ネオ・ウルトラQ 第12話(最終回)「ホミニス・ディグニターティ」
今回登場したのは古代生物ソーマ。寄生した宿主を生きながらえさせる能力を持つ生物で、一部の選ばれた優秀な人間は144年という限界寿命を手に入れることに。国のために働きましょうと教育される中、今の状況に疑問を持つ少女ヒカルがメインでした。
どれほど頭が良くても分からない事がある。優秀になればなるほど論理的に考えてしまい、人間の感情による行動が理解できなくなってしまうのかもしれません。144年間生きられるのに、何故自らソーマを切除するような真似をするのか。何故優秀な遺伝子を持っているのに、それを活用しないのか。言っている事は分かります。でもそれは、あくまでもその理論を押し付ける側の事情であって、本人には全く関係ない話でしょう。144年間生きられなくても良い、優秀な遺伝子を活用できなくても良い。ただ自由に生き、自由に恋をしたい。そういった生活が一切無い。あるのはただ、国のために利用されている子供たちの姿でした。
彼女たちは確かに144年間生きられるでしょう。ただそれは、国のために生かされているというだけな気がしてなりません。恐らく将来、それぞれに見合った重要な仕事を与えられ、より優秀な第6世代を残すために結婚相手も決められ、その子供もまた利用されていくのでしょう。言い方は悪いかもしれませんが、最早機械のような流れです。
優秀な人間だけが選ばれ、長生きしていく世界。彼らにより、国は幸福になる。けれどもヒカル自身の幸福はどうなってしまうのか。本来幸せだと思っていたことを忘れ、決められたことに従うことを幸せだと思うようになってしまうのかもしれません。国のために、個人が犠牲になっていいのかどうか。
ヒカルが憧れた外の自由な世界は、選ばれなかった人々が作り上げた世界でもあります。果たして外の世界の人間達は、ソーマに寄生されなかったことについて、どう思っているのでしょうね。
そして仁の謎が一気に深まった最終回でした。冒頭の「お忘れですか」という台詞、そして仁に寄生していたソーマから察するに、仁も昔はホミニスにおり、優秀な科学者としての道を屋島教授などの元で学んでいたのでしょう。けれども研究を進めるにつれて、生きた人間やその心についても興味を抱き、自らの意思で独立した・・・という妄想。
仁に依頼されたのは「ソーマを宿しながら生きる意義を教えること」。何故職員ではなく、仁なのかと思いましたが、それも恐らくは仁が適任者だったからなのでしょうね。仁もソーマを宿しながらも、自らの道を歩み、生きる意義を見つけました。そんな彼だからこそ、様々なことを実体験として語れるのかな。
最後はヒカルに対し、脊髄へ直接ソーマを寄生させる実験が行われようとしていました。最早自分の切除も許さない、自分たちの道具のような扱いです。そこへ助けに来てくれた仁、絵美子、正平!これでめでたし、めでたし・・・
かと思いきや、再びヒカルはベッドの上。同じ光景が繰り返される中、ヒカルが見たのは何だったのでしょうか。服を脱いだような音、そして「脊髄への直接寄生」・・・まさかとは思いますが、仁は自らのソーマを脊髄に移植させることで、ヒカルを守ったのでしょうか。仁の背中には皮膚の下でうごめくソーマがいたのか?
あの遊園地の出来事が現実なのか。それともラストシーンが現実なのか。それは分かりませんが、分からないままで良いのかもしれません。だって仁は自由なのですから。自由な仁は、誰にも束縛されず、自分の意思で行動を決めることが出来る。ヒカルを救い出すことも、そしてヒカルを守るために自らを実験体にすることも、そして他の行動も、どんなことだって出来ます。視聴者として、どういった結末を想像するのか、それもまた自由なのでしょうね。
全体の感想
ということで、ネオ・ウルトラQ、無事に全話終了しました!
