられるものだと思います。「あなたが愛して欲しいと思っていたので愛しました」というのは愛情ではないでしょう。


コミュニケーションで重要なのは身振り手振り。確かに言葉が通じなくても、自分が焦っている、どこに行きたいというのは身振り手振りで現せますしね。言葉の重要性は僅か7%。それでも、口調や身振り手振り以上に声や手話などの言葉を信じたくなるのは何故なのか。

ようやく言葉を口にしたメリとハシオ。しかし彼らの口から出たのは、人間への諦めの言葉でした。何を言っても人間は自分の都合の良いように解釈してしまう。「殺していない」と言われても、心のどこかではそれを疑ってしまう。信じる心も持ち合わせているのでしょうけども、エピゴノイドたちにはその全てが伝わってしまうと。

今回、ハルヒコは自分でエピゴノイドたちの元へ1度は向かったのでしょう。しかしそこで、エピゴノイドたちに自分の心を見抜かれてしまったために、仁に依頼したのではないかと思います。「もしエピゴノイドたちが田所博士を手にかけたのでなければ~」という台詞からも、そんな雰囲気が感じ取れました。

ハルヒコは仁に「復讐に人生を捧げたりはしない」と語りました。最初見た時には「それなら大丈夫か」と思い、ラストでエピゴノイドたちが止まっていたシーンの後、ハルヒコが直してくれると信じました。しかし見直してみると、自分が都合の良いほうを選んでいたんだなと思わされました。おそらくハルヒコはエピゴノイドが父を手にかけたと思う気持ちがあり、だからこそエピゴノイドたちはハルヒコの元に行かなかったのではないかと。

ハルヒコが復讐をしないと信じるのも、疑うのも、不完全だからこその感情。仁はメリとハシオに心を読んでもらう際、ハルヒコを信じて欲しいと思ったのかな。ハルヒコは復讐するかもしれない。けれども復讐はしないといった「言葉」を信じたい。例え都合のいい解釈になってしまうとしても。
「Aさんの言葉を信じる」「Aさんがこういう口調で話していたから信じる」「Aさんがこういう身振り手振りをしていたから信じる」。コミュニケーションの上での重要性が低いとはいえ、それでも私は言葉も信じたい。


不完全であるからこそ成り立つ愛情。例え相手の心が分からなくても愛情を育んできたからこそ、今があるのでしょう。分からないから理解しようと努力する。分からないけど好きな相手の事は信じていたい。目の前に答えが置いてあると、そういった感情も生まれないのでしょうね。

ラスト、電池が切れて動かなくなったエピゴノイドたち。不完全になりたいと願っていたメリとハシオにとっては、動き出すのが幸せなのでしょう。静かすぎるあの街から声が聞こえるのは、そう遠く無い日かもしれません。私はそう信じたいです。
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ネオ・ウルトラQ 第4話「パンドラの穴」

2013-02-02 22:12:00 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第4話「パンドラの穴」

頭に装置をはめられたハルカを見て、「メカゴジラの逆襲」を思い出しました。

第4話はウルトラQというよりは、dfよりの物語だったように感じます。暗闇を覗く時、暗闇もこちらを覗いている。怪物と戦う時、自身もまた怪物になっているかもしれない。怪物と戦える力を持った人間を、歓迎してくれる人ばかりでは無いでしょうしね。


今回登場したのは悪意や憎しみといったものの塊である暗黒悪意マーラー。最初は岩のような姿だったマーラーですが、黒木と接していく中で、次第に人の姿へと近づいていきました。幻想を見せ、仁を作り出し、あの手この手で蓋を開けさせようとするマーラー。日の光に怯えて逃げたように見えましたが、あれも演技だったのでしょう。黒木の思い込みを利用して、相手を油断させる。そして最後は絵美子の善意を利用し、蓋を開けさせる事を成し遂げました。

パンドラの箱にシュレディンガーの猫。開ければ悪意が解き放たれるとは言うが、確かめなければ悪意が入っているとは言い切れない。「開けるなよ!?絶対に開けるなよ!?」と言われるほど、中身が見たくなってしまう。けれども、ちょっとぐらいならと、ばれないだろうと覗いてしまったがために、暗闇に覗き込まれて狙われる事に。絵美子との約束を破り、中身を見てしまった正平。彼が見たのは希望か絶望か、どちらなのでしょうね。

科学に多少のリスクはある。少なくとも黒木はハルカを犠牲にするつもりは無かったと語られていましたが、そもそも婚約者を実験台に使うという行為そのものはどうなんでしょう。それを「仕方ない」と捉えるか、「秩序が乱れている」と捉えるか。
前回のヴァルカヌス星人の話を考えると、あちらは美しさと醜さの境界線があったように思えます。絶対不変の秩序や美しさはあるのでしょうか。時や場所が変われば、それらは変わるもの。元々の境界線は、どうやって生み出されたのか。


悪意に満ちた世界。それは文字とは反対に、誰が何をしても「悪い」と感じなくなる世界ではないでしょうか。善悪の区別など無くなってしまうと思います。何をしても当然だと認められてしまう世界。誰もが悪意を悪意だと気づかない世界が成り立ってしまうのではないかと。