いやー・・・正直言って、話の内容は全体的に難しかったですね(苦笑。放送局や時間帯の都合上、そう簡単な話はこないだろうと思っていましたが、なかなか考えさせられる内容が多く、毎回興味深く視聴していました。面白い回もあり、よく分からなくて悩んだ回もあったり。けれどもいずれにしろ、あれこれ怪獣たちや思想に思いを馳せるきっかけを与えてくれた良い作品だったと思います。
ネオQで度々問いかけられてきた「怪獣との共存」というテーマ。この世界(各話パラレルだとしても)では既に怪獣や宇宙人が受け入れられており、彼らにより実益や被害が発生しているケースも多く見られました。ウルトラシリーズなどでは出現した怪獣や宇宙人に驚き、戸惑う人々も見受けられましたが、「ファルマガンとミチル」では、ミチルはさも当然のようにファルマガンの存在を受け入れていました。しかし、これにはむしろ驚く方がおかしいのかもしれません。誰かを心配し、助けてくれる存在。そこに人間か宇宙人かは関係ないのでしょう。
怪獣を一方的に悪だと決めつける人もいれば、怪獣を保護しようという団体もいる。どちらも互いに互いを否定するばかりで、お互いの意見を受け入れようとする姿勢が見られませんでした。怪獣には怖い存在もいる。けれども優しい怪獣だっている。人間が言葉が通じない、見た目が違うというだけで勝手に遠ざけ、排除するのは間違っています。同じ種類の怪獣でも、人間のように1人1人に個性があるかもしれない。「怪獣だから悪」「○○星人は前に悪い事をしたから、今度来た○○星人も悪」と決めつけるのもおかしな話です。そんなんだったら、人間はとっくの昔に互いに誰も信用していないでしょうし、国際交流も無いと思います。
ただ、盲目的に怪獣を受け入れていくことはもちろん危険です。今は有益でも、将来的にどうなるか分からない。能力や人間の企み次第では、ブレザレンだって危険な怪獣になり得る。怪獣はまだまだ未知の存在ですから、プラーナのように多少の注意は必要ですね。
「人間の中にも怪獣はいる」。マーラーのように、悪意に満ちた世界を作り出そうとした存在もいましたが、それも人間の心の中の怪獣を解き放った結果。あの後の世界は、何でも横行する世界になってしまったのかな・・・
そんな怪獣たちと触れ合ってきた仁。彼は今後、どのような道を歩んでいくのでしょうか。ソーマを受け入れ、その中で見つけた生きる意義。まだ100年はあるであろう寿命の中で、数多くの怪獣と出会う事でしょう。
話をメイン3人に移しますと、若干キャラクターの印象が薄いというのは否めませんでした。仁はあれこれ語ったりで出てきますし、絵美子も記者としてあちこちに出向き、様々な事件に関わっていました。そんな中で、正平の活躍がもう少し欲しかったところです。「アルゴス・デモクラシー」では民主主義ではない、個人的な思いの大切さを見せてくれた彼でしたが、どうも薄い感じが・・・最終回も最後の台詞だけではなく、仁を信頼している相棒のような感じで、深く関わってきて欲しかったですね。
さて個性が豊か過ぎる怪獣や宇宙人たち。ここ怪獣というより「存在」といった方がしっくり来る面々も多めでした。個人的にはやはりブレザレンやプラーナといったかつてのQを思わせる怪獣たち、それとガストロポッドがお気に入りでした。話としては全体的に好きなので割愛。これもあれもと思っていたら、全部になりそうでした(苦笑。
終わってみれば全12話のネオQ。あれこれ感想を拝見してはいますが、決して好意的な意見ばかりではないのも分かります。個人的にも「ウルトラQ」の「セカンドシーズン」というのが引っかかる部分ではありました。ゴメスやリトラのような怪獣がバトルするわけでもなく、むしろ精神的にどうこうという話が多い。これはウルトラQではなく、違う作品として放送していたらより受け入れられたのかな・・・と思ったところで、そもそも「ウルトラQ」とは何か?と思いまして。
大きな怪獣が出てきて暴れる。これは「ウルトラQ」第1話。問題が解決せずに終わる。これも「ウルトラQ」。皮肉などが込められている。それも「ウルトラQ」。
「ウルトラQ」に決まった形なんて無いと思います。昔の「ウルトラQ」だって、怪獣が出てこない話はありました。ネオは明るさや楽しさといった部分は薄く、どちらかといえば暗めな雰囲気だったとは思います。けれども、それもまた「ウルトラQ」であって良いんだと、私はそう思います。この30分間、私は確かに不思議な時間を味わう事が出来ましたし。
時代が変われば怪獣も、宇宙人も、人間だって変わります。かつては2020年という未来の時間を持っていたケムール人も、今は更に未来の時間を歩んでいる事でしょう。彼らにも何か変化があったのかもしれません。
人間が変われば、心の中にいる怪獣も変わる。「ネオ・ウルトラQ」は間違いなく、新たな時代の「ウルトラQ」でした楽しめた3ヶ月間でした。ありがとうございました!