脳の研究のために、恋人が犠牲になってしまっても「科学の発展のためなら、多少の犠牲は仕方ない」。憎悪により人を殺しても、嫉妬で何かを奪い取っても、それが本来の姿であるために「仕方ない」と認められてしまう世界。この世界ならばハルカを元に戻す事も出来るかもしれません。だってもう、何をしても、恋人を元に戻すためには仕方ないのですから。
(追記)マーラーを封じ込めたのは、道徳などの教えを広めた人々だったのかな。人道に反する、あってはならないことだという境界線が人々の中に根づき、「悪い」という意識が芽生えた。例え人類の発展に寄与する事であっても、悪い事はしてはならないと感じるようになった。それがマーラーのいう「堕落」だと思います。

怪獣らしい怪獣は出てきませんでしたが、私はこういう話も好きです。次回は言葉を交わすことの無い人々の話。
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ネオ・ウルトラQ 第3話「宇宙(そら)から来たビジネスマン」

2013-01-26 22:07:07 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第3話「宇宙(そら)から来たビジネスマン」

「宇宙」と書いて「そら」と読むと、とある少女が駆けたのを思い出します。

さて第3話は宇宙のビジネスマン、ヴァルカヌス星人の羽屋が登場。かつて醜さから自殺直前までに追い詰められていた美樹の前に現れ、「誰もが羨む美人になる」という願いをかなえる代わりに、美樹をヴァルカヌス星に連れて帰る契約をしたと。

ヴァルカヌス星の美的感覚は、地球とは異なり、負のエネルギーがあればあるほど美しいと感じるようで。美樹はこれまでビジネスを続けてきた羽屋が絶賛するほどの美人。つまりは相当な負のエネルギーを溜め込んでいました。
しかしその負のエネルギーも無くなってしまうと、抽出された男性のように自分を追い込み、死に至ってしまう危険性も見受けられました。あの男性にしてみれば、相手を騙してやろう、金を毟り取ろうと言った気持ちで行動していたために、なまじそれが無くなってしまうと良心に押しつぶされてしまうのでしょうね。汚い心が無ければ生きていけないとは、何だかなぁ・・・

美樹を取り戻すために奔走した絵美子。ヴァルカヌス星人に「気持ちを弄ぶなんて~」と語るシーンでは、「一筆奏上!」と言って変身するかと思ってしまいましたw
そんな絵美子でしたが、男性に対しては「あんな男死んだって誰も傷つかない」「あんな男いない方が幸せ」と厳しい一言。見た目ではなく、心の醜さは絵美子も受け入れられないようですね。しかし、そう感じる絵美子をあの機械で測ったら、少しは針が振れたんじゃないかな。

見た目はどれだけ美しくても、心の中には醜いものがある。いきなり「土地からエネルギーを吸収する!」といった時には、さすがに「はい?」と思いましたが、それはさておいて(汗。環境汚染が叫ばれる中で、土地からも負のエネルギーは採取できました。一見綺麗に見えても、その土地で昔何が起こり、どういった思いが刻まれていたのか。前回のブレザレンの話を見ていると、地球のどこからでも負のエネルギーが採取できそうで嫌ですね。
ヴァルカヌス星人にとって「地球は美の宝庫」。ならば人間にとっては・・・


今回の一件は、羽屋にとってはれっきとしたビジネス。相手との契約に基づいて連行していく宇宙人もまた珍しい。大体消去エネルギー源とかで勝手に連れ去る輩ばっかりですからね・・・なぁケムール人w

人間の売買について認めようとしない絵美子たちでしたが、それはあくまでも地球の話。ヴァルカヌス星では犬や猫と同じく、人間の売買も認められている。何故犬や猫を飼うのに人間は飼わないのか、何故牛や豚を食べるのに人間を食べないのか。法律があるから、可哀想だからといった簡単な話ではなさそうです。
ペットショップに行って、人間が檻の中に入っていたらおかしいと感じても、犬や猫が入っていても何の違和感も無い。人間と犬。何が違うのでしょうね。ペットショップに行った時、かごに入っている仲間を見て、動物たちはどう思っているのでしょうか。


無事契約が成立した後の交流会ではしゃぐヴァルカヌス星人が好印象でした。考え方は違いますが、ああやって地球人と宇宙人が交流しているのを見れるのは良いですね。
しかし美樹は旅立ってしまいました。地球にいても、また元の顔に戻ってしまうだけ。絵美子や正平、仁がいるといっても、必ずしも元の顔の美樹に好意的な人物ばかりでは無いでしょう。それは美樹がこれまで大変な思いをしてきたという事からも明らかです。ヴァルカヌス星で暮らすことが、美樹にとっての幸せならば何も言えません。

地球でもヴァルカヌス星でも、自分の美的感覚にそぐわないものは遠ざけられる。もしかすると地球の中には、美樹と反対にヴァルカヌス星からやってきた人もいるのでは・・・という想像も出来た第3話でした。
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