さて、5月からは総天然色ウルトラQ放送とのことなので、そちらの感想も書けたら書きたいですね。
今回登場したのは古代生物ソーマ。寄生した宿主を生きながらえさせる能力を持つ生物で、一部の選ばれた優秀な人間は144年という限界寿命を手に入れることに。国のために働きましょうと教育される中、今の状況に疑問を持つ少女ヒカルがメインでした。
どれほど頭が良くても分からない事がある。優秀になればなるほど論理的に考えてしまい、人間の感情による行動が理解できなくなってしまうのかもしれません。144年間生きられるのに、何故自らソーマを切除するような真似をするのか。何故優秀な遺伝子を持っているのに、それを活用しないのか。言っている事は分かります。でもそれは、あくまでもその理論を押し付ける側の事情であって、本人には全く関係ない話でしょう。144年間生きられなくても良い、優秀な遺伝子を活用できなくても良い。ただ自由に生き、自由に恋をしたい。そういった生活が一切無い。あるのはただ、国のために利用されている子供たちの姿でした。
彼女たちは確かに144年間生きられるでしょう。ただそれは、国のために生かされているというだけな気がしてなりません。恐らく将来、それぞれに見合った重要な仕事を与えられ、より優秀な第6世代を残すために結婚相手も決められ、その子供もまた利用されていくのでしょう。言い方は悪いかもしれませんが、最早機械のような流れです。
優秀な人間だけが選ばれ、長生きしていく世界。彼らにより、国は幸福になる。けれどもヒカル自身の幸福はどうなってしまうのか。本来幸せだと思っていたことを忘れ、決められたことに従うことを幸せだと思うようになってしまうのかもしれません。国のために、個人が犠牲になっていいのかどうか。
ヒカルが憧れた外の自由な世界は、選ばれなかった人々が作り上げた世界でもあります。果たして外の世界の人間達は、ソーマに寄生されなかったことについて、どう思っているのでしょうね。
そして仁の謎が一気に深まった最終回でした。冒頭の「お忘れですか」という台詞、そして仁に寄生していたソーマから察するに、仁も昔はホミニスにおり、優秀な科学者としての道を屋島教授などの元で学んでいたのでしょう。けれども研究を進めるにつれて、生きた人間やその心についても興味を抱き、自らの意思で独立した・・・という妄想。
仁に依頼されたのは「ソーマを宿しながら生きる意義を教えること」。何故職員ではなく、仁なのかと思いましたが、それも恐らくは仁が適任者だったからなのでしょうね。仁もソーマを宿しながらも、自らの道を歩み、生きる意義を見つけました。そんな彼だからこそ、様々なことを実体験として語れるのかな。
最後はヒカルに対し、脊髄へ直接ソーマを寄生させる実験が行われようとしていました。最早自分の切除も許さない、自分たちの道具のような扱いです。そこへ助けに来てくれた仁、絵美子、正平!これでめでたし、めでたし・・・
かと思いきや、再びヒカルはベッドの上。同じ光景が繰り返される中、ヒカルが見たのは何だったのでしょうか。服を脱いだような音、そして「脊髄への直接寄生」・・・まさかとは思いますが、仁は自らのソーマを脊髄に移植させることで、ヒカルを守ったのでしょうか。仁の背中には皮膚の下でうごめくソーマがいたのか?
あの遊園地の出来事が現実なのか。それともラストシーンが現実なのか。それは分かりませんが、分からないままで良いのかもしれません。だって仁は自由なのですから。自由な仁は、誰にも束縛されず、自分の意思で行動を決めることが出来る。ヒカルを救い出すことも、そしてヒカルを守るために自らを実験体にすることも、そして他の行動も、どんなことだって出来ます。視聴者として、どういった結末を想像するのか、それもまた自由なのでしょうね。
全体の感想
ということで、ネオ・ウルトラQ、無事に全話終了しました!
いやー・・・正直言って、話の内容は全体的に難しかったですね(苦笑。放送局や時間帯の都合上、そう簡単な話はこないだろうと思っていましたが、なかなか考えさせられる内容が多く、毎回興味深く視聴していました。面白い回もあり、よく分からなくて悩んだ回もあったり。けれどもいずれにしろ、あれこれ怪獣たちや思想に思いを馳せるきっかけを与えてくれた良い作品だったと思います。
ネオQで度々問いかけられてきた「怪獣との共存」というテーマ。この世界(各話パラレルだとしても)では既に怪獣や宇宙人が受け入れられており、彼らにより実益や被害が発生しているケースも多く見られました。ウルトラシリーズなどでは出現した怪獣や宇宙人に驚き、戸惑う人々も見受けられましたが、「ファルマガンとミチル」では、ミチルはさも当然のようにファルマガンの存在を受け入れていました。しかし、これにはむしろ驚く方がおかしいのかもしれません。誰かを心配し、助けてくれる存在。そこに人間か宇宙人かは関係ないのでしょう。
怪獣を一方的に悪だと決めつける人もいれば、怪獣を保護しようという団体もいる。どちらも互いに互いを否定するばかりで、お互いの意見を受け入れようとする姿勢が見られませんでした。怪獣には怖い存在もいる。けれども優しい怪獣だっている。人間が言葉が通じない、見た目が違うというだけで勝手に遠ざけ、排除するのは間違っています。同じ種類の怪獣でも、人間のように1人1人に個性があるかもしれない。「怪獣だから悪」「○○星人は前に悪い事をしたから、今度来た○○星人も悪」と決めつけるのもおかしな話です。そんなんだったら、人間はとっくの昔に互いに誰も信用していないでしょうし、国際交流も無いと思います。
ただ、盲目的に怪獣を受け入れていくことはもちろん危険です。今は有益でも、将来的にどうなるか分からない。能力や人間の企み次第では、ブレザレンだって危険な怪獣になり得る。怪獣はまだまだ未知の存在ですから、プラーナのように多少の注意は必要ですね。
「人間の中にも怪獣はいる」。マーラーのように、悪意に満ちた世界を作り出そうとした存在もいましたが、それも人間の心の中の怪獣を解き放った結果。あの後の世界は、何でも横行する世界になってしまったのかな・・・
そんな怪獣たちと触れ合ってきた仁。彼は今後、どのような道を歩んでいくのでしょうか。ソーマを受け入れ、その中で見つけた生きる意義。まだ100年はあるであろう寿命の中で、数多くの怪獣と出会う事でしょう。
話をメイン3人に移しますと、若干キャラクターの印象が薄いというのは否めませんでした。仁はあれこれ語ったりで出てきますし、絵美子も記者としてあちこちに出向き、様々な事件に関わっていました。そんな中で、正平の活躍がもう少し欲しかったところです。「アルゴス・デモクラシー」では民主主義ではない、個人的な思いの大切さを見せてくれた彼でしたが、どうも薄い感じが・・・最終回も最後の台詞だけではなく、仁を信頼している相棒のような感じで、深く関わってきて欲しかったですね。
さて個性が豊か過ぎる怪獣や宇宙人たち。ここ怪獣というより「存在」といった方がしっくり来る面々も多めでした。個人的にはやはりブレザレンやプラーナといったかつてのQを思わせる怪獣たち、それとガストロポッドがお気に入りでした。話としては全体的に好きなので割愛。これもあれもと思っていたら、全部になりそうでした(苦笑。
終わってみれば全12話のネオQ。あれこれ感想を拝見してはいますが、決して好意的な意見ばかりではないのも分かります。個人的にも「ウルトラQ」の「セカンドシーズン」というのが引っかかる部分ではありました。ゴメスやリトラのような怪獣がバトルするわけでもなく、むしろ精神的にどうこうという話が多い。これはウルトラQではなく、違う作品として放送していたらより受け入れられたのかな・・・と思ったところで、そもそも「ウルトラQ」とは何か?と思いまして。
大きな怪獣が出てきて暴れる。これは「ウルトラQ」第1話。問題が解決せずに終わる。これも「ウルトラQ」。皮肉などが込められている。それも「ウルトラQ」。
「ウルトラQ」に決まった形なんて無いと思います。昔の「ウルトラQ」だって、怪獣が出てこない話はありました。ネオは明るさや楽しさといった部分は薄く、どちらかといえば暗めな雰囲気だったとは思います。けれども、それもまた「ウルトラQ」であって良いんだと、私はそう思います。この30分間、私は確かに不思議な時間を味わう事が出来ましたし。
時代が変われば怪獣も、宇宙人も、人間だって変わります。かつては2020年という未来の時間を持っていたケムール人も、今は更に未来の時間を歩んでいる事でしょう。彼らにも何か変化があったのかもしれません。
人間が変われば、心の中にいる怪獣も変わる。「ネオ・ウルトラQ」は間違いなく、新たな時代の「ウルトラQ」でした楽しめた3ヶ月間でした。ありがとうございました!
さて、5月からは総天然色ウルトラQ放送とのことなので、そちらの感想も書けたら書きたいですね。